民医連新聞

2003年9月1日

「時代」をつなぎ未来へ 青年が探訪する民医連の歴史

 群馬の高橋芳子通信員から通信が届きました。利根保健生協では創立当時からの歴史を聴く学習会「先達に聴く」を六、七月と連続開催。以 前、青年職員がとりくんだ同様の学習会を、来年の法人五〇周年記念にあわせ法人全体の企画として再開しました。六月の元組織担当常務・奥木茂さんのお話に 一〇九人、七月の山路達雄医師(老健とね施設長)の会には一四一人が参加し、大成功でした。先輩たちは何を語り、青年職員はどう受け止めたでしょう?

[6月] 奥木茂さん
「二股聴診器は班会で発明しました」

shinbun_1315_01 利根保健生協が病院をつくるとき、「組合員を担当する職員として働いてくれないか?」と、三三歳の奥木さんに声がかかりました。断るために沼田に足を運んで、運命が変わりました。

 辞退を告げた夜、偶然開かれていた部落座談会(共同組織の班会のようなもの)を見学したのです。その場で職員が 語った病院建設の訴えが心に染みました。「力をあわせて病院をつくることで地域をよくしたい。『誰かがやってくれる』ではなく自分たちでやりましょう」。 貧困な医療事情に苦しむ地域であることは、知っていました。「これは一生の仕事だ」と辞退を撤回、就職することになりました。

 一九六二年の病院の落成式は「この柱の一本一本を自分たちがたてたんだ」という実感がみなぎる感動的なものだったといいます。

 また現在、医学教育の場や各地の班会などで使われている「二股聴診器」は、利根の班会が生んだものです。「血圧 は患者本人が測定できるようになろう」と、班会で練習するものの、なかなか難しく、「二人同時に拍動を聴けたらどうだろう?」というアイデアから、奥木さ んが地元業者と相談して完成させたものでした。

 「病気は患者自身が治すもの。医療従事者はその助けをしているにすぎない」という姿勢を示すエピソードです。

[7月] 山路達雄さん
「とにかく地域に飛び出して」

 山路医師は、一九五〇年後半から、かかわってきた利根での医療活動を語りました。利根中央病院の前身・利根中央 診療所ができた時代、利根・沼田地域の医療事情は劣悪なものでした。一〇万の人口に対して病床数は七三床と全国平均一九五床の半分にも及びません。医師数 に至っては一〇万人あたり三三人と全国平均一〇三人の三分の一。

 また、聴く人を驚かせたのは、設備が満足に整わない中でも、患者を救おうと必死で行った医療。「誰もが、いつで もどこでもかかれる医療を」と、「休診なし、往診随時」。山路医師はどんな悪天候も、山道もいとわず、患者の元へバイクを走らせました。地域からよせられ る信頼はあつく、「診療所」といえば「利根中央診療所」を指すほどに。

 往診先では重病人に米を入れた竹筒を耳元で振って音をきかせ、「これがお米だぞ。しっかりせい」と励ます「振り 米」の風習が残っていました。いく人もの精神病患者が階段下や物置につくられた「座敷牢」に閉じこめられていました。家庭には亡くなった人を医者に運んで ゆくための入れ物「竹篭」が常備されていました。ぜん息や高血圧患者は、管理はおろか、発作時以外は放置されていることがわかってきました。医者の仕事は 「患者の治療」でなく「死亡診断書を書く」ことでした。

 特定の工場労働者に貧血が多いことに気づいてはじめた有機溶剤健診、トンネル労働者たちのじん肺検診など、「患者の生活と労働をまるごととらえよう」と、労災職業病の問題にも積極的にとりくみました。

 山路医師は「病院で待ってるだけではだめでした」「患者を生活している場で診ることの大切さを痛感しました」と語りました。

 地域の医療要求に対応してきた結果、診療科も増え、当時では困難な手術もいち早く行いました。また、田舎の病院でもきちんと患者さんを診ることで、豊富な症例がまとまり、学問的にも貢献したことも紹介されました。

◆   ◆   ◆

 若い人たちには「昔話を聞いて何の意味があるの?」と受けとられないか、と心配もしましたが、時代を体験し、切 り開いてきた先輩の言葉には、力がありました。いま、地域の七割が組合員として病院をささえてくれているのも、こうして積み上げてきた信頼の上に成り立っ ているのだと実感しました。この「集い」はさらに九、二月にも開催する予定です。

青年職員の感想は―

●林貴幸さん●開設のときから、先輩たちはがむしゃらにやってきたんですね。とにかくいつも「患者さんが中心」と いう姿勢で。「当時に比べてはるかに環境の整った職場にいる僕らは、一生懸命しているつもりでいたけど、もっとがむしゃらに仕事に向かっていいのでは?」 と、思いました。透析室は患者さんの人生の最後までおつきあいする部署。「すべての患者さんに誠実にしてこれたか」と振り返りもしました。(利根中央病 院・臨床工学技師)

●林千春さん●看護学校で血圧測定の練習に使った二股聴診器が、就職した病院の、それも班会から発案されたとは驚き!入職1年目でまだ組合員さんと接したことはありません。「私もこれから参加するんだ」と楽しみになりました。(利根中央病院・看護師)

●戸丸綾子さん●毎日顔をあわせていた施設長の山路先生がどんなことをしてきたか、知らなかったので本当に驚きました。「施設長は、あんなすごい人だったんだ」と、同僚たちと話しました。(老健とね・ケアワーカー)

●角田晴香さん●どんな患者さんにも対応していこうと努力した時代の話には驚きました。施設の利用者さんが山路先生をとても信頼している理由がわかりました。(老健とね・ケアワーカー)

(民医連新聞 第1315号 2003年9月1日)

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