いつでも元気

2004年7月1日

眼内レンズ保険適用 「お金のあるなしで光を奪わないで」 一人の心によりそった訴えから 爆発的運動へ

セピア色のめがねをかけたように目がかすみ、失明のおそれもある白内障。年をとればたいていの人がかかり、「目のしらが」といわれます。その治療は、濁った水晶体をとりのぞいて眼内レンズをうめ込むのが、いまでは主流です。

 でも眼内レンズ手術は、費用が高いうえ保険がきかず、生活の苦しい人はしたくてもできませんでした。患者や国民の運動で保険適用を実現したのです。 

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助成金の朗報に喜ぶ木暮さん(中央)、向かって左は富沢さん、右は鐘ケ江さん(1991年)

「いつみえなくなるか…」

 全国にひろがる運動にまず火をつけたのは、東京・北区の人たちです。

 一九八九年春。東京・北区に住んでいた木暮一二さん(当時64歳)は白内障手術をすすめられましたが、費用は片目だけで一〇万円。「私は生活保護を受け ていて、ひとり暮らし。子どももいません」と相談した先が、北病院ソーシャルワーカーの鐘ケ江マサさんでした。

 「木暮さんの問題は偶然ではなかった」と鐘ケ江さん。「私は美濃部革新都政のとき小豆沢病院に入り、革新都政をつくりだす地域の運動のなかで育てられま した。八八年に北区へきたときも、地域から声をあげていかなくてはと、まず守る会を訪ねて」。北区生活と健康を守る会の富沢貞子さんに頼んで、患者さんた ちに生活保護の話をしてもらいました。このとき参加者のなかに木暮さんがいたのです。

 白内障手術について福祉事務所に「生活保護で」とかけあいますが、制度で認められていないとくりかえすだけ。鐘ケ江さんは「生保の枠内では運動にならな い、一般の人が参加できるよう、健保適用と公費助成の二本立てで、と考えた」といいます。九月、木暮さんは東京都に「眼内レンズに保険適用を、それまでの 助成を」と陳情。全国初でした。

 北区ではさっそく王子駅で署名をよびかけ、一五二の老人クラブに署名を送るなどの運動が始まります。「他の署名はしないが、これだけは」という人もあ り、一カ月で二千の署名を集めて区議会に請願。

 一一月に日本共産党の福島宏紀議員が「お金がないため手術をあきらめ、いつ目が見えなくなるかと不安な毎日を過ごしている」木暮さんの例をひいて、国へ の働きかけと区の助成を迫りました。

 富沢さんは一一月、都生連(東京都生活と健康を守る会連合会)大会で発言。決議が採択され、全国各地の守る会が制度化を求める運動をはじめました。 

砂に水がしみこむように

 「こんなに楽しかった運動はない。眼内レンズの署名は断る人がなかった」というのは都生連会長の我伊野徳治さん。

 ウンといわないのは、「水晶体を除いたあと、めがねやコンタクトレンズを使えばよい」という国だけ。しかし、牛乳びんのように分厚いめがね、コンタクト は使い勝手が悪く、高齢者に不向きで目を傷めることもありました。「調べてみると、日本では眼内レンズ手術は年間二〇万件しかない。ところがアメリカでは 一一五万件にもなり、白内障手術の主流になっていた」(我伊野さん)。費用の重さが普及を妨げていたのは明らかでした。

 「お金のあるなしで光を奪わないで」の声が高まり、全国で署名運動、自治体要請がひろがります。「国への意見書なんか書いたことがない。見本を送ってく れという自治体もあった」。九〇年春には日本共産党の金子満広議員が国会で質問、都生連は厚生省交渉を重ね、八百人による銀座デモまでおこなわれました。

 各地の民医連も運動にとりくみました。

神奈川・相模原市のさがみ生協病院では、「豊かな高齢期づくりの会」を中心に病院ぐるみの運動を展開。「県生協連の大会では朗読劇もしましたね。めがね屋 さんの意見もきいてつくった独自の署名簿は好評で、他県からも照会がきたほど。これをもって会と職員で街頭署名や、市内二〇四の老人クラブ訪問に出かけま した」(神奈川北央医療生協常任理事の八木雄典さん)。陳情に名をつらねた一四七団体中一〇四団体が老人クラブ。市議会は九一年九月、意見書を採択しまし た。

 九二年二月に国会で厚相が「健保適用」を答弁、四月実施されるまでに、意見書をあげた自治体は五百をこえ、独自助成をきめた自治体は三百にもなりまし た。まさに爆発的な広がりです。「保険適用まで二年半、早かった。まるで砂に水がしみこむようでした」(我伊野さん)

一人ひとりに寄り添うこと

 専門医の立場で運動を援助した代々木病院の阿部穆医師は、金子満広議員に質問前に眼科へきてもらい説明した人です。

 「じつは、眼科医の間では保険適用されると利益が減ると抵抗が強かった。実現したのはまったく大衆の力です。適用になって手術がどっとふえ、患者さんの 喜ぶ顔が印象に残っています。医師はそれが一番うれしいですからね」

 九二年四月に手術、同病院の適用第一号となった府中市の鈴木千代子さんは「退院した翌日、庭の花を見て感激しました。こんなに色が鮮やかだったのね。茶 色く枯れたようにしか見えなかった花が赤く見える。涙が出るほどうれしかった」。

 東京・北区の木暮さんもしばらくして手術しました。両目で三〇万円もかかった手術が、保険適用後は「入院費だけで、一万円でおつりがくる」。当時は、老 人医療費無料制度が廃止され、七〇歳以上は診療報酬が低くされるなど、高齢者医療いじめが強まっていただけに、「一人の要求」から始まって草の根からの運 動でかちとった、大きな成果でした。

 ふりかえって、鐘ケ江さんはいいます。

 「眼内レンズの運動は、一人を大事にし、その人に寄り添ったんです。だから広く伝わったと思う。いま、それが建前になってはいないでしょうか。年金攻撃 のなかでも、『この人がこういう生活をしているよ』ということを土台に、ほんとうに一人ひとりに寄り添う活動がどれだけできるかが問われているように思い ます」

文・中西英治記者

いつでも元気 2004.7 No.153

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