いつでも元気

2011年10月1日

元気スペシャル 「お茶っこ会」で深めるきずな 仮設住宅に出向き、入居者はげます 岩手・盛岡医療生協

 岩手・盛岡医療生協では、本部がある盛岡市から、東日本大震災で大きな被害を受けた大船渡市の仮設住宅まで出向き、入居者を対象とした「はつらつお茶っこ会」を開いています。

医療支援きっかけに市から要請

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風船ゲームに大きな歓声があがる

 「お茶っこ会」は、同市にある五つの仮設住宅で、六月末から週一回ずつ開かれています。同医療生協の職員が部署ごとにシフトを組み、車で片道約三時間かかる道のりを通っています。
 きっかけは、大震災の直後から入った民医連の医療支援です。大船渡民主商工会の事務所を拠点にとりくまれた医療支援が一段落して、避難所でのリハビリ支 援に移行。その後、同市から「仮設住宅でも支援を継続してほしい」と要請されたのでした。
 八月一二日、同市大立地域の仮設住宅(約六〇戸)で開かれた「お茶っこ会」。敷地内に設けられた談話室に、五人の女性たちが集まりました。血圧測定、ス トレッチ体操のあと、お茶を飲みながら、風船が床に落ちないようトスしあうゲームを楽しみました。

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血圧測定の結果は各自のシートに記入され、体調の変化を把握できるようにしている

 同仮設住宅には、もともと同じ集落に住んでいた方々が入居しています。お互いが顔見知りとあって、終始なごやかな雰囲気。「あのジャンプがすごかったね」「次は風船三つに挑戦しよう」など、会話もはずみます。「みんなにおもしろかったっていいふらして歩くべ」と笑顔も。
この日は、在宅総合センターひだまり・センター長の鈴木幸子さんら、看護師やケアマネジャーなど四人の職員が参加しました。「被災者の力になろうと思って 来ているのに、入居されているみなさんの笑顔を見て、『こちらのほうが元気をもらった』という職員も多いんです」と鈴木さんは話します。

 

苦しみを語りあうことも

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大立地域の仮設住宅

 ときに、苦しい胸の内を語りあう「お茶っこ会」になることもあります。家族・友人を失った悲し みや、生活の見通しが立たない不安は、多くの入居者に共通しています。住み慣れたわが家を失い、「いまからローンを組んで家を建てるなんてできない」 「(仮設住宅も)二年で出ていかなきゃいけないというし、どうすればいいんだろう」など、切実な不安が語られます。
 家族の介護をしていたり、足腰が悪かったりして「お茶っこ会」に来られない入居者のことも、鈴木さんには気がかりです。「お茶っこ会」におさそいするた め戸別訪問したお宅で、「妻を介護していて、手が離せない」という高齢の男性にも出会いました。
 「要望を聞き、人と人をつなぐコミュニティーをつくるために、入居者のみなさんに寄り添っていきたい」と鈴木さんは語ります。

沿岸地域の組合員宅も訪問

 大震災で大きな津波被害を受けた三陸海岸沿岸地域は、盛岡市から一〇〇キロ以上離れています。 しかし、実はこれら沿岸地域にも、大船渡市や陸前高田市を中心に約一一〇〇人の盛岡医療生協組合員がいました。地元の民主商工会がおこなっている「民商健 診」で、年一~二回職員が出向いていた地域だったからです。
 交通網が復旧し、ガソリンや支援物資の確保にも目処がついた四月九日、沿岸地域への組合員訪問を始めました。職員と組合員がいっしょになってとりくんだ 訪問活動は三九回に及び、約四五〇人の組合員に会って無事を確かめることができました。

がれきをかきわけ訪問

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目印になる建物もない大船渡市赤崎地区(4月)

 「名簿をもとに、組合員さんのお宅のある場所を大きい地図に書き込んで訪問したんです」と話すのは、同医療生協副理事長の遠藤寿美子さんです。「ところが、行ってみるとあたりは津波で押し流されて、がれきばかり。目印になる建物さえなかった」と。
 地図を片手に組合員宅を一軒ずつ探しまわり、足を棒にしてたどり着いたお宅で、出会った組合員とともに涙したことも。「『生きていた』と『出会えた』と いう二重の意味で奇跡のように感じて。お届けした支援物資もたいへん喜ばれました」と遠藤さん。
 同医療生協理事の山本章子さんも訪問活動に参加した一人です。山本さんは陸前高田市の出身。同市内にある実家が津波の被害に遭い、兄を失いました。
 震災直後、陸前高田市に向かった山本さんは、津波でまるごと消えた故郷のまちなみを見て「こんなに小さい町だったのかって呆然としてしまって。これでも う墓参りしか用がなくなったと思った」と、当時の心境を話してくれました。
 しかし、必死に生きようと支えあう同級生や知人たちの姿を目にして、「この人たちのために、やれることをやろうと思い直した」と山本さんは語ります。

善意を寄せあい、支えあう社会へ

悲しい現実に無力感も

 被災者をささえるとりくみも五カ月を過ぎました。遠藤さん、山本さんらは「失業して、収入の途 を閉ざされた」「家族を避難させて、別々に暮らしている」「孤児になった甥をひきとった」「環境が変わって、おばあちゃんの認知症がすすんだ」など、多く のつらい現実に直面してきました。
 「正直言って、無力感におそわれることもある」と遠藤さん。「みんなで支えあおうとか、頼りになる医療生協になろうとか言ってきたけれども、言葉だけの 理解だったのではないかって」。いまなお苦しみの中にある被災者を思いやりながら、もどかしい思いを率直に語ります。「もし沿岸地域に医療生協の支部や日 常的なつながりがあったら、救援活動ももっと大規模に広い範囲でできたのではないか」とも。

これからが私たちの出番

 五月には、被災者といっしょに盛岡市内の石割桜を見にいくバスツアーをおこないました。
 「一瞬でも不幸を忘れて笑ったり、人が心で結びついたりする瞬間があれば、きっとそれが生きる力になる。たいへんな状況のすべてを救うことはできなくて も、小さなつながりを積み重ねて善意を寄せあえる社会をつくっていきたい。震災を機に出会った沿岸地域の組合員たちとも、健康チェックや食事会などのとり くみを通してきずなを深めていきたい」と遠藤さん。山本さんも「仮設住宅で孤立したりする方が出ないように、これからが私たちの出番」と応じました。
文・武田力記者
写真・酒井猛

避難所で90歳のお誕生会

宮城・坂総合病院友の会

 6月11日、当友の会は塩竈市・浦戸諸島の桂島で「健康相談会」を開きました。友の会員と職員の16人が参加。避難所になっている小学校の保健室が会場。顔見知りが多く、被災した住民どうしが声をかけあって暮らしているとのこと。
 話を聞くなかで、当日90歳の誕生日を迎えた女性のことが話題に。「みんなでお祝いしよう」と、急きょお誕生会。ご本人と、島民のみなさんの笑顔が印象的でした。(千葉林一)

 いつでも元気 2011.10 No.240

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