民医連新聞

2013年12月16日

相談室日誌 連載345  救急搬送のケースから家族にもかかわって 廣川献一(東京)

 Aさんは深夜に当院に救急搬送された六〇代の男性です。幸い命は助かり、話せるまで回復したものの無保険でした。保険がない状態で集中治療室を利用したため、高額な自己負担が発生。病棟から介入の依頼が入りました。
 Aさんは弟と母親の三人暮らし。しかし借家の家賃を滞納し夜逃げしていたため、現在所に住民票がありませんでした。そのためSWはAさんの戸籍謄本・附 表をとりよせ、弟と母親が住む実家に住所を設定し国保加入の手続きをしました。同時に別のSWが生活福祉課に連絡し、入院日に遡って生活保護を適用するよ うに相談しました。本人面接と訪問を経て、異例の早さで自治体は「職権保護する」と決定。退院後は職場復帰をめざし、無料低額宿泊所を経てアパートも探す 予定です。
 また、Aさんの支援の中で、同居の弟と母親も深刻だと判明しました。弟は母親の介護のために仕事を辞め、介護保険サービスも利用料がかかると断っていま した。母親は足に力が入らない状態ですが、オムツ代節約のため抱えてトイレに連れていくといいます。炊飯器が故障すれば新しい物を買うために一日に卵一個 だけの生活をし、「冷蔵庫が故障したら死ぬしかない」と話しました。一方でAさんは、家族に構わず六畳の自室で趣味の荷物に囲まれてすごしていました。
 弟の世帯も生活保護を受ける意思があると確認。生活福祉課も実家を訪問した際、弟の通帳を見て最低生活基準以下だと把握していました。ただ、役所は「申 請は促せない。窓口に来てもらえれば…」という対応。ケアマネや地域包括からの情報を元に訴えても見解は変わりませんでした。何度も申請書を持って弟を訪 問し「意思があるのだから申請しましょう」「一緒に行きませんか」と話しても、最初は首を縦に振りませんでした。面会を重ねるうち、「一二月に行く」と やっと返答がありました。
 社会的な力が欠如した家族、自治体への無力感を感じるケースでした。今年二月に原告が勝訴した三郷生活保護裁判を忘れず、今後もこの家族に定期的に連絡をとろうと考えています。

(民医連新聞 第1562号 2013年12月16日)

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