いつでも元気

2012年5月1日

特集1 地域で 全国で いのちと健康を守る運動の「架け橋」に ──2 23~25 全日本民医連第40回定期総会開かれる

 全日本民医連第四〇回定期総会が二月二三~二五日、岡山市で開かれました。
代議員六〇四人が参加し、九五三の発言がありました。
 日本の進路を左右する問題で運動の「架け橋」になること、「あたらしい福祉国家への展望を切り開く」ことなどを掲げた今総会の特徴を、全日本民医連の藤末衛会長、長瀬文雄事務局長が振り返りました。

政治の壁こじあけた無低診

総会スローガン

○住民本位の震災復興、平和と権利としての社会保障を実現する新しい福祉国家への展望を創りだそう

○原発ゼロ、TPP不参加、社会保障・税の一体改革阻止、米軍基地再編阻止など日本の将来を決める運動の「架け橋」となろう

○健康権の実現めざした保健・医療・介護の実践と医師をはじめとする担い手づくりを一体に追求しよう

長瀬 現場の実践が豊かに語られ、「すべての代議員で総会方針を練り上げた」総会となりましたね。代議員から寄せられた二九七人分の感想文は、びっしり書き込まれているものばかりでした。
藤末 ある兵庫の代議員は総会後、「多忙な日常の医療活動や実践が総会の議論をつくっているんだと確信を持った」と語ってくれました。私はこの感想をたいへんうれしく聞きました。
長瀬 前総会から今総会までの二年間を振り返ると、生存権を守る民医連の実践が広がった二年間と言えますね。無料・低額診療事業(注)にとりくむ病院・診療所は、この二年間で八四カ所から二八〇カ所に広がりました。全国の実施医療機関の半数以上です。

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藤末 衛
(ふじすえ まもる)
全日本民医連 会長

藤末 いまの時代は、ごま かしようのないほど矛盾が深刻となり、国民の多くが先行きの見えない閉塞感を感じています。民主党政権になっても、医療や社会保障、暮らしといった政治は よくならない。格差と貧困は拡大している。このような時代に民医連が無料・低額診療事業を広げ、実践していることはたいへん大きな意義があります。
長瀬 今総会でも、ねばり強く自治体に要請し、最初は拒否していた無料・低額診療事 業を認可させたとりくみが語られました。国は今も「無料・低額診療事業の必要性は薄らいだ」という態度を変えていませんが、この事業を広げた民医連のとり くみは、まさに政治の壁をこじあけたと言えます。
藤末 無料・低額診療事業は、認可された事業所の職員や共同組織の方々などにとっても大きな確信になっているんですよ。お金がなくて受診できない人がいても「受診していいんだよ、病院に行こう」と言えますから。
治療で命を救うのは、医師・看護師などの仕事かもしれません。しかし無料・低額診療事業の認可事業所が広がったことで、他の職種や事業所を支える共同組織のみなさんの間にも「命を救える」という実感が生まれています。

今日まで続く被災地支援活動

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長瀬文雄
(ながせ ふみお)
全日本民医連事務局長

長瀬 民医連は東日本大震災の被災地支援でも、震災直後から現地に、のべ一万五〇〇〇人(昨年一一月末まで)の医療・介護スタッフなどを派遣し、大奮闘しました。この経験も各地の代議員から語られましたね。特筆すべき活動だったと思います。
藤末 しかも今日に至るまで、支援活動が続いています。
 たとえば民医連は昨年夏や年末年始、日本医師会や宮城県医師会の要請を受けて、常勤医師が一人になった気仙沼市立本吉病院(宮城)へ医師を派遣しました。職員・共同組織による被災地への物資支援も続いています。
長瀬 宮城の坂総合病院は、自ら被災しながらも、職員が友の会と力をあわせて生活相談会や仮設住宅へ訪問したり、コミュニティーをつくるため、自治会といっしょに「縁日」などにとりくんでいます。
 震災後の民医連の出足の早さは、他の医療団体から注目されました。ふだんから命を守る、患者の生活背景にも目を向けている民医連の理念が発揮された活動と言えます。
藤末 民医連の震災支援については稲光宏子さんが『被災地に寄りそう医療』(新日本 出版社)にまとめてくれています。確信にして次につなげていくべき活動だと思います。この本に対する反響は大きく、東京都品川区の図書館では推せん図書の コーナーに置かれています。ぜひ、広く普及してほしいですね。

さまざまな分野で「架け橋」に

長瀬 今総会の特徴を振り返ると、スローガンにも掲げた「運動の架け橋となろう」という提起が積極的に受け止められたことが印象的でした。
藤末 「架け橋」になるという方針は、私たち理事会が想像していた以上に総会の議論で深まったと思います。
 いま、日本の進路を大きく左右するような課題が山積しています。TPP(環太平洋連携協定)、税と社会保障の一体改革、沖縄・辺野古への新基地建設問 題。原発事故がきっかけで、日本のエネルギー政策のあり方を模索する運動も広がっている。被災地の現状を考えても、国や自治体にお任せではなく、多くの団 体・個人が手をつながなければ、真の復興はありえません。
 そこで全日本民医連理事会は、考えの違いがあっても、賛同できる一致点があれば幅広い個人・団体と積極的に手をつないでいくという立場から「架け橋にな ろう」と提起しました。この提起に多くの代議員があらゆる分野で「どんな架け橋になろうか」という実践的な立場から発言してくれました。
長瀬 「日本の進路に関わる問題だけではなく、日常の医療・介護活動などを含めて、もっといろんな分野で架け橋になろう」という受け止めが多かったですね。

「生存権」と「健康権」をどちらも実現させる運動を

「健康権」─ヨーロッパでは指標も

長瀬 前総会に引き続き強調した「健康権」も議論の焦点になりました。
藤末 戦後の荒廃・飢餓のなかで、圧倒的な国民の生存が脅かされていた。そうした現状のもとで生存権を守ることが国の責任だと明記した憲法二五条は、大きな意味を持っています。
 一方で国はいま、医療・介護までも市場原理にさらす構造改革をすすめている。病気や健康の問題も「個人がそれぞれがんばって守る」という自己責任にし、 国の責任を縮小・放棄しようとしています。しかし、所得が低いほど健康が悪化することが実証されています。「健康の自己責任」に対し、私たちは「健康の自 己主権」を主張していきます。
 原発事故を考えてみても、地域が丸ごと汚染され、生業や居住権まですべて奪ってしまいました。原発事故が起これば、民医連が一生懸命診療するだけでは命 を守れない。この立場から「健康権」の重要性を再度前面に掲げました。
長瀬 健康を阻害する要因をとりのぞくことが「健康権を守る」ことだと考えると、わかりやすいですね。
藤末 ヨーロッパでは健康権はすでに常識です。守られているかどうかをはかる指標もあります。日本でも健康権が一人ひとりの人権だということを社会に根付かせ、獲得する必要があります。
 生存権も健康権も、重なり合う部分が大きく、しっかりと両方獲得・実現する運動をすすめていかなければなりません。

運動のゴール示す発信を

長瀬 健康権を守る上でも、スローガンの「新しい福祉国家への展望」を創り出すたたかいは鍵になります。
藤末 「架け橋になる」と言っても、社会保障に冷たい国家があるときに国民の連帯や自主的な活動がすすんだだけでは、福祉国家は実現しません。雇用と社会保障を国の責任でしっかりさせようとする政府、つまりは福祉国家の展望なしには福祉社会は実現しないでしょう。
 政府は社会保障を口実に消費税を増税しようとしています。国民の間でも「消費税はいやだ」という声は多い。でも、どこから財源を持ってくるかと聞かれる と、意見は割れます。健康・生活を守ることを権利と見るのか、自己責任と見るのかという視点の違いが、結論の違いに直結しています。
長瀬 しかし国は、医療・介護・保育などをまるごと改悪し、社会保障全体を権利ではなく商品にするプランを持っている。こういうときだからこそ「社会保障は全ての国民の権利だ」というメッセージを地域や国民に発信し、共通の認識とする活動が大事ですね。

防災のまちづくりを力あわせて

長瀬 最後に、読者にメッセージを。
藤末 今後は、防災という視点で地域づくりを考えていかなければならないでしょう。被災した避難者が暮らす仮設住宅では、誰にも知られず亡くなる孤独死が相次いでいます。
 しかし孤独死は、被災地特有のものではない。北海道、東京都、埼玉県などで「孤独死」「孤立死」が相次いで報道されているように、まさに「静かなる震災」ともいうべき事態が全国に広がっています。
 被害を受けても犠牲者を最小限にする、コミュニケーションがしやすく、迅速な避難ができる地域をつくることは、子どもや高齢者、障がいを持った方をふく めた、どんな人にも住みやすいまちづくりにつながります。防災や減災が強く意識される今こそ、「安心して住み続けられるまちづくり」を実践的に深めましょ う。
 民医連職員と共同組織の仲間が力をあわせて、どんなまちをつくるのか、一緒に展望してとりくんでいきたいと思います。

『無差別・平等の医療をめざして』を発行

genki247_02_03このたび、民医連の前身というべき無産者診療所運動の歴史から、第39回総会で改定された新しい民医連綱領までを上巻・下巻にまとめました。ぜひ一読し、先輩たちが積み上げてきた民医連運動の真髄を学びましょう。
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総会発言から

民医連総会での代議員の発言を一部ご紹介します。


新基地建設阻止に向けて

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民医連の無料・低額診療事業は2006年以降急速に拡大、すでに認可されていた事業所でも同事業の積極的活用がとりくまれている(写真は北海道の勤医協中央病院=2009年。撮影=五味明憲)

 討論の口火を切ったのは、沖縄・比嘉努代議員。米軍・普天間基地のある宜野湾市長選挙(今年二 月)では、「基地の県内たらいまわしを許さない」と公約に掲げ、子どもの医療費無料化を広げた伊波洋一氏(元宜野湾市長)が惜敗。しかし伊波氏が会見で 「これをもって宜野湾市民が、県内移設を容認したわけではない」と断言したことを挙げ、「まったくその通り」だと比嘉さんは強調しました。
 比嘉さんは「仲井眞県知事も、新しく宜野湾市長になった佐喜眞氏も、もともとは基地容認の人。しかし今では『普天間基地の固定化は許さない』と明言して いる」と指摘。「背景には、二〇一〇年の名護市長選挙以来、普天間基地の無条件撤去・県外移設が県民の総意になったことがある。今年は本土復帰から四〇年 目の節目の年。辺野古への新基地建設を断念させ、高江のヘリパッド建設阻止のたたかいを大きく前進させるために、沖縄民医連は総力をあげる」と語りまし た。

4年以上にわたる交渉で

 大阪・村岡好人代議員は、四年以上の交渉の末、大阪市に無料・低額診療事業を認可させ、淀川勤労者厚生協会が運営する一病院三診療所で二〇一一年八月から同事業を開始した経験を語りました。
 民医連が同事業の積極的活用と認可申請をおこなう方針を掲げたのが、第三七回総会(二〇〇六年)。これを受け、同法人は繰り返し市に認可を求めたものの、市は「過去の事業だ」と門前払いするばかり。
 その後も市は「他市より実施している事業所が多い」「国の制度なので、市は動けない」などの態度をとりましたが、申請書類さえ渡さない市に対し、法人独 自で申請書類を作成して受理を迫ったり、マスコミへの働きかけをおこなうなかで、市が認可の方向へ動いたことを語りました。
 申請に向けては、職員の中でも討議をおこない、「今でも赤字なのに、経営は大丈夫か」などの意見も出されましたが、「『室料差額(差額ベッド料金)をと らないこととあわせて、民医連の(無差別・平等の)理念を具体化する事業なんだ』というていねいな意思統一をおこなった」と村岡さんは報告しました。

復興に向け「課題は山積み」

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総会の3日間でさまざまな実践が報告された

 東日本大震災の被災地から出席した代議員からは、地震から一年経ったいまも復興しているとは言えない現状が語られました。
 宮城・藤原大代議員は、民医連事業所のない地域における「なんでも相談会」や仮設住宅での「健康相談会」などにとりくんでいることを紹介する一方で、 「問題は山積み」だと指摘。被災者が孤立し、民医連が支援に入っている仮設住宅からも死後数日とみられる独居男性の遺体が発見され、「孤独死を予防したい と継続的な支援をおこなっていたが、そこにおこった孤独死という現実に、衝撃を覚えた。地域住民の命を守る共同のとりくみを強化、継続していくことが必要 だ」と。
 被災後の心身ストレスにともない、脳卒中、アルコール依存症などが悪化し、被災者の中に要介護状態に陥る人が増える危険性についても指摘。「予防も含めた息の長いとりくみが必要」だと語りました。
 福島の山口裕代議員は、今も続く民医連の看護師支援、医師支援に感謝を述べながら、「福島の子どもはがんで死ぬの?」と中学生の娘に聞かれたことを紹 介。「『学校ではみんなそう言っている』と言う。『今すぐにでもがんで死ぬのだ』とおびえていたのかと思うと、胸が痛くなった。原発事故を繰り返してはな らない」と強調しました。

ネットワークづくりに挑戦

 地域で命を守るネットワークづくりに挑戦してきたとりくみの報告も。
長野の根本賢一代議員は、高齢化率二六%の地域で、上伊那生協病院の医療・介護のネットワークづくりにとりくんでいることを発言。二〇〇六年に一四四床の 病院として誕生した上伊那生協病院は、同院の回復期リハビリ病棟の退院患者三三九人中、九五%にあたる三二一人が救急病院を中心とした他病院から紹介され て入院した患者であり、同病棟の退院患者中七六%が在宅に復帰している(二〇一〇年度)と紹介しました。
 退院後も訪問看護、訪問介護、訪問リハビリなどを積極的に展開するなかで、他の医療機関からも「地域になくてはならない病院」との評価が。地元の医師会 長からも「質の高いリハビリ病院があることは住民にとって心強い。上伊那生協病院の発展の根底には、患者の権利を尊重し、安心して病とたたかう場を提供す るという揺るぎない理念があった」と評価されていることも語られました。
 福岡の田中清貴代議員は、大牟田市における認知症患者の見守りネットワークづくりを紹介。市とも連携して「徘徊ネットワーク」を構成し、認知症患者が行 方不明になったときは地域の連絡網などを通じて捜し、職員も捜しに出るしくみをつくったことや、法人内に認知症予防推進委員会を設け、会議に毎回市職員も オブザーバーとして参加してもらい、連携を強めていることなどを話しました。

自分史語り、次世代養成へ

 青森民医連の中嶋香織代議員は「民医連スピリットを継承するために」と題して発言し、次世代の民医連職員を育てるとりくみを紹介。
 上司が部下に自分史を「失敗談は隠さずに、武勇伝は少なめに」語ってもらうことで、「青年職員も自分もまだまだ成長過程なんだと勇気づけられている」 と。「ここにいるみなさんも『困難や失敗をのりこえていまの自分があるんだよということを自分の県連で語り継いでほしい』」と発言しました。

いつでも元気 2012.5 No.247

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