民医連新聞

2014年1月20日

みんいれん60周年〈大気汚染公害〉 “病の背景”診るからこそ 公害患者たちに伴走して ―東京民医連

 全日本民医連創立六〇周年シリーズ、今回は大気汚染公害について。四日市や川崎、西淀川、倉敷など、公害は高度経済成長期に、工 業地帯を中心に発生した社会問題として学校でも教わります。民医連は各地で、命がけでたたかう患者たちをささえてきました。いま、ぜん息の医療費助成制度 の存続を求める運動にとりくんでいる東京では―。(木下直子記者)

 東京都庁前で座り込むぜん息患者たち。「医療費助成は、私たち患者の『命綱』。打ち切らないで」。酸素ボンベが手放せない人も訴えます。「東京公害患者と家族の会」は昨年からこの場で八度の座り込みを行ってきました。
 昨年一二月五日、東京都はぜん息患者に行っている医療費助成制度の打ち切りを発表しました。医療費助成の対象になるぜんそく患者の新たな認定を二〇一四 年度末で中止。また認定患者への医療費助成も縮小し、現在はゼロの患者負担を、一八年度から二割にするというもの。制度を使って治療している七万七〇〇〇 人に影響する見直しです。
 創設後五年で制度を見直すことは当初から決まっていました。ですが患者たちはその見直しで、慢性気管支炎や肺気腫なども認定の対象にすることなどを含んだ改善を求めていました。
 「五年で治る病気ではありません」。東京公害患者と家族の会の石川牧子副会長は怒ります。この制度は、ぜん息患者たちが起こした大気汚染公害訴訟で勝ちとったものなのです。

■裁判でつくった制度

 東京大気汚染公害訴訟は、ぜん息などの健康被害の元となる排ガスを出した自動車メーカー、 高速道路公団、都と国に責任を問い、被害者への補償と、環境保全を求めた裁判でした。一審で都と国、道路公団の責任を認める判決が出て、勝利和解しまし た。和解条項には、裁判ではその責任を認められなかった自動車メーカーも含む各被告の拠出金で医療費助成制度を創設することが盛り込まれ、〇八年八月に 「大気汚染医療費助成制度」として施行に。
 裁判で医療費負担ゼロの制度ができたのは全国で初めて。一九八八年に国が「公害は終わった」として公害健康被害補償法(公健法)の新規認定を打ち切って 以来、新たな救済制度を国に求めてきた全国の大気汚染公害患者たちを励ます成果でした。

■命がけの患者ささえた

 「大きな発作が起きれば、命はないかもしれない」。そんな状態で原告になった患者たちは法 廷で陳述し、街で署名を集め、企業や省庁前で座り込みをしました。陳述を終えて裁判所の廊下に横たわり点滴を打つ人、入院先から裁判所に出向く人。原告が 命がけであることは、仲間に両脇を抱えられて歩く姿を見れば分かりました。
 「少し歩けば息が切れ、重い物も持てない。夜は上体を起こした姿勢でしか眠れない。働けない上治療費がかかり、家族にも申し訳ない。そんな私たちの本当 の願いは健康をとり戻すこと。無理ならせめて苦しみの原因を作った責任を取ってほしかった」と石川さん。
 東京民医連は一一年間にわたった裁判をささえました。大越稔秋さん(現在は患者会副会長)を専従者に派遣、患者に裁判参加を呼びかけることから始めまし た。四〇〇人のぜん息患者から大気汚染と病気の関係を聞き取り、原告になる人を広げました。六三三人の原告の八五%が民医連の患者です。訴訟医師団を結成 し、臨床意見書や「大気汚染とぜん息は無関係」とする被告側の主張への反論書づくり、原告が活動する場での医療支援を行いました。医療班は一三五回二〇〇 組を派遣しました。
 「『病気の背景には生活・労働・環境などの社会的要因が関連しており、社会的な健康阻害要因の改善にとりくむ』という医療観と、患者の立場で社会保障改 善にとりくむ姿勢を持つ民医連だからできた」。裁判の医師団長を担った吉澤敬一医師(江東診療所所長)は振り返ります。

■あきらめない

 ぜん息患者たちが助成制度で救われていることは、研究者などの調査でも実証済みです。助成 制度ができるまでは、低所得の患者ほど受診抑制したり、薬の間引きなどを行う傾向がありました。そして症状を悪化させ、収入が減ったり失業するという悪循 環に。助成制度で治療費の心配が無くなった効果は大きく、患者は治療に積極的になり、症状も改善しています。
 「『治療費ゼロ』が重要。収入状況が厳しい若い患者は特に制度に助けられています。そして、制度を知らないなどで埋もれている患者もいる中、新規認定の 中止などありえない」と吉澤医師。東京民医連では、患者会とともに今後も運動する方針です。


 

【資料】日本の大気汚染公害裁判

四日市公害裁判(1967年~72年)
千葉川崎製鉄公害裁判(75年~92年)
大阪西淀川公害裁判(78年~98年)
川崎公害裁判(82年~99年)
倉敷公害裁判(83年~96年)
尼崎公害裁判(88年~00年)
名古屋公害裁判(89年~01年)
東京公害裁判(96年~07年)

(民医連新聞 第1564号 2014年1月20日)

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