いつでも元気

2011年12月1日

特集1 おかげさまで MINIREN いつでも元気 創刊20周年 ─お祝いのメッセージ─

 創刊号(1991年12月号)から数えて、本号で20周年。「共同組織と民医連の共同の機関誌」として創刊された『いつでも元 気』は、いまや共同組織、民医連だけに留まらない幅広い方に読んでもらえる雑誌へ成長しつつあります。5人の方にメッセージをよせていただきました。

ご繁栄をお祈りします

エッセイスト・海老名香葉子さん

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海老名香葉子さん
 1933年、東京生まれ。落語家の林家三平氏と結婚。夫の死後、30人の弟子を支え、マスコミでも活躍。著書に『うしろの正面だあれ』(金の星社)、『毎日が楽しいあいうえお』(小学館文庫)他多数。

 『いつでも元気』創刊二〇周年、おめでとうございます。
 おかげさまで私もあと二年で八〇歳になります。先日の私のバースデイでは、子どもたち、孫たちがそろって祝ってくれました。ラグビーでがっしりとして、 ゴリラのような高校二年生の孫坊が「バアバ、お誕生日おめでとうございます。健康で長生きしてください!」とメッセージつきの小さな花束をくれました。こ の子が花屋さんでこの花を買っている姿を想像すると、吹き出してしまいそうです。そしていつも「コラ!」なんて怒っている私にこんなふうに思ってくれるな んて、涙がこぼれそうになりました。
 長生きできてよかった、と思わずにはいられません。その気持ちが亡き夫のお弟子たちにも伝わり、それぞれがおめでとうと言ってくれました。「まさか、お かみさんがこんなに生きるとは思わなかった!」と言う声もあまりに多くて、あらためて自分の元気さに気づきました。
 決して私は丈夫な体ではありません。三八歳のとき一門の行事があって心筋梗塞で倒れ、緊急入院で一命をとりとめました。真打の行事の夜に「死んでもいい わ」と働いて会の成功につとめたものの、それから三度も倒れ、死ぬほど働いちゃ駄目だと悟り、以後、体に気をつけながら働くことにいたしました。
 そりゃ永年使ってきた体、ガタガタして当たり前、そう思うと気丈夫と言うのでしょうか、少々のことではへこたれなくなりました。お医者様を信じ、体を横 にする時間を十分とり、あとはこだわらず何でも食べて、外出したくないときは坐って口だけよくしゃべり、眠る前のお布団の中で歌を歌ったりし、自分の体は 自分で守って、いざと言うときは病院へ飛んでいきます。民医連がついていると思うと、心強いのです。
 そしてお医者様はお友達ではありません。私にとって偉い方なのです。その偉い方がやさしい言葉、病気についてくわしく教えてくれてこそ、尊敬の念が持て、信じ、やすらかな気持ちになれ、感謝の気持ちになります。
 益々元気な私が、心からご繁栄をお祈りします。

1991.12→2011.12

必要な情報伝える『元気』

写真家・森住 卓さん

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森住 卓さん
 1951年、神奈川県生まれ。在日米軍基地、核実験被曝者、チェルノブイリ原発事故、イラクの劣化ウラン被害、アフガン戦争、イラク戦争、パキスタンや 四川の大地震、福島原発事故などを取材し、世界を駆け回る。11月末、改訂版『セミパラチンスク 草原の民・核の爪痕』、『福島第一原発 風下の村  Down Winters』出版予定。写真は原発事故直後、福島第一原発西門でのセルフポートレート。

 創刊二〇周年。おめでとうございます。
 すごいです。継続は力なりです。その力を私たちフリーのフォトジャーナリストにもわけていただき、感謝しています。
 私の所属する日本ビジュアルジャーナリスト協会(JVJA)のメンバーは、3・11の巨大地震発生直後、いっせいに動き出しました。私をはじめ、核問題 を追いかけていた仲間は福島に入り、政府が隠していた核汚染の実態をいち早く明らかにしました。
 当時、企業ジャーナリズムの記者は、福島第一原発三〇キロ圏内への立ち入りを会社から規制されていました。「危険だから」という理由で。一方で、彼らの 流す情報は「直ちに影響はない、念のために避難」など、東電や政府の情報をたれ流していたのです。そのような状況の中で、私たちJVJAの仲間は汚染の実 態を明らかにしてきました。そして『いつでも元気』は、私たちの活動を取り上げてくれた数少ないメディアでした。
 3・11以後、日本は大きく変わろうとしています。原発事故を機に、情報を隠され「安全神話」に洗脳されてきた市民が、横っ面を大きな金属ハンマーでぶ ん殴られたようなショックを受け、目を覚まさせられています。「私たちはだまされていたんだ」と気づいた人たちにとって、もっとも必要なものは本当の情報 です。しかし、大手メディアはいまだに原発利益共同体の腐った甘い汁を吸い、そこから抜け出していません。そんなとき『元気』は、大切な情報を提供し続け ています。
 放射能という見えない敵とそれを覆い隠そうとする敵、二つの敵とたたかわなければならなくなった今、科学的な知見にもとづいた冷静な情報、被害者に寄り添った現場からの情報が必要です。
 そんな期待に応えてくれるのが『元気』です。今ほど必要とされているときはありません。病院内の雑誌にしておくのはもったいない。書店での販売や公立図 書館などに購入を求める運動など、もっと幅広い市民が見てくれる環境をつくったらいかがでしょう。

『元気』は『えがお』だった!!

 創刊当初、『えがお』という名前だった。しかし他に『えがお』『笑顔』という雑誌もあったため、第3号から今の名前に。


『元気』は大きな励まし

創刊メンバー・高橋孝治さん

(元全日本民医連共同組織活動交流全国連絡会代表委員、前『元気』編集委員)

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千葉健生病院健康友の会ニンジン班で、従軍体験を語る高橋孝治さん(今年8月)

 二〇周年を心からお祝いします。前途には限りない確信と希望を持ちながらも、当面の厳しい現実に立ち向かわなくてはならない私たちに、『いつでも元気』は内容、普及両面から大きな励ましをあたえてくれています。
 先日、久しぶりに健生病院の健康友の会事務所に顔を出したところ、デッカイ看板づくりにとりくんでいるのに出会いました。「あなたと民医連をつなぐ『いつでも元気』」の文字が目に飛び込んできました。
 共同組織拡大強化月間に「何としても五〇部増やそう」という仲間たちの意気込みに圧倒されました。この仲間の力が今日までの、そして明日からの『元気』 を支えているのだと思うと、思わず目頭が熱くなるのも歳のせいでしょうか。あらためて創刊メンバーの一員になれた喜びをかみしめました。
 創刊当初は、共同組織活動交流全国連絡会のメンバーも「私たちの雑誌を絶対成功させよう」と意気込み、会合のたびに必ず内容や普及問題に意見を交わしま した。これはそのまま、共同組織から選出された『元気』編集委員に引き継がれていきました。

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友の会の仲間が作成した、購読を訴える看板

 巻頭エッセイ筆者の選定からはじまって、イラク戦争など国際問題、社会問題へのとりくみ、医療事故の解明など、畏友松尾泉君や小山正助君(ともに元編集 委員)、西原博子さん(前編集長)はじめ編集部のみなさんと喧々諤々の話し合いをしたことを思い返しています。
 『元気』拡大にとりくむわが友の会のみんなと話し合うなかから、「絵手紙や読者の声、あらかるとなど、後ろの方から読み始める」「何といっても健康、介 護の記事への関心が強い。これからもっと強くなるんじゃないか」などの指摘がありました。
 民医連と共同組織が掲げる『元気』一〇万部普及のためには読者層拡大の工夫と、編集内容における柔軟な対応が緊急の課題になっています。共同組織活動交 流全国連絡会と編集委員、編集部のみなさんのさらなる検討を期待しています。

実は欠番がある?

 1991年12月号が第1号なら、2011年12月号が241号になるはず。それなのに、本号は242号。数え間違い?
 それとも欠番があるのか? …実は1995年発行の臨時増刊号を第48号にしてしまったのです。その後の臨時増刊号は号数を割り当てられていません。

 

自信もってすすめられる

編集委員・尾鍋トシ子さん

(全日本民医連共同組織活動交流全国連絡会委員)

 『いつでも元気』に初めて出会ったころ、劣化ウラン弾が原因と思われる奇形児がイラクでたくさ ん生まれているというショッキングな写真を目にしました。森住卓さんの写真で、そのときの衝撃は忘れられません。それ以来、私は森住さんのファンになりま した。今でも森住さんの記事が載ると一番に読み、写真のリアルさ、文章のわかりやすさ、時宜をえた内容に「さすが」と感心しています。
 友の会活動に関わるようになって、『元気』は私の活動の支えになっています。全国の共同組織のとりくみがよくわかり、「これなら私にもできるかな」な ど、参考にしています。無料・低額診療事業やお年寄りの居場所づくりなど綱領の実践は、民医連ならではの先進的なとりくみだと自慢したくなります。全体を 通じてきれいなカラー刷りはとても見やすく、「あまり字は読めない」とおっしゃる方にも「写真を見るだけでも楽しいですよ」とおすすめしています。
 他団体の方にも『元気』をおすすめしています。自信をもってすすめられるのは、タイムリーでリアルな記事にくわえ、民医連の情報網の豊かさ、人権のアン テナの高さが感じられる内容だからです。全国からよせられるたくさんの投書、医療・介護の専門家の適切なアドバイスに、どの方も「いい雑誌だ」と言ってく れます。
 今、私は五〇部の『元気』を配っています。配達の活動も、みなさんとのつながりを実感できる、私の大切な財産です。夫の協力も得ながら、もう少し増やし たいなと欲張っています。私が所属する名南健康友の会(愛知)でも、『元気』を四四〇部に増やそうと話し合い、職員の購読率アップや、班会での読み合わせ などに積極的にとりくんでいます。
 わが家の本棚には一五〇冊近くになった『元気』がならんでいますが、民医連の運動の歴史でもあります。時々、どの号となく引っ張り出して見ては、その 時々のことが思い出されて楽しく、本棚の前に座り込んでしまうことも。誌面充実と拡大に、これからもがんばります。

民医連の救援活動をとりあげてきた『元気』

 阪神大震災(1995年)、有珠山の噴火(2000年)、新潟中越地震(2004年)、能登半島地震(2007年)、今年の東日本大震災など、民医連の被災地支援活動を伝えてきた『元気』。
 東日本大震災(今年5月号)では、坂総合病院(宮城)近くの石油コンビナートが燃え続け、津波警報で住民に緊張が走るなど、現場ならではの緊迫感ととも に民医連の支援活動を紹介。「さすが民医連」「涙ながらに読んだ」などの感想が寄せられました。

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さらなる普及めざそう

全日本民医連理事・共同組織委員長・谷井 実さん

 『いつでも元気』は、創刊当時から購読していましたが、人に購読をすすめることはありませんでした。しかし二〇一〇年二月の総会で全日本民医連理事に選ばれ、縁あって共同組織委員長の任を得て、『元気』を広める立場になりました。
 あらためて『元気』を読み直すと、もちろん商業週刊誌などとは違い、私たちの日々の診療や活動に直結した内容がたっぷり掲載されています。自分の県連(愛媛県民医連)や、近くの県連の記事も取り上げられることもあり、身近です。
 そして多くの記事が、職員や共同組織の人々の生の声で構成されています。記事にマッチする人物や風景の写真、表紙を飾る人々の表情は、私たちを元気にし てくれます。とくに「ぶらり探訪」は毎回楽しみにしています。ほっと一息でき、写真も豊富。まるでそこにいるかのように思わせてくれます。「医者の言い 分・患者の本音」は私自身、日々の仕事の参考にさせていただいています。
 これらの魅力を再発見し、自分が所属する愛媛医療生協の職員や役員さんなどに「少しでも多くの人に読んでほしい」と、会議などいろいろな場を利用して購 読を訴えてきました。医療生協の組合員さんには、医療福祉生協連の情報誌『コムコム』とセットですすめ、法人独自に「セット割り引き」もおこなっていま す。
 現在、職員の会議や医療生協の班会などで、『元気』は『コムコム』とともに学習会の資料として活用されています。これからも全日本民医連理事として、さらなる普及をめざします。
 まだ読者でないというあなたもぜひ読者に!

こんなところにも役立つ還元金

 『元気』では5部以上の集金・配達を担当する「販売所制度」が。この制度を活用すると販売所には1部100円の還元金が。還元金を使って送迎車購入、無料低額診療事業の適用となった患者さんの薬代補助、車いすを病院に贈呈するなど、さまざまなとりくみがされています。


多彩なエッセイスト

 脚本家のジェームス三木さん(1992年8月号)、俳優の愛川欽也さん (1996年8月号)、吉永小百合さん(2000年1月号)など、多彩な方々が登場してきた巻頭エッセイ。俳優の宝田明さん(2010年10月号)、漫画 家のちばてつやさん(2010年1月号)、元プロ野球選手の張本勲さん(2009年1月号)なども登場し、反響を呼びました。

 

社会問題をわかりやすく

 社会保障や平和問題など、社会問題をわかりやすく伝えてきた『元気』。07年8月号では後期高齢者医療制度の問題点をわかりやすく紹介。介護保険問題でも、必要な介護が行き渡っていない現実を告発。原発もその危険性を取り上げてきました。

 

この人も民医連の患者さんだった!?

 今年の新年号では、詩人・柴田トヨさんが登場。「民医連の患者さんだったんだ!」と評判に。2004年には亡くなった蟹江ぎんさんの長寿の秘密に迫った記事(2004年4月号)も登場。ぎんさんも民医連の往診患者さんでした。
 2009年10月号の表紙はノーベル物理学賞の益川敏英さん。益川さんも民医連の友の会員で『元気』読者です。

 

カメラマンの協力で世界の戦争、放射能被害を報道

 カメラマンの協力で、世界の戦争被害、核実験被害、チェルノブイリの原発事故の被爆者の実態などを貴重な写真、証言ともに紹介。「ためになった」と評判、『元気』の魅力のひとつとなっています。

今後ともご愛読、さらなる普及をよろしくお願いします

 『元気』は、全国の読者とともに、販売所をはじめ、集金・配達をされているみなさんの力に支えられて20周年を迎えることができました。
 今後とも末永くご愛読、お力添えをよろしくお願い致します(編集部一同)。

いつでも元気 2011.12 No.242

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