特集2 被害のピークは2030~2034年ごろ アスベスト問題はこれからだ 救済制度の見直しが急務
田村昭彦
九州社会医学研究所所長/働くもののいのちと健康を守る全国センター・アスベスト対策本部長 |
ことし5月13日、「働くもののいのちと健康を守る全国センター」は、アスベスト 対策を考える「被害者の全面救済を進める全国交流集会」を開きました。集会のスローガンは、「アスベスト問題はこれからだ」でした。最近ではマスコミ報道 も少なくなり、解決ずみだと思っている人も多いでしょう。なぜ「これから」なのか、一緒に考えてみましょう。
「クボタショック」
アスベスト問題が国民的関心となったのは05年6月末のことです。クボタ神崎工場(尼崎市)の元従業員に、中皮腫や肺がんなどアスベストによる健康被害が多発し、多くの死者が出て、大きく報じられました。「クボタショック」の始まりでした。
クボタ神崎工場の周辺住民の被害も重大です。中皮腫による死亡率は、日本人平均と比べ女性では最大68・6倍にものぼっていました。アスベストの被害が 「労災」だけでなく「公害」としても広がっていたのです。
その後、被害は全国各地に広がっていることもわかりました。しかし多くの被災者は労災などの補償を受けておらず、アスベスト作業場などの周辺住民には補償制度すらありませんでした。
すべての被災者の救済をもとめる世論に押されて政府は「アスベスト新法」(石綿による健康被害の救済に関する法律)をつくり、06年3月27日に施行し ました。しかし「新法」は完全補償とはほど遠い、きわめて不十分なものとなっています。
すき間だらけの新法
アスベスト被害の救済制度は現在、主に3つあります(表1)。
▽A 従来からの労災保険による労災補償。
▽B 労災保険の対象だった労働者が01年3月26日までに亡くなっている場合、労災補償の「時効(5年)」になっていても遺族に対して支払われる「特別遺族給付金」。
▽C A、Bのいずれも活用できない被災者への「救済給付」。労災保険に加入していなかった自営業者、「作業着の洗濯」などでアスベストにばく露(さらされること)した家族、工場周辺住民などが対象。
BとCが「新法」でできた救済制度です。この3つの制度の違いは何でしょう?
第一に、制度によって対象となる病気が大きく違うのです。
表1 認定の対象となる疾患 |
図1 アスベストによる健康被害 |
表1をみてください。アスベストによる健康被害には様々なものがあります(図 1)。A、Bでは中皮腫、肺がん、石綿肺、びまん性胸膜肥厚、良性石綿胸水が救済の対象ですが、Cは中皮腫、肺がんしか対象になりません。肺がんの認定基 準もAやBに比べてかなり厳しくなっています。同じアスベストによる被害でも救済されない人が出るのです。
補償・救済の内容も大きく異なります。表2がその概要です。Aと比べてとりわけCでは、すでに亡くなった方の場合、遺族に約300万円の一時金が支払わ れるだけで、極めて低い水準の補償です。また、06年3月27日に生存していた患者は、生存中に救済申請をしなければまったく補償が受けられません。
さらにBは「新法」施行後3年(09年3月26日まで)で打ちきりです。同時に対象は01年3月26日以前に死亡した人たちだけですから、01年3月 27日以降に死亡した人たちは、いまも次々と時効(5年)となっています。小池環境相(当時)は、「新法」制定時、「すき間のない救済」を実現するといい ましたが、実際にはすき間だらけなのです。
このように救済制度が不十分なのは、国がアスベスト被害拡大の責任を認めていないことが原因です。ILO(国際労働機関)/WHO(世界保健機関)の専 門家会議が「アスベストには発がん性がある」と報告した1972年には国はアスベストの危険性を認識していました。ところが国がアスベストの輸入・使用を 原則禁止にしたのは2004年で、この間に膨大な数の人々がアスベストにさらされました。しかし国は関係省庁の内部調査をしただけで、被害拡大の責任はな いと断定したのです。
表2 制度ごとの補償・救済内容の比較 |
救済はまだまだ不十分
実際に、被害者の補償・救済が進んだのか見てみましょう。07年5月末までの中皮腫と肺がんの救済状況をまとめました(表3)。
まず中皮腫です。中皮腫はアスベスト特有のがんのため、申請すれば何らかの補償・救済を受けることができます。「クボタショック」以前に亡くなった人の 合計は9087人ですが、労災認定されたのは、たった502人しかいません。「クボタショック」が起きた05年度の労災認定は503人で、前年までと比べ ると急増しました。「新法」が施行された06年度には労災認定1006人、特別遺族給付金569人、救済給付では2165人が認定されています。
それでも中皮腫で亡くなったすべての人が救済を受けているわけではありません。なんらかの補償を受けた人は、推定で4割弱にとどまっているといわれています。
アスベストによる肺がん患者数は、中皮腫の2倍程度と推測されていますが、救済はきわめて限定的です。
まさに「救済はこれから」といえます。相談活動や検診などをおこない、製造業や建設業などアスベストを扱う作業に従事した人や、地域住民の被災者を掘り 起こすことがますます重要です。認定基準など、制度の早急な見直しも必要です。
表3 アスベスト関連疾患の補償・救済状況 |
医師の構えにも課題
一方で補償・救済が進んでいない責任は、私たち医療従事者にもあります。Aさんの夫の例を見てみましょう。
Aさんの夫は、37年間金属工場で働いていました。在職中の04年1月に肺がんと診断され、同じ年の12月に亡くなりましたが、労災申請はしていませんでした。
ところが「クボタショック」直後の05年8月、Aさんは新聞で夫と同じ職場の人が労災認定されたことを知り衝撃を受けました。「夫が亡くなったのはアス ベストのためだ」と思ったAさんは、私たちが福岡県でおこなっていた「アスベスト労災相談電話実行委員会」に来られ、労災だと確信。労災申請のために事業 所の証明書をもらおうと会社を訪れましたが、担当者から産業医と面談するようにいわれました。
産業医は「亡くなったご主人の肺がんはタバコが原因です。労災申請をしても無駄です」と話し、30分以上にわたり説得しようとしたそうです。Aさんは怯むことなく「労災申請します」と宣言してきたと。
「俺の病気は粉じんのせいだ。じん肺に違いない」と病床で訴え続けて亡くなったご主人の無念さがAさんの心の支えだったようです。
Aさんはその後、07年4月に労災と認められました。
肺がんの原因を事実上「タバコ」に限定するのは、Aさんの会社の産業医にとどまらず、日本の多くの医師にとってなかば「共通の認識」だったように思いま す。職歴を聞きとって診断に十分生かしきれていなかったのではないでしょうか。
また中皮腫などアスベストが原因の病気だと診断しても、労災など社会保障制度の活用を十分配慮してこなかったことも、被害を潜在化させてきた大きな要因 です。民医連が掲げる「疾病を生活と労働の場で捉える」という視点を貫くことが、アスベスト問題の教訓ともいえます。
全日本民医連の病院・診療所では、中皮腫や肺がん・間質性肺炎の患者さんのカルテやレントゲン写真をもう一度点検する「見直し運動」を進めています。今秋には「月間」をおこなう準備もしています。
健康管理も「これからだ」
アスベストの健康被害は、アスベストを吸いこんでから30~40年もの長い潜伏期 間の後、発症する特徴があります。日本では1960~80年代に大量のアスベストが使用されており、被害がピークを迎えるのは2030~34年ごろです。 この5年間に中皮腫による死者が2万人に達すると予測する研究報告もあります。しかし、健康被害のおそれのある人、不安を持っている人への対策はきわめて 不十分なままです。
アスベストのばく露を受けた、労働者・住民の生涯にわたる健康管理は、今後の大きな課題です。労災に入っていない自営業者などをふくむすべてのアスベス ト作業者に、「現役」のときから健康管理手帳を交付し、生涯にわたる健康管理を実施する必要があります。さらにアスベスト作業場の周辺住民に対する健康管 理体制の確立も必要です。
全国センターでは、国によるアスベスト検診の充実が図られるまでの間、経年的な健康管理を確実におこなっていくために全国センター版「アスベスト健康管理手帳(仮)」をこの秋に提案する予定です。
課題となるアスベスト処理
アスベスト製品の製造・輸入・使用が06年9月、基本的に禁止されましたが、これまで使用されたアスベストは1000万トンともいわれ、処理の見通しは立っていません。産廃処理場の処理能力も限界に達しているといわれています。
大量使用されたアスベストの除去・廃棄が今後急速に進みます。とくに高度成長期に建てられたビルのほとんどはアスベスト吹きつけ塗装がおこなわれてお り、除去・廃棄作業者はもちろん、周辺住民の被害防止策が確立されなければなりません。
共同組織も「出番だ」
以上、「アスベスト問題はこれからだ」と強調してきました。最後に、アスベスト問題は共同組織のみなさんにとっても「これからだ」し、「出番だ」と訴えたいと思います。
(1)ネットワークをいかそう
被災者救済には多くの援助者が必要です。中皮種や肺がんなどで苦しむ人に、「アスベストが原因ではないか一緒に考えよう」「民医連に相談しよう」と、手を差し伸べましょう。
「クボタショック」直後のある日、労災申請に関して私が個別相談を受けた人は3人でしたが「この病院は民商健診で来たことがある」「息子が小さいときぜ ん息でかかっていた」という方ばかりでした。被災者は私たちのごく身近にもいることを実感しました。
共同組織にも被災者はいるのではないでしょうか。班でも学習をおこない、共同組織のネットワークを救済に役立ててください。
(2)健康管理をすすめよう
アスベストによる症状は、▽息切れがひどくなる、▽胸が痛くなる、▽せきやたんが増える、▽たんに血が混じる、▽動悸がする、などですが、病状が進むま で症状がないことも多く、ふだんの健康管理が非常に重要です。胸部X線検査や肺CT検査(断面撮影)、肺機能検査(肺活量や吐く息の勢いなどを調べる)な どが重要です。
しかし08年度からは「メタボリック・シンドローム」に特化した「特定健診」が始まり、胸部X線撮影がなくなります。アスベストの被害が不安だという人 に応える「共同組織」健診を企画し、利用しましょう。中皮腫はアスベストを大量に吸わなくても発症する可能性があります。誘いあって健診にとりくみましょ う。
(3)2次被害防止の「ウォッチャー」になろう
建物の解体や産業廃棄物処理にともなうアスベスト被害防止にも共同組織のみなさんの粘り強い活動が有効です。建物の解体時にはアスベストの飛散を防ぐこ となどが定められていますが、法違反のずさんな処理や廃棄物の不法投棄も予想されます。適切な作業手順を決めて遵守しているかを点検するなど、市民レベル の「ウォッチャー」が重要です。アスベスト処理による「2次被害」にあわないためにも「健康なまちづくり」運動の柱のひとつにアスベスト問題を位置づけて ください。
いつでも元気 2007.8 No.190