民医連事業所のある風景 東京 大田歯科 患者のライフワークに沿った治療をともに立案 住みやすいまちづくりをめざして
大田歯科が1973年に開設されたときは大田病院の中にありました。開設当初に学生だった医師たちは、その後「東京に歯科を」の方針を実現するために、それぞれの場所に移り歯科診療所を立ち上げています。
当時の歯科業界は痛いところのみを治療することが大多数でしたが、大田歯科は口の中全体を診て、虫歯と歯周病とを両面から捉え治療をしていました。そのころは子どもの虫歯もたくさんある時代で、保育園の保護者会や班会にも頻繁に出かけていました。そのほかにも歯周病と生活習慣などの班会のために、地域に出かける毎日でした。
介護保険や歯科往診の概念がまだない時代から、病院を退院した人を皮切りに、歯科医師と歯科衛生士が自転車で訪問にとりくんでいました。やっと完成した入れ歯を持参して訪問したら患者が他界していて、事業所に戻ってから先輩の歯科衛生士が大泣きしていたこともあります。いのちを身近に感じ、患者との距離感を考える機会になりました。近年は在宅で最期のときを迎えることも多くなりました。歯科衛生士はがん終末期の人の乾燥と出血による汚染を丁寧に除去したり、保湿したりと、外来だけでは決して出会えない状況にもしっかり対応して医療を届けています。現在は運転手付きの往診車が3台あり、大田区の全域を訪問できる体制を整え、地域を支える存在になっています。
外来では高齢の患者も増えてきました。何十年も通院している患者は、なじみの歯科衛生士がいると世間話をしたり、お互いの近況を話したりします。なじみの患者は若手の育成にも大活躍です。「いいわよ、私を練習台にして。若い子を練習させてよ」と、職員一同、患者に育ててもらっています。また、長年大田歯科に通っていた患者が、当院までの通院が難しくなり通院先を近所の歯科医院に変更したものの、そこに通うことも困難になって再び往診でかかることも増えています。
ゆりかごから墓場まで、この地域で暮らし続けることをお口の健康から支える、頼れるスタッフが大田歯科の元気の源です。日々の診療が地域への営業と考え、個々のニーズを断ることなく医療を届け続ける診療所としてがんばっています。
ほかに大田歯科の特長として、外来でも往診でも嚥下状態の評価ができることをめざし、4人の歯科医師が嚥下内視鏡検査を行える体制で診療に臨んでいます。口腔内の維持や改善のみでなく、摂食機能療法やフレイルの対応などにもとりくんでいます。
歯科医師はもともと奨学生だった職員が4人も在籍しています。それぞれ家族も増え、この地域に根付いてがんばっています。
ちなみに開設当初に学生だった医師たちは、それぞれの場所でまだまだ現役で奮闘しています。
(大田歯科 高野祐子・田心一・諏佐史枝)