民医連新聞

2024年10月8日

連載 いまそこにあるケア 第13回 ケアを仕事にすることへの葛藤 文:八木尚美

 私は障害者支援の仕事に携わって6年になりますが、最近、この仕事に対する葛藤を感じるようになりました。
 私には難病疾患と身体障害を持つ弟がいます。16~22歳までの6年間、亡くなった母の介護も経験し、心身ともに限界に達したことから、「もう二度とケアにはかかわらない」と決めていました。しかし以前の職場である公立の学校図書館で、障害を持つ子どもたちやその保護者と接し、「なぜ、彼らは将来に希望を持つことが難しいのか?」「障害を持つ人にとって働くこととは何なのか?」といった疑問が生まれました。その結果、一度、障害者支援の仕事に挑戦してみようと転職を決意しました。
 この仕事に就いて、周囲から「家族の介護があるのに立派だね」といった言葉をもらうことも。しかし自分はそう思えません。私が知っているのは弟の病気や母のケアの経験で、この社会にあるケアのほんの一部です。「この支援でよかったのか」とふり返り、学び続ける毎日です。私は尊敬されたくてこの仕事に携わったわけではなく、常にモヤモヤした気持ちを抱えています。
 支援者と家族では、立場も距離感も違います。家族として「してあげたい」と思うことも、仕事としては実現が難しいジレンマに直面することもあります。
 さらに障害者支援で家族のサポートは欠かせませんが、家族としての負担感を強く感じることもあります。きょうだいとして仕事や家庭を持ちながら、病院の診察、役所の手続き、相談支援員との面談などにかかわることは、非常に難しいと感じます。
 利用者とともに家族も年を重ねていくなかで、家族としてどこまで支援に応えられるのか、不安が尽きません。家族とともに歩むつもりでいますが、心の中では「そんなに要求されても困る」という感情があるのも事実です。きょうだいや家族が何でもするのが当然という世界ではありません。
 親亡きあとは家族の希望と障害者本人の意向にズレが生じることもあります。このズレを摺(す)り寄せながら障害者本人が望む人生をどこまでサポートできるのか、もどかしい気持ちもあります。
 ケアを仕事にすることで、日々、さまざまな葛藤にぶつかっています。少しずつ気持ちの落としどころを見つけながら、自分にできることを模索し続けています。


やぎたかみ:ヤングケアラーとその家族のカウンセリングルーム「あしたの」代表

(民医連新聞 第1815号 2024年10月7日号)

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