マンガでみる民医連
注 民医連(正式名称・民主医療機関連合会)
民医連は医療や介護などの事業所の連合体です。戦後、医療に恵まれない労働者や農民、低所得者の切実な医療要求にこたえる運動にあわせて民主的な医療機 関が全国各地につくられました。その後、全国的に統一した運動をすすめるために1953年6月7日に全日本民主医療機関連合会(略称・全日本民医連)が結 成されました。戦前の無産者診療所の活動が民医連運動のルーツになっています(「民医連の前史」=P4参照)。
現在、全日本民医連に加盟する医療機関をはじめとした事業所が全国の47都道府県すべてで医療・福祉の活動を展開しています(「全国に広がる民医連の医療・介護」P16~17を参照)。2010年2月に開催した第39回定期総会で綱領を改定しました。
民医連の前史 -無産者診療所の時代-
民医連の運動がはじまるのは戦後になってからですが、その前史といわれるものが戦前の無産者診療所です。今から約75年前、東京の大崎に開設されて以 降、1病院23診療所が各地に建設されました。無産者診療所は、医療からみはなされた人びとへの診療とともに、当時の貧困な医療制度を根本から批判し、改 善させる運動を続けていました。そのため絶対主義的天皇制政府のはげしい弾圧を受け、次々と閉鎖をよぎなくされました。この運動に参加した医師や看護婦は 戦後いちはやく民主診療所づくりに参加し、全日本民医連結成の基礎を築きました。
1953.6.7 全日本民主医療機関連合会結成
50年代
結成大会は東京・橋場公会堂で行われた。
ビキニ水爆実験被害調査に参加〔54年〕
「民医連とは何か」「民主診療所とは何か」の議論が活発に行なわれる
伊勢湾台風被災地へ医療班(50日間のべ700人)派遺〔59年〕
60年代
現綱領制定〔61年〕
小児マヒ闘争で活躍
公害闘争、労働災害・職業病の取り組みすすむ
インターン制度反対の運動ひろがる
「民医連新聞」創刊〔63年〕、『民医連医療』創刊〔65年〕
70年代
全日本民医連共済組合設立〔72年〕
第1回民医連全国青年ジャンボリーを開催(山梨県西湖)〔72年〕
老人医療費無料化の運動がすすむ(73年に無料化実現)
民医連運動交流集会(以後2年に1回)、学術集談会(年1回)開催〔73年〕
健保改悪反対の運動
「民主的集団医療」「民主的な地域医療づくり」打ちだす
医薬品副作用モニター制度〔77年〕
福井県に診療所が開設され空白県がゼロに〔78年〕
80年代
健保・老人医療改悪反対の運動
ひとりぐらし・ねたきり老人実態調査を実施〔81年〕
山梨勤医協問題発生〔83年〕
「心のかよいあう医療」を提起
「国民医療を守る共同行動」スタート〔89年〕
「高校生一日看護婦体験」が全国的に行われるようになる
90年代
『えがお』創刊〔91年〕、92年2月より『いつでも元気』に
看護活動研究交流集会〔93年〕、民医連学術運動交流集会開催〔93年〕(以後2年に1回)
阪神・淡路大震災の医療救援活動〔95年〕
第33回定期総会・山梨〔98年〕
スローガン『激動の時代に深く地域に根ざして「民医連の医療宣言」を』
「要介護老人実態調査」実施〔98年〕
2000年代
「2000年介護実態調査」実施、民医連の在宅サービス利用者2万2千人を調査〔00年~01年〕
大阪・耳原総合病院でセラチア菌感染による死亡例発生〔00年〕
全日本民医連「医療・福祉宣言」制定〔02年〕
神奈川・川崎協同病院「気管チューブ抜去・薬剤投与による死亡事件」、京都・京都民医連中央病院「検査虚偽報告事件」発生〔02年〕
2000年代
第36回定期総会・埼玉〔04年〕
相次いだ台風被害・新潟中越大震災の被害地での救援活動〔04年〕
第38回定期総会・神奈川/新綱領改定草案提案〔08年〕
全日本民医連の医療・介護再生プラン〔案〕発表〔08年〕
第一次キューバ視察〔09年〕
2010年代
第39回定期総会・京都/綱領改定〔10年〕
東日本大震災と原発事故災害での救援活動および復旧・復興のとりくみ〔11年〕
第10回全日本民医連学術運動交流集会〔11年〕
第40回定期総会・岡山/規約改定〔12年〕
チェルノブイリ原発・ドイツ環境政策視察〔12年〕