民医連新聞

2014年1月20日

シリーズ 働く人の健康 ~アスベスト被害~ 泉南訴訟〈第2陣〉高裁でも勝利 “命あるうちに解決を”

 大阪・泉南地域のアスベスト(石綿)紡織工場の元労働者やその家族などが、中皮腫や肺がんなど健康被害を受けたとして国の責任を 求めた泉南アスベスト国賠第二陣訴訟で一二月二五日、大阪高裁は国の責任を認める原告勝訴の判決を出しました(国は上告)。弁護団の一人、八木倫夫弁護士 の寄稿です。

泉南アスベスト訴訟の概要

 この訴訟は、泉南地域の石綿紡織工場とその近隣で、石綿粉じんにばく露して石綿関連疾患を 発症した元労働者と近隣住民等が二〇〇六年、国の責任を求めて提訴したもの。被害者数は一陣訴訟及び二陣訴訟を合わせて五九人で、提訴当時の生存原告のう ち一三人が提訴後に亡くなっています。
 本訴訟は、二〇〇五年のクボタショック以来、石綿被害の救済を求めて各地で提訴された多数の訴訟の中でも、国のみを被告としている点、国の責任が初めて 認められた点(一陣訴訟大阪地裁判決)、後の二陣高裁判決が一九五八年から九五年という長期にわたる複数の義務違反による国の責任を認めた点などの特徴が あります。
 二陣高裁判決は、一陣提訴以来七年にわたる審理を踏まえ、泉南の凄まじい石綿被害と国の関与を直視することで生み出された判決です。その核心は「石綿製 品が当時いかに社会的に有用で、必要であったとしても、そのために製造過程で発生する有害な石綿粉じんによる労働者の健康被害を認めてよいといえない」と いう点です。

被害の実態と特徴

 世界的に、石綿による健康被害は石綿の産業利用が始まって約三〇年が経った二〇世紀初頭から石綿紡織工場で確認されました。石綿製品の中でも含有率の高い石綿の糸や布を製造し、大量の石綿粉じんを発生させるからです。
 被害が日本で最初に確認されたのが泉南の石綿紡織工場です。戦前の国の報告書では「大阪市及びその近郊において、二〇〇〇人以上の石綿紡織従事者があ り、彼等は石綿肺と結核の危険に二重に曝露させられている現状である。速やかにその予防と適切なる対策樹立…」と総括されています。
 戦前から昭和三〇年代の泉南の工場の石綿粉じん濃度は、昭和六三年(八八年)の濃度規制値(=当時の許容濃度)に換算すると、数百倍という恐るべき高濃 度でした。数カ月就労するだけで、肺がんはもちろん、石綿肺が発症する危険レベルであり、長期間就労すれば、石綿肺発症は確実でした。
 二陣高裁判決も「当時の石綿工場の石綿粉じん曝露状況では、長期間の作業により石綿肺発生が必至の状況にあり、また、石綿肺が進行性・不可逆性という特 徴を有する重篤な疾患であることに照らすと、その対策は喫緊の重要課題であった」としています。

被害が続いたのは

 危険性が古くから知られていたにもかかわらず、平成に至るまで被害が継続した最大の原因は、被害実態を最もよく認識していた国が、その危険性について情報を積極的に発信しなかったためです。
 石綿関連疾患の潜伏期間は二〇年以上と長く、しかも被害者の多くは、直接には肺炎、肺結核、肺がん、心臓疾患等で亡くなるため、その原因が過去にばく露 した石綿にあるとは、石綿の危険性に関する知識がなければ分かりません。
 昭和三〇年代から四〇年代の状況を知る生存原告に聞くと、石綿工場の労働者や経営者が「肺の病気」で亡くなることは多くありましたが、石綿関連とは認識されていなかったことが分かります。
 これに対し、岸和田労働基準監督署は、石綿被害は「当署の最大の懸案事項」としていました。一九八九年当時の内部資料にさえ、労働者も経営者も石綿の危 険性を認識していないため指導の効果が無く、行政が発がん性を含む危険性を直接伝える必要があると記しています。
 泉南でも、石綿の危険性を経営者と行政に警告した開業医がいましたが、医師は異端視され、その警告が広く受け入れられることはありませんでした。

医療との関わり

 私たちはクボタショックを契機に一から石綿被害の勉強を始め、救済活動に当たってきまし た。こうした活動に不可欠なのが、労災申請でも訴訟でも石綿ばく露状況をよく聴き取り、石綿関連疾患に詳しい医師に患者を診察してもらい(亡くなっている 場合はカルテと画像を検討)、継続的に医学的助言をいただくことです。
 泉南アスベスト訴訟の原告は、医療による支援が得られた人たちであり、この訴訟も、医療関係者の支援で成り立っています。

(民医連新聞 第1564号 2014年1月20日)

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