民医連新聞

2023年6月20日

紙面と写真でふり返る民医連70年

 民医連結成から10年後に創刊された民医連新聞。その掲載紙面と写真から今日までをふり返りました。

民医連新聞創刊(1963年)

 「健康と医療を守るたたかいの武器に」と全国民医連(当時)の須田朱八郎初代会長

老人医療費無料化(1973年)に結実した老人健診活動

 老人健診で、異常が見つかっても「医療費が払えず、病院にかかれない」との訴えが多かったことを東京・文京区の民医連が全国に発信。民医連は、健診活動と署名運動をすすめ、70歳以上の医療費無料が実現した(写真は、1967年の東京民医連で行われた老人健診。1968年7月21日号)

公害被害者の救済に尽力

 1950~60年代、急速に公害がひろがり、民医連は患者・家族をささえる活動を展開。熊本・水俣病のたたかいは水俣協立診療所(現・水俣協立病院)の設立にもつながった(1973年4月1日号)

山梨勤医協倒産(1983年)

 1983年4月、山梨勤医協が倒産。その教訓から、統一会計基準が作成され、患者と医療従事者の「共同のいとなみ」、共同組織と民医連の関係など、今日に受け継がれる理念が導かれた(1983年5月1日号)

被爆者とともに

 被爆者医療にもとりくんできた民医連。長崎の被爆者・松谷英子さんの原爆症認定を求める裁判は1988~2000年までたたかわれ、勝訴。民医連も専任者を配置して支援した(1990年9月1日号)

阪神・淡路大震災(1995年)

 1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生。近隣病院が機能停止するなか、神戸協同病院と東神戸病院は救急患者をことわらずに受け入れ、全国支援も受けて被災者救援に奮闘した(1995年2月1日号)

共同組織活動交流集会

 1991年から始まった共同組織活動交流集会。第5回の北海道・洞爺湖温泉での集会で「安心して住み続けられるまちづくり」が掲げられ、以降、共同組織活動の合い言葉に(写真は第5回集会の参加者。1999年6月21日号)

セラチア菌院内感染(2000年)をきっかけに

 大阪・耳原総合病院で発生したセラチア菌院内感染では、徹底した調査・原因究明が行われ、全国でも教訓が共有された(写真は、同院を運営する同仁会で行われた医療安全大会。2001年7月21日号)

辺野古支援・連帯行動(2004年~)

 

 2004年8月の米軍ヘリ墜落事故(沖縄県宜野湾市)を契機に、全日本民医連は同年10月より、辺野古新基地建設反対の支援・連帯行動を開始。今年5月の行動で第49次となった(写真は第1次。2004年11月1日号)

綱領改定(2010年)

 

 京都で開催した全日本民医連総会(2月)で49年ぶりの綱領改定(2010年3月15日号)

東日本大震災(2011年)

 広範囲で甚大な被害を及ぼした東日本大震災・東京電力福島第一原発事故。宮城・坂総合病院が救援活動の拠点となり、全国の支援者とともに救援活動にあたった(2011年4月4日号)

新型コロナ感染拡大(2020年~)

 2020年、新型コロナウイルスの感染拡大が本格化し、民医連でも懸命の医療・介護活動が行われた。写真は感染防護服などの支援物資を寄贈してくれた韓国の仲間たち(2020年6月1日号)

「民医連新聞」の誕生秘話
創刊時編集部の野口義夫さんに聞く

 全日本民医連結成10年の1963年1月、「民医連新聞」が創刊。創刊号の編集にかかわった、民医連退職者の会全国連絡会幹事の野口義夫さん(87)に話を聞きました。(長野典右記者)

 1953年に全日本民医連が結成したころ、全国方針や各県連への連絡は、「全国民医連」という手書きのガリ版刷りを各県連に送っていました。
 その後の10年で、加盟する病院、診療所の数が100から260、職員数も1500人から5000人になりました。組織決定した方針を職員に普及させるためには機関紙が必要と、「民医連新聞」の発刊を理事会が決定。「1961年に前の民医連綱領が決定したことや、医学生運動への全国方針を持つべきことも大きな要因」と野口さんはふり返ります。
 当時は3人の編集部でタブロイド判(現サイズ)4ページを月1回発行。入稿して校正まで2日で仕上げていました。刷り上がって完成した新聞は、いったん東京・池袋にあった全国民医連事務局(当時)に到着し、そこから4人の職員全員で各県連に向け仕分けを行い、最寄りの郵便局までタクシーで持ち込んでいました。
 新聞の企画や掲載記事は、「労災職業病や水俣病、被爆者医療など、すでに各地ですすんだ医療活動や、東西で開催されていた学術集談会(現在の学術運動交流集会の前身)、各病院の医報もあり、紙面の企画には事欠かなかった」と野口さん。
 創刊号には、北海道・黒松内診療所と鹿児島・奄美大島診療所の看護師5人ずつが参加した紙上対談を企画。「オンライン取材などできなかった時代。同じ質問を手紙で送って、編集部で組み立てた」と苦労を語ります。記事では、「どんなにして彼女らを対談させたかは秘密」と書かれています。
 現在の紙面について、職員の紹介や「北から南から」に掲載される各地でのとりくみ、「談話室」は職員が参加できるよい企画。「職員のトーク」に期待していると話しました。

(民医連新聞 第1785号 2023年6月19日)

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