民医連新聞

2013年12月2日

被爆者の人権守った医師団 集団訴訟の教訓を福島へ 全日本民医連 被ばく問題交流集会

  全日本民医連第一三回被ばく問題交流集会が一一月九、一〇日、福島市で行われ一三二人が参加しました。被災地の視察やシンポジウム、木村真三さん(獨協医 科大学准教授)の講演がありました。また指定報告では、食品の放射線測定と借り上げ住宅に住む被災者支援(福島)、原発事故避難者の甲状腺エコー検診(福 岡)、無料の避難者健診(東京)、被爆医療と被爆相談の現状(広島)と、各県連がこの間のとりくみを報告。シンポジウムでは原爆症認定集団訴訟の意義と新 たな課題、原発事故に活かせる訴訟の教訓を学び、「被災者の人権と健康権」をテーマに討論しました。特別講演として伊藤和子弁護士が「グローバー勧告の意 義と課題」について報告しました(八面掲載)。(新井健治記者)

シンポジウム

原爆症認定集団訴訟の教訓を福島へ

運動で勝ち取った権利

 シンポジストは原爆症認定集団訴訟全国弁護団連絡会事務局長の宮原哲朗さん(弁護士)、前被ばく問題委員長の聞間(ききま)元さん(医師)、医療生協わたり病院(福島)の齋藤紀(おさむ)さん(医師)の三人。
 被爆者の人権を守った原爆症認定集団訴訟は、民医連の原点ともいえる運動のひとつです。厚生労働省は原爆症の認定で高線量の初期放射線しか認めず、残留 放射線で生じた疾病については申請をことごとく却下。被爆者が怒り、その怒りを力に変えて訴訟に発展しました。裁判は二〇〇二年に始まり、一一年に原告勝 訴で終わりました。
 民医連は被爆者の思いに寄り添い、医師団を結成してともにたたかいました。厚労省が挑んできた医学論争に正面から対峙。統一意見書や疾患別意見書、原告 個々の意見書を作成して放射線起因性を立証、証人として法廷に立ちました。裁判の中で医師として、人として大きく成長、人権を巡る人類史的なたたかいと医 学論争の両方に勝利したのです。
 宮原さんは法律家の視点から、勝訴の背景に被爆者援護法(一九九四年)という“法”の存在を挙げます。「被爆者への国家補償的な配慮を据えた援護法の精神が、判決をささえた」。
 援護法は自然にできたものではありません。何の補償もなかった時代から、被爆者自らが署名や国会要請など運動で法体系を徐々に整備し、権利を獲得しました。
 宮原さんは原発事故に活かす教訓として、事故における国の社会的責任を認めた「子ども・被災者支援法」(二〇一二年)の存在を挙げます。一〇月に閣議決 定された同法の基本方針の内容は不十分ですが「原発事故ではこの法を拠り所にしてたたかうことができる。被爆者が運動で権利を獲得したように、今後のたた かい次第で法を充実できる」と言います。

“二重の沈黙”繰り返すな

 被爆者はなぜ、戦後数十年経ってから裁判に訴えたのでしょうか。被爆者は長年、差別され苦 しみを言いたくても言えませんでした。そこには「被爆者の沈黙とともに、社会の沈黙があった」と聞間さん。「最後のたたかい」と被爆者が決意して声をあげ たことで、社会の共感を広げ核兵器廃絶の世論も高まりました。
 国が国民を分断するため、意図的につくる社会的差別の問題は原爆に限りません。水俣病でも沖縄の米軍基地問題でも、住民はたまたまそこに住んでいただけ で差別され、多くの国民は関心を持たないように仕向けられる。これは戦後日本の構造的問題で、今の福島に続いています。
 聞間さんは「福島で“二重の沈黙”を繰り返してはならない。原発事故の問題を風化させず、福島から新たな人権運動を起こそう」と呼びかけました。

根底にある“戦争受忍論”

 集団訴訟後も、国は判決を無視して認定却下を続けています。今年六月までに申請数の約半数 の一万人が却下され、新たに一〇〇人が個別に裁判に訴えました。二〇一〇年には厚労大臣のもとに「原爆症認定制度の在り方に関する検討会」が設置され、認 定基準を巡る議論が現在も行われています。被爆者の人権を守る運動は新たな段階に入りました。
 厚労省はなぜ、認定却下を続けるのでしょうか。宮原さんは「財政的な理由があるといわれている。しかし、被爆者の九割以上が既に健康管理手当を受給しており、認定によって大幅に予算を増やす必要はない」と指摘。
 齋藤さんは「根底にあるのは、被爆者の多くを原爆症と認めてしまうと他の戦争被害者との公平を欠く、との考え。国は戦後、戦争被害の補償について軍人や 軍属は認めたが、一般国民はどんなに悲惨な体験をしても認めなかった。ここに戦争責任を巡る国の基本姿勢がある」と話します。
 低線量被ばくによる健康障害は起こらないとして、認定を却下する厚労省の姿勢は原発事故でも同じです。年間線量二〇ミリシーベルト以下なら安全として避難区域の指定を解除し、住民の帰還をすすめています。


原爆症認定集団訴訟… 日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の呼びかけで二〇〇二年に始まった運動。全国一七裁判所で三〇六人の原告が提訴。三一の判決で原告二七九人が勝訴、 敗訴の二七人も基金で救済され一一年に終結。裁判により認定の範囲と疾病の種類を拡大した新基準ができ(〇八年)、原爆被害の実相を明らかにして核兵器廃 絶の世論を高めるなど大きな成果を生んだ。
被爆者と原爆症… (1)広島や長崎で直接被爆(直接被爆者)(2)原爆投下後に市内に入る(入市被爆者)(3)被爆者を市外で手当て(救援被爆者)(4)これらの人の胎 児、のいずれかが該当すれば被爆者健康手帳が交付され、被爆者と認められる。被爆者が申請をして認定されるのが原爆症で、認定要件は放射線起因性と要医療 性の二つ。被爆者約二〇万人(平均年齢七八・八歳)のうち、原爆症認定患者は八五五二人(四%)にすぎない。

記念講演

チェルノブイリの教訓を福島へ

木村真三さん

測定で避ける内部被曝

 木村さんは放射線衛生学が専門の科学者。原発事故直後、前職を辞して福島県内の放射線量を測定、ETV特集 「ネットワークでつくる放射能汚染地図」(NHKEテレ)で注目されました。要旨を紹介します。

 東海村の核燃料加工施設で事故が起きた時(一九九九年)、放射線医学総合研究所の研究員として最初にJCOに入りました。上司から「情報公開するな、住民がパニックになる」と言われました。
 学者は論文を書くことを優先しますが、住民に必要なデータなら論文を書く前に知らせるべきです。正確な情報を公開すれば、パニックは起きません。
 福島県で子どもの甲状腺がんが増加しています。「スクリーニング効果」と話す学者もいますが、その中に一人でも放射線障害の子がいたら、切り捨ててはい けない。低線量被曝が及ぼす健康への影響は、まだ分かりません。だから、継続的な健康管理による長期の経過観察が大切です。
 安倍首相はオリンピック招致のスピーチで、「日本の食品や水の安全基準は世界で最も厳しい」と嘘をつきました。私はチェルノブイリ原発のあるウクライナ のナロジチ地区で、継続して調査をしています。事故から二七年経った今でも、同国の食品、飲料水の安全基準は日本よりずっと厳しい。

「線量を測れば大丈夫」

 二本松市民約八〇〇〇人を調査したところ、三・四%が内部被曝をしていました。月ごとの変 化を見ると四、五月が高い。山菜が採れるようになるからです。内部被曝が高かった人に聞くと、山菜や家庭菜園の野菜を食べている。事故からわずか二年で 「もう、大丈夫だろう」と思い込んでしまう。
 「福島から避難しなくて大丈夫か」と不安を持つ人には「測れば大丈夫です」と呼びかけたい。福島の放射線量のレベルなら、心配なのは外部被曝でなく内部 被曝です。福島で流通している食品は、全量検査や全品検査をしているので安全です。むしろ、他県で生産された食材から放射能が検出されています。流通して いない家庭菜園の野菜や山菜も測定し、線量が高いものを食べなければ内部被曝はしません。
 福島では外遊びができない子どもの運動能力が低下したり、県民同士の差別や分断が起きています。線量の高低にとらわれず、原発事故が現実に健康に悪影響を及ぼしていることに注目すべきです。

(民医連新聞 第1561号 2013年12月2日)

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