にじのかけはし 第16回 声をあげることへの抵抗はどこから? 文:吉田絵理子
私は2018年にLGBT当事者であることをカミングアウトし、講演活動を開始しました。当初は講演が無事に終わっても、家に帰るとひどく落ち込むことがありました。当事者というだけで壇上に上がり、自分事でもある課題にとりくんでほしいと声をあげることに対し、申し訳ないような、恥ずかしいような気持ちに襲われていたのです。
そんな気持ちは今ではまったくなくなりました。きっかけは2018年夏のカナダへの医療視察でした。現地でSDHに関するとりくみについて学ぶなかで、LGBTと医療に関することが他のトピックと同じようにオープンに話し合われ、LGBT当事者の医療スタッフも患者も当たり前のようにカミングアウトして発言していました。当時の日本では、まだLGBTと医療についてオープンに話をするような場はほとんどない状況だったので、大きな衝撃を受けました。
また視察中に患者さんから聞いたデモの話が印象に残りました。カナダのオンタリオ州では、2015年に8歳で性的指向、性自認という概念を学ぶ画期的な性教育の指針が定められました。ところが、2018年に保守派の州長が就任すると、突然この指針が中止され、なんと20年も前の1998年の性教育指針に沿うよう命令が下されました。この決定に対し、オンタリオ州内の100以上の高校から4万人を超える学生、教員などが反対の意思を示すデモ行動を起こしたそうです。この話から、私は日本で育つなかで「人権を守られていないと感じた時には、声をあげてもいいのだ」という感覚を持てていなかったことに気づきました。現在、世界では33カ国で同性婚が認められていますが、これも誰かが声をあげた結果だと言えます。
今では、どんな人でも安心して暮らせる社会にしていきたいという願いに対して、恥ずかしさを感じることはなくなりました。2018年からの4年間で、声をあげることで社会は少しずつ良くなっていくのだという実感も持てるようになりました。
しかし同時に、自分と異なる考えの人たちの声によって、社会が変わっていくことも目の当たりにしています。その1つとして、次回はアメリカでの中絶に関する動きについてご紹介します。
よしだえりこ:神奈川・川崎協同病院の医師。1979年生まれ。LGBTの当事者として、医療・福祉の現場で啓発活動をしている。
(民医連新聞 第1772号 2022年11月21日)
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