にじのかけはし 第5回 日常にひそむ男女二元論、異性愛主義 文:吉田絵理子
性の多様性に関する講演をすると、「知らないうちに誰かを傷つけることを言ってきたかもしれない」という感想をよくもらいます。LGBT当事者である私にも、そうした経験があります。例えば、後輩の男性の研修医に「彼女はいるの?」と聞いたことがあります。この言葉には「男性は女性を好きになる」、さらには「人は恋愛したり、付き合ったりするのが当然」といった前提が隠れています。もし彼に付き合っている男性がいたらどう感じたでしょうか? 彼がアロマンティックだったら? 逆に、私も「女の人を好きになるのなら、男になった方がいいんじゃない」と友人に言われたことがあります。ここにも女性を好きになるのは男性であるという前提があります。
ジェンダーに関する決め付けもあちこちに転がっています。後輩を「~先生」と呼ぶのを好まない私は、「~君」、「~さん」と呼んできましたが、もし性別に違和感のある後輩がいたならば、この男女別の呼び方をどう感じていただろうと思い返します。他にも「男の子なんだから泣くんじゃない」「女性はマナーとして化粧すべき」という言葉も、もしかすると目の前の相手を追い詰めているかもしれません。
医療の場においても、例えば同年代の男性2人が診察室に入ってきた時に「ご兄弟ですか?」と決め付けずに、必要であれば「お二人の関係を教えていただけませんか?」と聞くことができます。
私は幼少期に女の子だからという理由で誕生日カードがピンクだったり、ランドセルが赤いことがとても嫌でした。自分のセクシュアリティーを受け入れ、周囲の人にも隠さないで生活できるようになり、人の目を気にせず身につけるものを選べるようになってから、ピンクがお気に入りの色だと気づき、職場ではピンクのボールペンを使っています。“どうあるべきか”は、性別や他の要素によって周囲の人に決められるよりも、自分で選んだ方が幸せだと感じます。
次回は異性愛や男女二元論が前提となっている社会で、「LGBTの人びとがどのような健康リスクにさらされているのか」という健康格差についてお伝えします。
よしだえりこ:神奈川・川崎協同病院の医師。1979年生まれ。LGBTの当事者として、医療・福祉の現場で啓発活動をしている。
(民医連新聞 第1761号 2022年6月6日)