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民医連事業所のある風景 栃木保健医療生活協同組合 地域の人々が安心して立ち寄れる居場所をめざして

 栃木保健医療生協本部は創立以来はじめて移転をしました。あわせて、訪問看護ステーション虹、居宅介護支援虹、ヘルパーステーション虹、デイサービス虹の介護事業所群、1階には地域交流スペース「虹の杜」を設け、可動式の間仕切りを畳めば60人ほどが集えるフロアになります。栃木民医連事務局も一緒に引っ越ししました。
 当生協は、全日本民医連からの「すべての都道府県に民主診療所を」の呼びかけに応えた私たちの先輩たちの手によって1975年6月に誕生しました。支援者が所有する土地を購入して、2階建ての診療所を新築しました。隣県から派遣された医師1人でスタートしましたが、19床の病床を備えた重装備の診療所です。まだ医療体制の整備がすすんでいなかった宇都宮市郊外で、市営や県営の住宅が集中する人口急増地域であったことなどの条件も重なり、「誰にでも親切で丁寧な診療」がたちまち評判となりました。職員は地域の期待に応えるべく、文字通り昼夜分かたず奮闘しました。

経営危機から学んだ民主的運営

 しかし、「いい医療を提供すれば患者は増える」と規模に見合わない高額な検査機器を次々購入し、創立から5年で1億円の負債を抱えます。さらに、初代所長が退職し、医師不在の深刻な経営危機に陥りました。その期間、近隣の民医連から50人以上の医師が支援に駆けつけてくれました。そして、医師不在から3年後の83年、宇都宮市出身で宮城民医連の坂総合病院に勤務していた天谷静雄医師(初代県連会長)を所長として迎え、倒産の危機を回避しました。当時の理事会が独断的なトップ判断をチェックできなかったことを反省し、民主的な管理運営に徹することを学びました。その後、89年に鹿沼市出身の関口真紀医師(現県連会長)が千葉民医連から移籍し、医師2人体制でコツコツと経営を立て直し、同時に地域医療・在宅医療を重視する今につながる基礎を固めていきました。
 98年には生協ふたば診療所、2000年の介護保険制度スタートからは訪問看護ステーションやヘルパーステーションなどの介護事業を連続して立ち上げました。03年に宇都宮協立診療所が近くに新築移転したことで、旧診療所は1階をデイサービス、2階を介護事業所と生協本部として活用してきました。
 この間、11年の東日本大震災なども経験し、老朽化した建物の建て替えの課題は待ったなしでした。在宅医療では近隣病院と連携して家庭医療プログラムで医師研修にとりくむなどの前進をつくってきました。しかし、介護事業は苦戦が続いており介護事業所を主体とした新築移転は時間がかかりました。

地域課題にみんなでチャレンジ

 コロナ禍を経験し地域の人々の健康とくらしがますます脅かされています。孤立する高齢者や「助けて」と声を上げられない人たち。そういう人たちが安心して立ち寄れる居場所が必要です。建設準備にあたって組合員と職員がプロジェクトをつくり議論を重ねてきました。建物は完成しましたが中身をつくるのはこれからです。再来年創立50周年を迎えますが、さらにその先の50年後をめざし、地域の課題にみんなでとりくんでいきたいと思います。
栃木保健医療生活協同組合 専務理事 宮本 進)