いつでも元気

2008年7月1日

元気スペシャル  四川大地震 爆撃を受けた後のよう… 森住 卓フォトジャーナリスト

 中国四川大地震(5月12日)はマグニチュード8、阪神・淡路大震災の30倍ものエネルギーだったという。動いた活断層の長さは300キロ(東京 ―名古屋)と、とてつもない。国を挙げて救援にあたる中国は、19世紀的な人海戦術と、21世紀の最新鋭技術を駆使し、すさまじいエネルギーを発してい た。


genki201_01_01都江堰

余震で下敷き、3日ぶりに生還

 地震発生から五日目、四川省の省都・成都に着き、翌日、北西に五〇キロの都江堰に向かった。町に近づくと道の両側にビニールシートで覆った急ごしらえの小屋が並ぶ。かろうじて家の倒壊を免れた人も、たびたび起こる余震のために屋外で過ごさざるを得ない。
 町は至るところで建物が倒壊し、爆撃を受けた後のようだ。生存の可能性がある七二時間はとっくに過ぎていたため、生存者の救出より行方不明者の遺体の収容作業がおこなわれていた。

 アパートの倒壊現場では消防士や兵士たちが捜索活動を続け、周りは立ち入りを規制され、現場に近づくことができない。規制線越しに家族が憔悴しきった表 情で見守っていた。布団にくるまれた遺体が運び出されると母親が大きな声を上げて泣き崩れた。遺体は二歳の女の子だった。すぐに消毒され検死がおこなわれ る。母親がわが子の変わり果てた姿を見ないように家族や兵士が止めていた。

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15日に起きた余震で生き埋めになり、3日ぶりに生還した男性(都江堰、5月18日)

 町の中央に都江堰市民病院がある。ここも崩壊の危険があるため病院前の広場に急ごしらえでテントが作られ、救急医療センターになっていた。
 一時間ほどの間に四人の負傷者が運び込まれた。救助活動中に余震で建物が倒壊し下敷きになっていた男性が、三日ぶりに助け出された。頭に大けがをしていて、応急処置を受け、成都の中央病院に運ばれた。一日数百人のけが人や急病人が運び込まれてくるという。
 紫医院長は「スタッフは地震発生後、不眠不休で働いてきた。医薬品が足りない。みな家に帰らず、ここで寝泊まりしている。疲労の限界だ」といっていた。
この町は古代水利施設として世界遺産に登録されている。町の壊滅的打撃と比べ、南北朝時代に建てられた歴史的建造物は損傷を免れたものが多い。

被災した村人に食事をすすめられ…

通済鎮思文村

支援の遅れを怒る住民たち

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ボランティアが運び込んだ温かい食事を受け取る被災者たち(通済鎮思文村、5月19日)

 「昼ご飯を食べ終わった直後だった。たたきつけられるような縦揺れで、壁が崩れた。いっせいに家の外に飛び出して振り返ると、ものすごい埃を出して家が潰れてしまった」と村人たち。
 成都から北に五〇キロほどのところにある人口一〇〇〇人の通済鎮思文村。ここでは二〇人が犠牲になった。ほとんどが農業をしている。いまは小麦と菜種の 収穫と田植えが重なる忙しい時期だが、農作業はストップしたままだ。

 支援物資を届けにきたボランティアとともに村に入ると、住民が口々に「何もない、テントが欲しい、水道が壊れてしまった、食糧がない」と訴えてきた。
  村を案内してくれたジュウさん(59)は「政府はオリンピックのことは一生懸命やるのに、被災者には何もしてくれない」と支援の遅れを怒っていた。この村 は文字通り一〇〇%の建物が倒壊または半壊だ。住民は立てかけた柱にビニールシートを結わえてテントにしていた。

北川県擂鼓鎮柳村

長男が校舎の下敷きになり

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夕食を食べていくよう勧めてくれた家族(北川県擂鼓鎮柳村、5月21日)

 被害のもっともひどい地域の一つといわれた北川をめざして車で行った。成都から真北にほぼ一〇〇キロ。途中何カ所か警察の検問をくぐり山間部に入ると、山肌が崩落して無惨な姿をさらしている。あちこちで潰れた家から建材を掘り出し、掘っ立て小屋を作っている。
 夫と娘が潰れた家の下敷きになって亡くなったという女性(37)は「去年ブタを四万五〇〇〇元で買い、娘が一生懸命世話をして、もうすぐ出荷できるとこ ろだったのに全部死んでしまった。一人ではテントも作れない。余震が怖いけど部屋を片付けて寝泊まりしている」という。
 夕食の準備をしていた女性が一緒に食べていくよう勧めてくれた。じゃがいもとソーセージ、豚の内臓と野菜の炒め物、それに老酒のような酒も出してくれ た。夫婦には子どもが二人いたが、学校に行っていた長男が校舎の下敷きになり亡くなったという。夫が手ぶりで話すそばで、奥さんがそっと涙をぬぐってい た。
 現実は深刻だが村民の表情は明るく、とても親切なのが心に残った。
  北川中心部に入る手前で検問があり、先へは行けなかった。上流の谷が崖崩れで塞がれ、大きなダムができ、数日前から降り出した雨で決壊の恐れがあるという。下流域住民を避難させている。山の村を追われた住民が徒歩、小型トラクター、バイクなどで避難してきている。
 北川県当局は中心部の再建をあきらめ、別の地に町ごと移住する計画だという。二六日、綿陽市の体育館を訪れると、擂鼓鎮柳村の住民も避難してきていた。
 全容をはたして把握できるのだろうかと思われるほどの災害。しかし、被災した人々の生きる姿はたくましく見えた。

■ミャンマーと中国の災害支援へ募金のお願い 郵便振替口座:00130―9―464418、名義:全日本民主医療機関連合会。通信欄に「ミャンマー・中国支援募金」と記入してください。全日本民医連は5月16日、ユニセフに緊急に100万円届けました。

いつでも元気 2008.7 No.201

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