民医連新聞

2023年8月22日

診察室から ともに病みうる人間として

 私は愛知出身で9年前に沖縄に移住し、沖縄協同病院で主に入院治療を経験し、その後、糖尿病・内分泌の専門医を取得、同院に帰任しました。そして一年前に、目標であった診療所所長に着任しました。
 沖縄本島南端の海が見える診療所で、有料老人ホーム、デイケアを併設しています。外来患者は7割が高齢者です。ホーム入居者、往診先もほぼ高齢者で麻痺(まひ)や認知症、末期がんなど、抱える疾患は多様です。
 その人たちが私に、一回性の取り替えのきかない、生命の重さを教えてくれています。数年前から老衰が進行し、徐々に食べる量が減り、体重も減少し、デイサービス、訪問診療・看護を利用しながら生活している患者がいます。脱水や、COVID―19罹患(りかん)などさまざまな危機がありました。中井久夫氏(精神科医)の『看護のための精神医学』のなかに、「医師が治せる患者は少ない。しかし看護できない患者はいない。息を引き取るまで、看護だけはできるのだ」とあります。「看護」は「介護」に置き換えることもできます。では、医師の役割は「治す」ことだけでしょうか。そうであれば、高齢者医療において医師の役割は小さいと言えます。
 誤えんや末期心不全、老衰でいったん入院するも、「今後は施設、在宅で看取り方針」となる人が増えています。末期がんで緩和ケアがメインとなり、自宅で最期まで過ごす人もいます。
 コロナ禍の病床ひっ迫時、施設クラスターでCOVID―19に罹患し、施設で最期を迎えた人も、日本中にたくさんいます。患者、家族、看護師、介護者のチームに医師は必須で、時に重大な決定のけん引役となります。役割は重く背中がきしむように感じますが、緊急往診時に患者、家族が私を見て安堵(あんど)の表情を見せた時、自分が救われたように感じます。誰しも老いて病気になります。ともに病みうる人間として、長生きが寿(ことほ)がれる世の中であってほしいと願っています。(長谷川千穂、沖縄・糸満協同診療所)

(民医連新聞 第1789号 2023年8月21日)

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