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いつでも元気

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スラヴ放浪記 光になった夫 ウクライナの女性画家

文・写真 丸山美和(ルポライター、クラクフ在住。ポーランド国立ヤギェロン大学講師)

美しい庭で摘んだばかりのバラを飾り、ティータイム

美しい庭で摘んだばかりのバラを飾り、ティータイム

 先日、ウクライナの画家、スヴィトラーナに会った。ポーランドのクラクフで難民として生活していた時、筆者が支援した縁で友人になった女性だ。ウクライナに戻ったというので急きょ訪問した。
 訪問先はウクライナの首都、キーウ郊外の緑豊かな村。普段はキーウ中心部のマンションで仕事をしているが、夏の間はそこで過ごしているとのこと。家の近くには湖があり、周辺住民の憩いの場だ。
 キーウの地下鉄の終点で下車すると、スヴィトラーナが笑顔で待っていてくれた。車で20分ほど移動すると美しい森が現れた。舗装されていない道をゆっくり進み、自宅に到着。庭にはバラが咲き乱れ、サクランボが実をつけていた。
 スヴィトラーナの母と次男が迎えてくれた。二人もクラクフでの避難生活をしており、嬉しい再会だった。しかし大きな存在が欠けていた。スヴィトラーナの夫だ。

 スヴィトラーナはかつて、キーウで画家として活躍。大学で教鞭を執りながら、さまざまなアートプロジェクトに関わってきた。夢は夫と郊外に家を建て、自然の中で静かに暮らすこと。その夢を叶えたばかりの2022年2月、ロシアによるウクライナ侵攻が始まった。
 彼女は闘病中の母と当時16歳だった次男を連れ、クラクフに避難。しかし夫と長男は、ウクライナにとどまった。18歳から60歳の男性は徴兵の対象で、国外に避難できないからだ。家族離ればなれの生活が始まった。
 クラクフに逃れたばかりの頃、スヴィトラーナは悲しみと疲労でなにもする気力がわかずに苦しんだ。美術館を巡り、名作にふれて心が癒やされた。
 その後、難民支援団体が主催するアート教室に講師として招かれた。参加者の多くは自分と同じ難民の女性か子ども。共通していたのは自尊心が傷つき、自信を失い、表現することすら恐れていたことだった。
 「いまの自分の役割は、絵を描くことで心を癒やすこと」。絵画のワークショップを通し、難民であっても自分らしく生きる意味を、クラクフで見つけ始めていた。

 スヴィトラーナがクラクフで奮闘している頃、夫が苦しんでいた。家族との時間を何よりも大切にしていた夫は、妻の不在を受け入れられなかった。夫の精神状態は徐々に悪化。寂しさに耐えかね、妻に「いつ、帰ってくるの?」と尋ね続けた。
 もちろんスヴィトラーナもウクライナへ戻りたい。しかし母はポーランドの病院で治療を受けており、次男の成長と身の安全を守ることも重要だった。
 夫は料理が上手で、家庭を居心地のよい空間にしてくれた。夏を過ごす郊外の家は一緒に建てた。二人で木や草花を植え、野菜を育て、家の壁を塗った。
 昨年11月末に突然、夫の死の知らせが届いた。葬儀のために自宅に戻ると、夫と暮らした楽しい日々がよみがえった。「二人で建てた郊外の家を売ってしまおうかと思ったけれど、思い出はすてきなものばかり」。この家で暮らそうと決めた。
 しばらくすると、スヴィトラーナが大きな荷物を抱えて現れた。どこへ行くのか聞くと、笑顔で「湖に泳ぎに行きましょう。それからそのまま列車に乗って、ハンガリー国境沿いのカルパチア山脈へ行きます」と言う。
 そこには戦争のために夫や子どもを失った家族が多くおり、彼女の到着を待っているという。「ワークショップを頼まれました。人々と一緒に絵を描いて、心の傷を癒やします」。
 夫の死から時間が経ち、二人の思い出はスヴィトラーナの光に変わりつつある。「私はその光とともに、強く生きていくことに決めました」。
 湖に飛び込んだスヴィトラーナの後から、どこかの飼い犬が飛び込み一緒に泳いでいる。彼女の作品は、これからも多くの人の心を癒やすだろう。

いつでも元気 2024.8 No.393