民医連新聞

2014年7月7日

毎週金曜は自転車で国会へ! 東京・中野共立病院の仲間たち 「脱原発」の思いつなげて100回

 中野共立病院(東京)の有志が、脱原発を求める金曜日の官邸前行動に、毎週自転車で駆けつけています。ちょうど100回目を迎え た6月13日の様子を取材しました。背中に大きく「平和」と書いたTシャツ集団は目立ち、沿道から声援が。往復20kmの行程を本紙青年記者も走行しまし た。(新井健治記者)

 午後五時半、仕事を終えた職員が続々と病院玄関前に集まってきます。医師、看護師、事務など一八人。新人が三人、最高齢は友の会会長の榎本博さん(76)です。
 出発は午後六時。中野区の住宅街から新宿高層ビル、国立競技場、おしゃれな青山通りを駆け抜けます。そろいの平和Tシャツには雑踏の視線が集中。八〇回 目の参加となる山本英司副院長は「街行く人が、ふだんは意識しない平和について考えるきっかけになれば」と言います。
 約一時間かけて国会周辺へ。歌やスピーチ、ドラムなどで原発反対を表現する人たち。平和Tシャツはおなじみで、「今週も来たね」と参加者が手を振ります。
 「一時に比べ官邸前の人数は減ったと思っていましたが、まだ、こんなにたくさんいるんですね。励まされます」と話すのは事務の岡崎志歩さん(22)。今 回が初参加です。同じく新入職員で臨床検査技師の粕谷優子さん(25)は「以前から原発には反対していましたが、個人で行動するにはハードルが高い。この 病院に入職して良かった」と言います。

福島へ思いを寄せる

 最初に官邸前に行ったのは、大飯原発再稼働が迫った二〇一二年六月二九日。抗議に集まった 約二〇万人が官邸から国会周辺を埋めた頃でした。以来、毎週休まず駆けつけました。二〇人以上が集まることもありますが、平日のためふだんは四~五人。そ れでも続けることに意義を感じています。
 「病院前に集まれば、『そうか今日は金曜だな、原発反対の日だな』と職員が気づく。忙しくて参加できない時もありますが、見送りをして気持ちだけ連れて 行ってもらうこともありました」と話すのは副総師長の松本亜矢子さん。「福島県民に思いを寄せる行動が大切。暮らしの土台がなければ、健康ではいられませ ん。そのことを若手にも伝えたい」。
 都心の四季を満喫できる楽しみもある一方、時には風雨に耐えながら脱原発の思いをリレーしてきました。業務の都合がつく職員がおらず、たった一人でつな いだこともある野澤愛子さん(事務)は「最初の頃は坂道がきつかったけれど、おかげで筋肉がつきました。無料のジムでトレーニングしているので健康です」 と笑います。

「行くしかない」

 平和Tシャツは法人(健友会)の社会保障活動のユニフォームです。職員や友の会のメンバー は、これを着て皇居やスカイツリー、東京タワーにも自転車で行き、平和をアピールしています。事務の牧野大志さん(24)は「体を動かすのは気持ちいい。 平和や脱原発を具体的な行動で示せるのでスカッとします」と言います。
 「平和運動というと、マンネリ化しがち。遊び心を取り入れたかった。Tシャツのカンパで原水禁大会や辺野古支援にも送り出しています」と発案者の山本副 院長。「全国の事業所の中で、少しがんばれば官邸前に行けるのがぼくらの病院。だったら行くしかない。途中からは意地かな。日本から原発が無くなるまでや りますよ」。


一緒に走ってわかった「脱原発」への思い

 以前の職場(福岡)では自転車通勤。病院から国会まで片道10kmと聞いた時「たいした距離じゃないな」とタカをくくっていました。しかし東京はアップダウンが多く、歩道は狭く車道は危険。繁華街では道行く人を避けることで精一杯でした。
 参加者から「はからずも、体力・筋肉がついた」と聞き納得。彼らの「脱原発」への強い気持ちを見せつけられました。
 遅れまいと必死に走っていると、新宿の高層ビル群のあたりで前輪がパンク! そのまま走りました。赤坂を経由していくつもの坂を気合で上り、ようやく国 会前へ。歌やスピーチなど思い思いの方法で反原発を訴える人が大勢います。その人たちの声援を受け、国会議事堂と首相官邸を往復しました。
 午後9時過ぎ、病院へ戻り、打ち上げです。初対面の私も、揃いのTシャツで一体感が生まれました。「200回、300回に向けてがんばってください」と の私の発言に、行動を引っ張ってきた法人本部の菅井一郎さんがひとこと。「明日にでも安倍首相が原発ゼロを決断すれば、走る必要はないんだよ」。
 後日、筋肉痛に苦しみましたが、また参加したいです。(田口大喜記者)

(民医連新聞 第1575号 2014年7月7日)

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