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民医連新聞

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未来へ伝え続ける サリドマイド薬害被害の実相 公益社団法人いしずえ理事長 佐藤嗣道さんに聞く 薬のリスク管理 医療従事者がキーパーソン

 八月二三~二四日、第一九回薬害根絶デーが開催されます。同日は、薬害の根絶と迅速な救済を願い、被害者と市民が一つになって訴えていく日です。民医連も積極的に参加しています。長年、薬害根絶運動にとりくんできた公益財団法人いしずえ(サリドマイド福祉センター)理事長の佐藤嗣道(つぐみち)さんに聞きました。(長野典右記者)

日本政府は警告を無視

 サリドマイドは、一九五七年一〇月に西ドイツで鎮静・睡眠剤として最初に発売されました。以後、世界約四〇カ国以上で販売され、五八年一月、日本でも睡眠薬「イソミン」として、「妊婦や小児が安心して飲める安全無害な薬」と宣伝され、医療用医薬品のほか大衆薬としても販売されました。
 やがて世界各地で手足や耳などに奇形をもった子どもたちが次々と生まれました。
 六一年一一月、小児科医で人類遺伝学者の西ドイツのレンツ博士は、新しいタイプの奇形の子どもたちとサリドマイドとの因果関係の疑いを小児科学会で警告しました(レンツ警告)。
 一〇日後、ヨーロッパでは、薬の製造・販売が中止され、回収が始まりましたが、厚生省(当時)は、レンツ警告に「科学的な根拠がない」として何ら対策を講ずることなく、別の一社にも製造承認を与えました。大日本製薬(現大日本住友製薬)は宣伝の主力を睡眠薬から胃腸薬に変えて販売を継続しました。
 しかし、すでに日本でも各地でサリドマイド禍が起きていることがマスコミなどで報道されるようになると、厚生省や製薬会社は事態を無視できなくなり、六二年九月に販売停止と回収を発表しました。

催奇形性強く胎児奇形

 六二年一月、佐藤さんの母親が胃腸の不調を感じて、妊娠初期のつわりと気づかずに近所の薬局ですすめられるままにサリドマイド剤のプロバンMを購入して服用しました。「ストレス時代の新しい胃の薬」と宣伝され、この薬が胎児の発達に重大な影響を及ぼすとは知るよしもありませんでした。サリドマイドは、妊娠初期の過敏期に一錠でも服用すると確実に胎児の奇形を起こす、きわめて催奇形性の強い薬です。
 佐藤さんは、販売停止と回収が発表された直後の一〇月に生まれました。手の障害の原因がサリドマイドと聞かされた父親が、有名デパートの薬売り場に行くとまだ店頭に並んでいました。「この薬には胎児に重大な副作用があることを知っていますか」と聞くと、店員は店の奥に行き、戻ってくると、「そういう副作用があるそうです」と答えました。危険な薬の販売停止の遅れに加え、回収の不徹底が被害をさらに拡大させていきました。

専門家、市民として
政治と行政を変えるとりくみに参加を

 日本では訴訟の和解成立後、サリドマイド被害者として、生存した三〇九人が認定を受けました()。しかし内臓に障害をともなった重症児の多くが流産、死産となり、また出生後も幼児期を生き延びることができなかった被害児もいました。親のショック、周囲や親族からの言葉で、離婚や家庭崩壊になった被害者・家族が少なくありませんでした。

サリドマイド再び承認

 佐藤さんは、六五年の東京地裁での提訴に三九家族の原告の一人として参加しました。その後、薬の副作用をテーマに薬学の道を歩むことになりました。現在は、東京理科大学薬学部薬学科で、薬のリスクを疫学の手法を用いて評価する研究、リスクを最小限にするための方策など、医薬品情報学の研究を行っています。
 そしてサリドマイド薬害被害を知らない若い世代に、伝え続けることの必要性を感じています。
 しかし、キノホルムによるスモンの発生、血液製剤によるHIV感染など薬害は繰り返されてきました。サリドマイドは、二〇〇八年、多発性骨髄腫の治療薬として日本で再承認されました。
 再び薬害が起きないよう、国と製薬会社は責任をもってとりくむべきだと警鐘を鳴らしています。
 「医療従事者、特に薬剤師は薬のリスク管理のキーパーソン。薬事に関する情報のアンテナをはって、専門家の目でみた市民として、政治と行政を変えるとりくみに参加して欲しい」と期待を述べました。

今年の薬害根絶デーの日程
八月二三日(木)
御茶ノ水駅前宣伝行動・前日集会
八月二四日(金)
厚労省前リレートーク・碑の前行動


 公益財団法人いしずえ(サリドマイド福祉センター)は、1974年、被害者原告団と国、製薬企業との和解成立により、サリドマイド被害者のための福祉センターとして設立。被害者が円滑に日常生活を送るためのサポートや、他の薬害被害者団体と連帯して薬害根絶のための活動を行っています。

(民医連新聞 第1674号 2018年8月20日)