いつでも元気

2008年1月1日

カムカム健康法(25) 入れ歯(義歯)のはなし(1)

江原 雅博(愛知・みなと歯科診療所)

 今回は、「義歯」のお話をしましょう。
 戦後日本人の平均寿命は飛躍的にのびました。しかし、永久歯の平均寿命は短いものでおよそ四五歳、長いものでも六四歳ほどで、二〇〇五年の日本人の平均 寿命(女性は八五・五歳、男性は七八・五歳、厚生労働省)と比べると、とても追いつかないのが現状です。

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戦国時代の尼僧の木製義歯

6人に1人は入れ歯が必要
 歯が抜けたままで放置すると、かむ力が低下し、顎関節に障害が出る、発音が悪くなる、顔つきが変わるなどの弊害がでてきます。日本の国民で義歯の必要な 人は、なんと二三〇〇万人、約六人に一人です。そのうち総義歯の方は八〇〇万人といわれています。
 一般に「入れ歯」と呼ばれる歯グキの上にのせる義歯には、大きく分けて二つの種類があります。
 歯がすべてなくなってしまった場合に入れる義歯を「全部床義歯」あるいは「総義歯」といい、歯の一部分を失った場合に入れる義歯を「部分床義歯」といい ます。部分床義歯は、クラスプと呼ばれる金属製のバネを、残っている他の歯にかけることで固定します。

江戸初期には専門家集団が
 アメリカ初代大統領ジョージ・ワシントン(一七三二~一七九九)も、入れ歯に悩まされていたといわれていますが、入れ歯の歴史は古く、五〇〇〇年前の古 代エジプトでは、金の針金で歯をつなぎ合わせた義歯らしきものがギザの墓場から発掘されています。日本でも、 弥生式土器の破片と一緒に古墳から蝋石製義歯が発見されています。
 しかし、今の入れ歯に近い物は、意外なことに日本で昔から使われていたようです。日本で現存する最も古い義歯は、全部「木(つげ)」でできたもの(写 真)で、使っていたのは、戦国時代、一五三八年に七四歳で亡くなった、和歌山市の願成寺の仏姫という尼僧でした。
 飛騨守柳生宗冬や大久保彦左衛門が義歯を使っていたというのは有名ですが、室町末期から江戸初期に「義歯をつくることを専門とする集団」ができ、江戸中期ごろには広く全国に普及しました。
 当時の総義歯は、形や機能は現代のものとほとんど同じで、実用性があり、なかでも顎に吸着させる方法で総義歯が作られていたことに驚かされます。

吸着式は欧米では19世紀に
 一七~一八世紀の欧米のものは、金属で作った入れ歯を上下に入れて、スプリング(バネの力)で支えていたので、装着しても不安定でした。食事をするのはほとんど無理で、見た目だけの入れ歯だったようです。
 日本より遅れること三〇〇年、一九世紀になってようやく吸着式の義歯が作られました。しかし、それはワシントンの没後のことで彼もスプリング付の義歯を使っていました。

いつでも元気 2008.1 No.195

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