いつでも元気

2010年6月1日

元気スペシャル 「貧しい」医療大国 キューバ

野口昭彦
全日本民医連事務局

 昨年の視察(09年5月号掲載)に続いて二回目となる“全日本民医連キューバ医療視察”(二〇一〇年一月一六~二四日)がおこなわれました。今回は医師四人、医学生一人、看護師三人、薬剤師一人、事務二人、共同組織六人、職員家族三人が参加しました。

国民全員に主治医がいる

「テロ支援国家」!? キューバ

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ピナール・デ・リオのファミリードクター、ロレイレさんに額を贈呈する団長の早川純午副会長(右)

 初めての海外。しかも二日かけてようやく辿り着く地球の裏側。あまりの遠さに、正直尻込みする思いはあったが、「自己責任論」が跋扈する日本を抜け出し、医療と教育の機会が等しく保障されている社会主義国キューバを肌で感じられたことは希有の体験となった。
 ところが、そんなに遠くまで行ってきたのに、パスポートにはキューバ入出国の印は無い。アメリカから勝手に「テロ支援国家」の烙印を押されているキュー バでは、他国に入国する時の支障になることがあるために、本人があえて希望しない限りパスポートには刻印しない。キューバに滞在していた五日間、我々は地 球上に存在していなかったことになる。

 

キューバの保健・医療システム

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ピナール・デ・リオの住民

 キューバの保健・医療は三層構造といわれるシステムで支えられている。三層の頂点にはマイケ ル・ムーア監督の「シッコ」で一躍有名になったアメイヘイラス病院のような、ベッド数七五〇床、医師三五〇人・看護師八二〇人、年間手術件数一万八〇〇〇 例という大病院がある。
 しかし日常的に地域住民の健康をサポートしているのは、三層構造の第二層に位置づくポリクリニコ(地区診療所)と第三層のファミリードクター(家庭医) オフィスだ。ファミリードクターは各地に計画的に配置され、団地の一室などに住居を兼ねた診察室を構えている。だから無医村は無い。二〇~三〇ほどのファ ミリードクター・オフィスをポリクリニコが統括し、救急や検査、簡単な手術もカバーする。二層と三層は一体だ()。

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カルテ棚。地域住民すべてのカルテがある

 首都ハバナからバスで一時間半かけてピナール・デ・リオという農村部のファミリードクター・オ フイスを訪ねると、女性医師のロレイレさんがステキな笑顔で迎えてくれた。ロレイレ医師は、自分が担当する一〇〇七人の住民の中に妊婦が四人、乳児が一七 人、六〇歳以上が一六〇人、寝たきりの人が二人…とすらすら説明し、住民の健康状態をすべて把握しているようすだった。
 カルテ(記録)は家族ごとにまとめられ、さらに個人カルテがある。家庭環境や衛生状態、学校でのようすまで克明に記録している。のぞいて見るとスペイン 語でびっしりうまっており、カルテというより、まるでノートのようだ。予防接種の予定表までスケジュール化されていた。オフィスには、医療器具らしいもの はほとんど無いのだが、でもここには全住民のカルテがある。
 ピナール・デ・リオは、二〇〇八年のハリケーンの直撃を受け、吹き飛ばされた家屋などの傷跡がまだ残る街だ。それでも当時、人的被害を四人の軽傷者だけ にとどめられたのは、住民の避難に際して、こうしたファミリードクターの計画的な配置と存在によるところが極めて大きかったという。
 妊婦に対する一二回の定期健診や、きめ細かな訪問診察で、乳児・妊産婦死亡も低体重児出産もゼロ。バスの窓からは、ファミリードクターが三人一組で訪問している白衣の姿を数組目にした。
 今回の視察の冒頭で総括的なレクチャーをしてくれたキューバ保健省のポルティージャ医師が力説していたが、「医療機器は無いかも知れないが、肝心なのは 住民のすぐ隣りに良い医師、良い看護師がいることだ」という言葉がストンと胸に落ちた。

図 3層構造の医療体制
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東洋医学を操る国

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治療するギレルモ医師(左)寝ているのは、温熱灸の治療をうける筆者

 私は旅の途中で体調を崩してしまった。お腹はパンパンに張っているのだが、出る物が出てこない。
 そこで、視察団の二〇代三人組が初日の夜に偶然見つけていたハバナ旧市街のポリクリニコに、“突撃視察”と受診も兼ねて向かった。
 診察を待っていた少なくない患者さんや治療中の患者さんがいる中でも、日本の医師四人を先頭にした夜九時過ぎの突然の訪問団を、キューバの医師たちはとにかくウエルカムに迎え入れてくれた。
 ジロジロと遠慮無くあちこちを拝見させていただいたあと、身振り手振りで東洋医学の専門家というギレルモ医師に治療をお願いした。
 医師は、竹をカップのように切断したものを取り出すと、カップの内側を燃やして減圧し、それを腹に吸いつかせていく。次に取り出したのが線香を束ねたよ うなもの。「モグサ」と、ギレルモ医師の口から日本語が発せられる。そのモグサにも火を点けると、「サンリ」と二番目の日本語を口にしながら右足のすねの “三里のツボ”に温熱灸を施しはじめる。

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ハバナ旧市街

 ボクのまわりをカメラ片手に取り囲む視察団のメンバーは楽しそうだが、かなり “熱いっ!”。ギレルモ医師は仕上げにボクをうつぶせにすると、背骨を整体。ゴリゴリッとまわりにも音が聞こえる。整体後にフワッと力が抜けた感じがして 身体が軽くなった。最後に血圧を測ると、ギレルモ医師が親指を立てて「もう大丈夫」と笑顔をくれた。
 緊張していた身体と心が一気にリラックスした。非公式な訪問だっただけに、なおさらキューバ医療の本当の姿を体感する三〇分だった。外国人は自費だった はずだが、感激して医療費を払うのをすっかり忘れて帰ってきた。後日、日本のキューバ大使館にこのことを正直に話したが、「まったく問題ない」と笑われ た。
 ピナール・デ・リオのロレイレ医師もそうだが、キューバでは西洋医学と東洋医学の両方を修める医師が多く、“統合内科医”と呼ぶらしい。医師はたくさんいるが、物資はほとんどない「貧しい」キューバなら、当然の帰結かもしれない。

「魂も治せるような医者に」と医学生

若者に笑顔があふれる

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ポリクリニコの検査室

 ラテンアメリカ医科大学(ELAM)はステキだった。カリブ海に面した青色の広大なキャンパスは医学生たちの笑顔であふれていた。圧倒的に女性が多い。学費はもちろん、寮費も食堂の食事も無料という説明に、笑顔の土台を感じる。
 医学生の岩田くんが“どんな医師になりたい?”と、彼らに問いかけると「魂も治せるような医者」と即答。視察団から「おおっ」と声があがる。
 現在では東南アジア、中東、オセアニア、米国からも学生を受け入れており、およそ一〇〇カ国に門戸を開いている。アフリカの一〇四の部族も入学している。実に二万一五〇〇人もの外国人がキューバで、無料で医療を学んでいるという。
 マルチネス副校長はわれわれ視察団の目をしっかり見据えながらこう強調した。「考えてみてください。アフリカの部族をはじめとして、ここを卒業して医師 になって帰国すると、彼ら彼女らは自分たちの土地の言葉で医療ができるのです。患者にとっては、それが一番なのです。わたしたちの目的は、まさにここにあ ります」と。

 笑顔と希望、そして知識と友情に裏づけられた国際連帯の精神は、キューバだけのものではなく、世界に向けて人材として輸出されている。
 地球の裏側で見てきたものは、日本の「豊かさ」と「貧しさ」のものさしを根底から見直す「革命的な」体験だった。
写真・早川由美子/早川あかね

 

キューバ医療の根底には

革命の精神と人々の連帯があった

群馬大学医学部6年 岩田真弥

 「これまでこの地域で医療をおこなってきたし、これからもここで医療をおこなっていく」というファミリードクターの発言、ラテンアメリカ医科大学の学生の「魂を治す医師になりたい」という発言には胸が熱くなった。
 キューバの医学教育は実践的で、1年生の時から現場で患者と触れ合い、地域を感じる。見学したファミリードクター・オフィスやポリクリニコにも医学生や 検査の学生などがいた。みんな笑顔で、楽しそうで優しかった。それだけでなく女の子はみんな可愛かったので、惚れそうになった。
 キューバは、人のいのちと健康を本当に大事にする国だと感じた。社会から孤立している人はまずいない。「医療は医療者側と地域住民の共同の営み」という民医連に通じるところがあった。
 医療者の使命とは? 医療をするとはどういうことなのか。日々の仕事や勉強に追われていると、なかなかこのようなことを考えにくいが、自分たちが目指す べきものを明確にして、そこに向かっていく力を今回の旅でもらった気がする。医療はすべての人のいのちと健康を守るものだ。医療を地域住民とともにつく り、治療だけではなく継続的に地域に寄りそう姿勢と覚悟が重要だ。

いつでも元気 2010.6 No.224

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