医療と介護の倫理 認知症で身寄りのないケース
堀口信(全日本民医連 医療介護倫理委員会 委員長)
前号で「心肺蘇生を試みない指示」(DNAR指示)には、大きく2つの問題があることを紹介しました。
1つは、対象の患者さんが「終末期でもう助からない状態」と判断してよいかどうかです。回復の可能性があるのに心肺蘇生を試みないということは、人命尊重を損なう行為になります。
もう1つは、「心肺蘇生をしないのは本当に患者さんの意思なのか」ということです。特に1人暮らしで身寄りがなく、なおかつ重度の認知症があると、医療者だけで心肺蘇生の是非を決めなければなりません。
今号では全日本民医連発行の『医療倫理事例集2015』から事例を紹介し、判断に迷うケースについて、皆さんと考えてみたいと思います。
判断に迷う主治医
重度の認知症で身寄りのない中年男性のケースです。慢性腎不全で人工透析を受けていましたが、腹痛で民医連の病院に入院。腹膜炎の診断で治療を始めましたが、全身状態は重篤でした。
男性は「みかんを食べたい」「痛い」など簡単な会話は可能ですが、こちらの問いかけに返答しないこともあり、しっかりした考えのうえに判断することは難しいようです。
今後病状が悪化した場合、手術をすべきか、もし心肺停止に陥った場合は人工呼吸や心臓マッサージなど心肺蘇生術を施してよいか、ご本人の意思が分からないため主治医は判断に迷っていました。そこで入院4日目に、病院の倫理委員会で、手術や心肺蘇生術の是非を検討することになりました。
一般的な患者を想定した手術とDNAR指示についていえば、重篤な疾患で入院した場合、あらかじめ急変時の対応を決めておかなければなりません。また、手術や心肺蘇生について、事前に患者や家族と協議しておくことは患者の意思を尊重するうえで重要です。
しかし重篤で死亡の可能性がある場合でも、入院初期の段階で今後の病状を予測することは簡単ではありません。早い段階で手術や心肺蘇生の是非を一気に決めてしまうことには、慎重であるべきです。
この事例のように判断能力に乏しく、かつ身寄りがない、つまり本人の意思を代弁できる人がいない場合の治療方針決定についても、倫理委員会で話し合いました。
本人の意思を代弁できる人がいない場合、それに代わる存在として倫理委員会があります。相談を受けた倫理委員会は、関係者から意見を聞きながら、できるだけ透明、公平に判断するよう努めます。
倫理委員会は最終的に「緊急時には心肺蘇生を試みるべき」と判断しました。この事例は入院4日目であり、現在の患者の状態をみると、今後の判断、特に心肺停止があっても治療不可能かどうかを即断するのは困難と思われたからです。
「事前指示書」とは
日本の高齢者(65歳以上)の26・3%が1人暮らしで、毎年その比率は上がっています。何かあったときに相談する人がいない、いわゆる「身寄りのない人」は、今後ますます増えるでしょう。
治療を行ってもあと数カ月以内に死が避けられない終末期になったときに、延命治療や心肺蘇生術を受けるかどうか、元気な段階で前もって書面に残したものを「事前指示書」といいます。
事前指示書では、自身が判断できない状態に陥ったとき、代わって判断する「代理人」を指名することもできます。今後は、事前指示書を準備する方が多くなることが予想されます。
いつでも元気 2017.3 No.305