いつでも元気

2004年6月1日

地域になくてはならん診療所 もっともっと盛り上げてやろう 太子道診療所オープン!

 二〇〇四年三月一日、「太子道診療所」がうまれました。「開設をどれだけ待ったことか」と、地元の京都中・右京健康友の会のみなさん。実はオープンまで一年半も開設が「凍結」されていたのです。

genki152_08_01「事件」を利用しての病院つぶし

 太子道診療所は、もともと京都民医連中央病院の近接診療所として建てられ、〇二年一二月オープンの予定でした。
 そこに中央病院の「細菌検査室虚偽報告事件」がおき、同じ法人での不祥事ということで開設許可が「凍結」に。
 中央病院では〇二年九月、検査技師が検査を実施しないで「菌検出せず」と虚偽の報告を行なっていたことがわかりました。病院は保健所に報告し、なにより も患者さんに被害がなかったかどうかを調査、行政の調査にも積極的に応じました。
 ところが、この事件をとらえて府議会や市議会では、公明党や自民党から保険医療機関の取り消しを求める声までおき、一時は病院のまわりを「人殺し病院」 などと叫んで宣伝カーが走りまわりました。
 民医連をつぶそうとする勢力は、友の会役員宅や患者宅をまわり、「あそこの病院にいくな」と攻撃をかけてきました。
 ボランティアに参加しているある患者さんは「あそこにかかったら殺されるで、とゆうて来る人がいました。蕫わしはあの病院で助けてもろうて、あの病院が 必要や﨟と、怒って帰らせましたけど、ほんまに腹が立ちました」と振り返ります。

117回の医療懇談会

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太子道診療所概観

 中・右京健康友の会事務局長の南徹さんは「この事件の説明で一一七回の医療懇談会を開いた」といいます。「会員から出てきた声は、迷惑はかけられたが、やはり地域になくてはならん病院・診療所やということです」
 友の会では「民医連の病院は、差額ベッド料は取らない、患者からのつけとどけも受けない、みんな平等にみてくれる病院です。やったことは悪いが、病院を つぶすのでなく、もっともっと盛り上げてやっていくのが、この土地の人たちの考え方と違うやろか」(福永康孝副会長)という声があがり、病院を守る動きが ひろがりました。
 友の会副会長の熊木利次さんは「それは、一九六〇年にこの同じ土地に民医連の右京診療所ができて以来の地域での信頼があったからです。事件を克服して、 病院を再生しようと努力する職員の姿をみて、信頼はいっそう強まりました」。
 京都市内の労働組合や民主団体にも、事件にかこつけた民医連つぶしを許してはならないという運動がおきました。〇三年四月には「民医連中央病院への不当 な攻撃を許さず地域医療を守る会」が発足。同会の事務局で、京都医労連の執行委員長、鷲見敏夫さんは、「再発防止に向けてあらゆる努力をやっている職員を 励まし、地域の医療を守ることで一致して、四九団体が集まりました」と話します。

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診療所3階にある小児科の待合い

ボランティアが大活躍

 昨年一二月、この事件が健康保険法での「戒告」処分で決着したことで、太子道診療所の三月オープンとなりました。
 診療所にはいたるところに鉢植えが。園芸ボランティア「つくしの会」の人たちが大事に育ててきたものをもちよったのです。「診療所の前の水仙も、きょう 滋賀のいなかからいっぱいもってきてくれたんですよ」とボランティアのひとり、漆原一子さん。
 再来機の使い方をサポートするボランティアもいます。熊木さんは「このほかにも『友の会ひろば』の手配り配布や、入院患者さん、老健施設『西の京』入所 者用の蕫おしりふき﨟用布を切るボランティアなど、たくさんの方がボランティアに参加されています」といいます。
 太子道診療所の開設は、友の会・地域住民の励ましや支えがあってこそできたという、京都民医連中央病院院長の吉中丈志医師。「右京診療所から右京病院と なり、それが民医連中央病院に発展して、いままた診療所を地域のみなさんに蕫返す﨟ときがきました。病院は地域の医師会の先生たちと共同で胸部CTのカン ファレンスを開くなど連携をはかっています。診療所は患者さんが落ち着いてかかれる外来にし、安全安心の地域づくりに貢献していきたいと思います」

文・八重山薫記者/写真・豆塚猛

いつでも元気 2004.6 No.152

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