民医連事業所のある風景 新潟 下越病院 地域包括ケアシステムを支える中心となる病院として
無産者医療同盟の意思を受け継ぎ
下越病院の前身である新津診療所は、戦前最後(1941年4月3日)まで無産者診療所の灯りを守ってきた無産者医療同盟の意志を受け継ぎ1953年に開設されました。開設に当たっては、無産者医療同盟の旧活動家農民の力に加えて、旧新津市(現新潟市秋葉区)は国鉄の要所で労働組合運動が盛んだったこともあり、多くの組合役員の力を借りるなどし、土地建物を30万円で購入し、診療を開始しました。
当時も医師不足で医師体制が不安定な状態が続き、所長の退職や開設1年4カ月で全焼にみまわれるなどの苦難もありましたが、地域住民に支えられ61年に診療所を有床化、76年100床の病院として下越病院が誕生します。79年から研修医の受け入れを開始し、診療科を増やしながら増床をくり返し、83年には313床まで拡大しました。その後、病棟再編を行うなかで290床まで病床を削減しています。2012年に移転新築を行い、現在は261床(DPC140、回リハ36、障害者41、地ケア44)となっています。
1979年から研修医受け入れを
下越病院は研修医の受け入れを歴史的に行っており、臨床研修医制度が必修化された2004年度には定員の3人をフルマッチで受け入れ、その後新潟県の受け入れ枠拡大に伴い、19年度には定員を6人に増やしました。23年度はさらに県からの要請もあり定員は8人となり、今年度6人がマッチし1年目からの受け入れ4人、2年目からの受け入れ2人となりました。県内の臨床研修病院の中では病床数は最小ですが、救急車の受け入れは年間2500台に迫る勢いで、数多くの症例を経験でき、研修内容は最高と自負しています。
初期研修1年目は総合診療科のローテーションから研修をスタートし、毎朝、指導医と一緒にカルテ回診を行い、1日の業務を整理して仕事に臨みます。総合診療科のローテーション後は内科系の診療科を中心に、地域医療・外科系などは民医連内診療所なども含めた院外の連携施設で研修を行うプログラムになっています。現在3年目3人、2年目3人、1年目4人が院内で元気にがんばっています!
地域包括ケアシステムを支える中心となる病院
新潟市は中央区を中心に44病院あり、新潟二次医療圏は県内で唯一病床過剰地域です。下越病院は中央区から少し距離がある秋葉区にあり、半径10㎞以内には慢性期を中心とした中小病院しかなく、当院が地域の二次救急を中心的に担っています。また、コロナ禍では確保病床を3~7床(フェーズにより増減)設置し、コロナ患者を受け入れ、さらに重点医療機関で受け入れが厳しくなった通常の二次救急患者も積極的に受け入れてきました。
下越病院は、前述した秋葉区を中心とした二次救急を担い、開業医からの紹介入院、老健・特養などの介護施設からの入院、在宅からの急変時及びレスパイト入院、さらには三次救急を担う病院からの転院の受け入れを行い、新潟県地域医療構想にある「地域包括ケアシステムを支える医療機関」として、今後も中心的な役割を果たしていきます。
(下越病院 事務長 富樫由希夫)