いつでも元気

2010年10月1日

特集1 「労働の尊厳」取り戻すたたかい 派遣法抜本改正にみる希望

 働いているのに貧困層に該当するワーキングプアが641万人に上ると、厚生労働省の研究班が初めて推計しました(07年時点)。働く人の約10人に1人という割合で、雇用環境の深刻さを裏付けるものです。これを象徴する派遣労働の問題には展望があるのか?
 労働問題を追うジャーナリストの寄稿です。

「普通に仕事して普通に暮らしていくことがなんでこんなに大変?」
と、派遣切りされた29歳は…


ベビーベッドが家族の「痕跡」

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「まともに働きたい」と訴えた全国青年大集会2010(5月16日・明治公園)

 「この国では、普通に仕事をして、普通に暮らしていくことがなんでこんなに大変なんですかね」
 昨年春に取材した、埼玉県内に住む元派遣労働者の男性(29)がうめくように言った言葉が今も耳に残っている。
 彼は、一昨年暮れに北関東の自動車部品工場で働いていて、契約途中で派遣切りにあって仕事を失った。次の仕事がなかなか見つからず、妻と長女との三人の 生活を維持できなくなった。彼は泣く泣く妻子を妻の田舎に帰し、一人で仕事を探すことにした。派遣労働の不安定さが改めて身に染み、正社員の安定した仕事 を探しているが、まだ見つからない。安定した仕事が見つからない限り、親子三人の生活に戻るのは難しい。かわいい盛りの三歳の長女の成長を見ることなく、 もう一年が過ぎようとしている。
 彼が冒頭の言葉を述べたのは、がらんとした六畳のワンルーム。片隅にビニールひもで縛られたベビーベッドが一つ置いてあった。「捨てられない」と言う。 それだけが、彼が家族を持っていた証しのように見え、切なさがこみ上げた。まったく同じ言葉を、前にも別の派遣労働者から聞いたことがある。
 また、現在派遣で働いている、都内に住むシングルマザーはこう言った。「私は悪い母です。子どもに母性も見せることができずに働いてきた」。彼女は、シ ングルマザーとなってから、ずっと非正規雇用で働いて、子どもを育ててきた。非正規を選んだのではない。小さな子どもを抱えては、非正規の仕事しかなかっ たのだ。
 職場の男性正社員は「ワーク・ライフ・バランスのお手本だ」と育児休業を取る。けれど、彼女は子どもが熱を出しても、仕事を休むこともできなかった。休 めば、仕事を切られる。熱にうなされる子を、一人残してでも職場へ行かねばならなかった。悔し涙にくれながら訴えた。
 「ワークがなければ、ライフもバランスもないんですよ」
 一五~二四歳の若年者と女性において、二人に一人が非正規雇用の労働者となって久しい。しかし、この数字の裏には、こんな切ない思いが積み重なっているのだ。

規制緩和が生んだゆがみ

 小泉純一郎元首相の時代に本格化した規制緩和・市場原理主義は、こうした低賃金、不安定な労働者を大量に生み出した。何よりも、企業利益の向上を目指したこの路線は、さまざまな分野でゆがみや痛みを生じさせたのだ。
 例えば、前述の元派遣の彼は、東北出身だ。彼が高校を卒業したころ、東北地方を始め、南九州などでは高卒者への求人が大きく減少していた。規制緩和路線 で地方が切り捨てられたことがその一因だ。求人倍率は一倍を切るところまで出始めた。「一倍を切る」ということは、地元に就職を希望する高校生が、全く選 り好みをせずに就職したとしても、仕事に就けない生徒が出てくるということだ。
 実際そうした地方では、就職希望の生徒の半数近くが職を求め県外へ流出する。しかし、首都圏に来たからといって、安定した仕事が多いわけではなく、派遣や契約社員などの雇用に就かざるを得ないのが現状だ。自ら積極的に非正規の仕事を選び取った訳ではないのだ。
 こうした状況下で、まるで環境を整えるかのように、労働者派遣法は「改正」を重ねた。一九九九年の派遣職種の原則自由化に始まり、製造業務解禁(〇四 年)など、極めて限定的に始まった派遣制度は、一般事務職を始め、製造現場まで常用代替を可能にしてしまった。さらに、より不安定な派遣の形態である日雇 い派遣も急速にその数を伸ばした。

「労働者使い捨て」は行政の誘導

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青年大集会で。壇上は京都のメンバー

 日雇い派遣が社会問題化した時、監督官庁である厚生労働省は「日雇い派遣というような働き方は、我々が想定していなかった雇用形態だ」と嘆いてみせた。 けれど、それは違う。厚労省は一本の通達を出している。それまで書面や相対で明示していた労働条件を、「メールで明示することも可能」とする通達だ。これ を機に、メールを使って人を集める日雇い派遣が爆発的に増加している。日雇い派遣を増やすという政策的誘導があったとしか言いようがない。
 ならば、二〇〇八年末の年越し派遣村に象徴されるような状況は、政治の責任で変えなければならない。雇い止めとともに住む場所まで奪われ、命まで危うくするような雇用の不安定さや労働者の使い捨てを許すような仕組みは。
 少子高齢化が進む中で、問題を放置したまま制度が温存されることは、日本の将来を危うくすることにもつながる。それは、派遣村を視察した政治家たちも、 その惨状を前にそう感じていたはずだ。だからこそ、現場に来た、民主、共産、社民、国民新など当時の野党幹部らは、口々に「超党派で派遣法を抜本改正す る」と訴えた。その中には、菅直人首相(当時は民主党代表代行)もいた。菅氏は「何年か後には、この活動が日本の雇用、労働問題の大きな転換点になったと 言われることは間違いない」とまで述べた。

「今すぐ必要なんだ」

 だが、どうだ。民主党を中心とした政権交代が実現したにもかかわらず、抜本改正はいまだに実現していない。菅氏が演説した時に、村民から「すぐやれ。 (抜本改正が)すぐ必要なんだ」とヤジが飛んだ。菅氏は「ヤジは慣れています」と受け流したが、今にして思えば、抜本改正の先行きを暗示するようなヤジ だった。
 それでは、政権交代後の政府が示した改正案はどんな内容だったのか。この間、出てきた派遣法改正案の変遷をたどりながら見てみたい。

派遣法改正案はどう変わったか

 最初の改正案は、自公政権時代に出された案だ。当時経営側は、警備、建設を含む派遣労働の全面解禁をもくろんだ。だが、日雇い派遣が社会問題化したこと から全面解禁をあきらめ、日雇い派遣を原則禁止する方向を打ち出した。派遣法が初めて規制強化されると話題になったが、抜け道だらけ、加えて派遣切りへの 対応もない「名ばかり改正」だった。しかも、「ミスマッチの解消」を名目に、「事前面接の解禁」という、規制緩和がちゃっかりと潜り込んでいた。
 これを強く批判する形で、野党の民主、社民、国民新の三党が改正案を作った。三党案は、製造業務に新たに「専門業務」を設定した上で、製造業務と登録型 の派遣禁止を盛り込んだ。違法派遣については、違法行為があった場合、派遣先(就労先)が労働者に雇用契約を申し込んだとみなす「直接雇用みなし制度」を 導入、期間制限違反の場合は「期間の定めのない直接雇用」に変更できるとした。新たな「専門業務」が何を指すのかには疑問が残るが、派遣先への団体交渉応 諾義務も課すなど、派遣先責任を明確化した点では「抜本改正」の名に値した。

政権交代後に変質した改正案

 ところが、この“素晴らしい”案は政権交代後の与党案(同じ民主、社民、国民新)になると、姿形を変える。製造業務では「常用型派遣」を「比較的安定し ている」として禁止から除外し、団交応諾義務など派遣先の責任強化の項目は落とされた。「みなし雇用」の規定は適用のハードルが高くなり、直接雇用の期間 も「期間の定めなし」(無期雇用)がなくなった。さらに、自公政権時代の規制緩和である「事前面接」がこっそり復活していたのだ。強力な責任規定である 「みなし雇用」は何とか残ったが、骨抜きに近い。しかも法の施行は三年後であり、最大五年間もの猶予が与えられた。
 この改正案は国会に提出される前の段階で厳しい批判を浴びた。結果、事前面接解禁は当初案からは削除された。事前面接に最も敏感に反応し声を上げたのは、実は派遣で働く当該労働者たちだ。
 事前面接は「彼氏はいるのか」とか「子どもを作る予定か」などと女性差別の温床になっていることを身をもって知る女性労働者たちが怒りの声を上げた。禁 止されている今でも、違法な事前面接が横行しているのに、それを追認するかのように合法化することは許されない。与党も反発の声の大きさに驚き、慌てて解 禁する条項を削除したのだ。

当事者の勇気ある告発が切り拓く

事態は予断を許さない、だが…

 当事者が勇気を持って声を上げ、事態を切り開いた。私はここに、新たな労働運動の希望を感じる。
 事前面接に限らず、みなしの期間や常用型を除外したことなどに対する当事者たちの怒りは大きく、ねばり強く反対の声を上げ続けた。ある労組幹部は「みな しも入ったし、この案でも良いかとも思ったが、あそこまで当該(労働者)が反対する姿を見て、これで良い、とは言えないと思った」と語る。
 もちろん、派遣法改正を巡る動きは予断を許さない。「早期成立」を謳う民主党がどこまで本気なのか、指摘されている問題点を見直す気があるのか分からな いし、派遣法を都合良く使いたい側の巻き返しも本格化するだろう。しかし、ファイリングやOA機器操作など今や誰でもできる技術まで「専門業務」として派 遣に押し込む専門二六業務の見直しを含め、当事者たちが実体験から告発する問題提起は無視できない。前述した労組幹部のように、見て見ぬふりはできないと いう共感と連帯が広がり始めている。
 「普通に働いて、普通に暮らす」。こんなささやかな願いは、実は「労働の尊厳を取り戻す」という根本的な要求だ。誰かが用意した言葉ではなく、当事者たちの生きた言葉が新たな連帯を作ることを期待したい。

東海林 智 (毎日新聞記者、新聞労連委員長)
とうかいりん・さとし 一九六四年山形生まれ。労働や貧困の問題を幅広く取材。年越し派遣村には実行委員として参加。主な著書に『貧困の現場』、『派遣村~国を動かした6日間』。八月から新聞労連委員長。

いつでも元気 2010.10 No.228

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