民医連新聞

2024年6月4日

連載 いまそこにあるケア 第5回 ケアと貧困の関係を考える 文:亀山裕樹

 私は小学校高学年の頃から高校卒業まで、うつ病や不安障害のあるひとり親の母といっしょに暮らしました。この時の貧困下でケアをした経験をきっかけに、ヤングケアラーとその家族の暮らしについて研究を続けています。今回は、当事者としての経験をふり返りながら、ケアと貧困の関係を考えたいと思います。
 第一に、ケアを必要とする人がいる家族は、収入と支出の両面において貧困に陥りやすいと言えます。私の母は何度か働くことに挑戦しましたが、対人恐怖から職場の人間関係をストレスに感じたり、うつ病で文字を読むことが難しかったりして、長続きしませんでした。結果として稼働収入を得られず、離別した父からの養育費と私の奨学金で苦しいやりくりをしていました。また母はうつ病に伴う健康への不安があり、病気が治るという誇大広告の高額な家庭用医療機器を買ってしまいました。手持ちの貯金では足りず、親族からもお金を集めていました。このように、収入が少なくなりやすく、ケアとかかわって追加的な支出も生じるため、ケアを必要とする人がいる家族は貧困に陥りやすいのです。
 第二に、貧困下の子どもはそうでない子どもと比較して、ケアの経験も質的に異なってくると考えられます。私が高校生の時、母が突然引っ越しをしたいと言い出しました。私は反対しましたが、「心の病気がひどくなる」と言われて、母の言う通りにするしかなく、最終的にはお金がないためとても狭い家に引っ越しました。私は高校生なのに自分の部屋がなく、安価なついたてでワンルームを区切って暮らすことになりました。家ではお互い何をしているかが見えて音も丸聞こえで、落ち着いて休めませんでした。当時、私は母への感情面のケアもしていましたが、このような家庭環境のなかで疲れてストレスをため込んでしまい、学校生活がうまくいかなくなりました。
 こうした議論は親を責める方向に向かいがちですが、親も自身ではコントロールしきれない大変な状況で生活しています。子どもの貧困問題と同じ構図で、親を責めるだけではヤングケアラーの問題は解決しません。ふり返ると、私の場合、家族の生活をささえる制度やこの状況から抜け出す方法について、子どもといっしょに考えてくれる人がいてくれたらよかったと感じます。


かめやまゆうき:北海道大学大学院教育学院博士後期課程/子ども・若者ケアラーの声を届けようプロジェクト発起人

(民医連新聞 第1807号 2024年6月3日号)

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