いつでも元気

2014年7月1日

元気スペシャル/「地域の要求にこたえる医師になる」/支えあいながら育ちあう/香川・高松平和病院

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ホスピス緩和ケア病棟のデイルームで、後列左から佐藤龍平医師、原田真吾医師、高橋啓太医師、前列左から中島綾花医師、寺川依里医師、大池実衣子医師。うしろに見えるのは栗林公園

 「医師をどう育てるか」─医師養成は全国的な課題です。
 医師数が少なく厳しい体制のなかでも、「たいへんだけれど、自分たちが病院を支えていこう」と奮闘するのは、香川・高松平和病院の若手医師たちです。

研修先の様子を“通信”で

 高松平和病院は、JR高松駅から車で一〇分ほどの市内中心地にあります。車道をはさんだ向かいには、特別名勝として有名な栗林公園があります。
 一二三床の中小病院で、二〇代三〇代の若手医師は七人、現在病院に勤務しているのは六人です。記者が訪ねたこの日、専門研修のため北海道・勤医協中央病 院に出向中の豊岡志帆医師から、近況を伝える「くま通信」が届きました。
 専門研修に出向した医師が通信を発行するのは、病院の“伝統”です。通信のタイトルを考え、研修先でどんなことを学んでいるか、新しい環境でどんなことがあったのかなど、自由に綴ります。
 届いた翌日には、院内報とともに全職場に届けられ、全職員で共有しています。

何でも伝えあって共有を

 通信を始めたのは、今年一一年目の内科医・原田真吾医師。初めて専門研修に出向した二〇一一年に、研修先の宮城・坂総合病院から「坂通信」を、翌年には神奈川から「浜通信」を発行しました。
 七年目の緩和ケア医・中島綾花医師は、今年三月まで専門研修をしていた兵庫から「六甲通信」を発行。治療上の悩みや患者さんと接するなかで感じたことなどを綴りました。
 「原田先生が通信を書いていたので、その流れで…」と笑いながら「病院の職員さんの顔を思い浮かべて“こんなことを書いたら喜んでもらえるかな”と楽し みながら、その時々で学んだことを整理する機会にしていました。出向から戻ると『読んだよ』と声をかけてもらえて、嬉しかったですね。同じ時期、専門研修 で福岡・大手町病院に出向した高橋啓太医師の『キタキュー通信』を読んで“私もがんばろう”と励まされました」と話します。
 出向している医師には、高松平和病院の医局が発行する「マロン通信」が返信で届きます。「元気そうだな」「こんなことがあったのか」「がんばっている な」とお互いの近況を共有しあうことで、「離れていても民医連の仲間だ」という意識を強めることに一役かっています。
 さらに、若手医師らが専門研修先におしかける「若手医師旅行」というユニークなとりくみもおこなわれています。原田医師が宮城で研修していたときに、 「みんなで会いに行こう」と大池実衣子医師が提案したことで、神奈川県鎌倉市への一泊二日旅行が実現。これも、今では恒例行事となりました。
 これらのとりくみで交流を深めていることが、医局の明るい雰囲気にあらわれています。先輩医師も含めて、気になった患者さんについて気軽に相談しあう関係がつくられています。
 医師と他職種の距離も近く、「何でも伝えあって共有できることが、中小病院の魅力かな」と中島医師は言います。

それぞれの医師が役割を感じて

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外来の合間に治療方針を検討
(左から寺川医師、大池医師、佐藤医師)

 「これまでは、なかなか医師養成がうまくいかなかった」と話すのは香川民医連会長の中田耕次医師です。九〇年代、新卒で入職した医師が相次いで退職した時期があったのです。
 その後、高松平和病院は全国の教訓に学び、病院としてこの地域でどんな役割を果たすべきかをよく討議しながら、若手医師の専門研修を追求する努力を重ねてきました。
 「若手医師たちは、この病院の果たすべき役割は何か、中小病院らしい身の丈にあった技術をどこで学ぶのかということをとてもよく考えていると思います。 原田医師が呼吸器内科の専門研修に出向したのは、医師になって八年目。ようやく研修に行くことができたのは医師体制が厳しかったことも一因ですが、技術獲 得のためだけに一刻も早く専門研修に行くというのではなく、“この病院に必要な技術はなにか”“何を学ぶべきか”を医師集団でよく議論して、本人も周りも 納得したうえで研修に出たからなのです」と中田医師。
 「いまの若手医師は、全員が医学生時代からつながりのある民医連の奨学生。地域に密着した高松平和病院の医療に触れて『香川の地でがんばりたい。地域に 根ざした民医連の病院で働き続けたい』という強い思いをもって入職してきています。医局で続けている全日本民医連総会方針案の朝礼での読み合わせにも、彼 らは率先して参加してくれます。いろんなことに、集団として主体的にとりくんでいる。期待しているし、信頼しています」
 いま、四年目の佐藤龍平医師は、県内初の家庭医をめざして中国・四国の民医連事業所で研修中です。二年目の寺川依里医師は、民医連の研修説明会で「病気 だけでなく、患者さんの背景を含めて考えることができる医師になりたい」と、目指す医師像を語っています。

綱領を持つ民医連で働き続けたい

 「今日も外来に、生活苦で医療費が払えないという患者さんが来ました」と原田医師。市役所で高松平和病院なら診てくれると紹介され、来院された患者さん でした。「他の病院では、なかなか診てもらえないのでしょう。こういうことがあると、この病院が果たしている社会的使命を感じますね。綱領を持つ民医連 で、医師だけでなく、他職種も力をあわせながら弱者の立場にたった医療・介護を実践していることに、誇りを感じます」と話します。
 地域になくてはならないと思うからこそ、「僕らの世代が病院を支え、なんとかしていかなければという思いが強いんですよ。決して楽じゃないんですけれどね」と抱負を語りました。

文・宮武真希記者/写真・豆塚 猛

いつでも元気 2014.7 No.273

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