民医連新聞

2013年10月21日

“犠牲のシステム”許さず平和憲法を基準に ―記念講演― 東京大学大学院教授 高橋 哲哉さん

 記念講演は、東京大学大学院の高橋哲哉教授が「『基地、原発、国防軍』―平和憲法こそ基準に」と題して行いました。高橋さんは福 島県出身の哲学者。福島や沖縄の問題から「誰かの犠牲の上に誰かが利益を得るシステムを許してはならない」と呼びかけ、「憲法にもとづいて人権侵害を正す ことこそ必要だ」と訴えました。講演の概要を紹介します。(丸山聡子記者)

 日本に丸ごと憲法の埒(らち)外に置かれている県が二つあります。沖縄と福島、米軍基地と原発によってです。
 子どものころ旧警戒区域の富岡町で暮らしました。一部が警戒解除となり、二度現地に足を運びました。ふるさとの惨状に「なぜ」という思いが消えません。

原発の4つの犠牲

 福島の現状を「犠牲のシステム」と表現しています。在日米軍基地が集中する沖縄に使ってきた言葉です。全県挙げて普天間基地の県内移設・オスプレイ配備反対の声を上げても、日米安保条約のもとで政府は一顧だにせず強行しました。
 福島の原発も同じです。「一部の人に犠牲を押しつけ、そのことで利益を得る」システムです。
 原発には四つの犠牲があります。第一に過酷事故による犠牲です。十数万人が避難生活を強いられ、常に放射能の不安に脅かされています。アメリカのスリー マイル、チェルノブイリ、福島…。過酷事故は二〇年に一度起きています。
 第二は原発労働者です。事故の収束作業だけでなく、通常運転中も被曝しながら作業してきました。
 第三は、ウランなど燃料採掘段階での被曝です。輸出元であるアフリカ、アメリカ、カナダ、オーストラリアでは労働者や住民の健康被害も発生しています。
 第四は、放射性廃棄物という非常に危険な核のゴミの問題です。日本は、米英仏が撤退した核燃料サイクル計画に固執しています。しかし核のゴミの置き場がない。廃炉した原発そのものも巨大な核のゴミです。
 原発は被曝の恐怖と高いリスクをともないます。生活、財産、健康、人間の尊厳や生きる希望を奪う「犠牲のシステム」を続けてはなりません。日本国憲法は誰かの犠牲の上に利益を得ることを認めていません。

「戦争放棄」骨抜きに

 日米安保や原発で起きている人権侵害を、憲法にもとづいて正すことが為政者の務め。しかし安倍政権は、憲法の原則を否定する方向で変えようとしています。
 焦眉は九条です。主権者である国民が政府に対し、「永久に戦争はしない」「軍は持たない」とした条文を、自民党案では「永久に」という言葉を削り、武力 の行使、武力による威嚇は「用いない」という気の抜けた表現に変えています。
 続く二項で「自衛権の発動を妨げない」としています。自衛権には「個別的自衛権」(直接攻撃されたときに反撃できる)と「集団的自衛権」(自国は攻撃さ れなくても同盟国=米国が攻撃されたら一緒に反撃できる)があり、日本政府の公式見解は「集団的自衛権は行使できない」です。
 自民党案の「自衛権の発動を妨げない」は、集団的自衛権発動は可能との宣言です。「戦争放棄」の建前は残すが、実質的には骨抜きにし、武力行使ができるようにする改正です。
 「国防軍」の規定では、「国際的な協調」の名で米軍と一体の海外派兵を想定しています。この乱暴な改正草案に、私は反対です。

国のあり方を変える

 「戦争できる国」になるには、国防軍を作り、改憲するだけではだめです。戦争をすれば戦死 者が出ます。そのとき「やはり戦争反対だ」ではなく、「それでも国のために戦う」と国民が考える社会にしなければなりません。しかし、日本は戦後六八年、 直接の戦争をしておらず、国民に平和主義が定着しています。
 「戦争できる国」にするために、自民党案は新しい国家像を打ち出しています。「天皇を戴く国家」です。
 現行憲法の前文は「日本国民は」で始まります。まず国民の存在が大前提で、これは「人類普遍の原理」だとしています。
 対する自民党案の前文は「日本国は」で始まります。「天皇を戴く国家」を守り子孫に継ぐために国民がある。国民の上に「国家の第一人者」の天皇が君臨し、国民の権利は制限されます。
 天皇、国会議員や公務員など権力者に課された憲法尊重義務(九九条)は、逆に国家から国民に課すものに変えます。「国会議員、国務大臣、裁判官」に擁護 義務を課しているものの「天皇」は抜いています。天皇は憲法擁護義務もない超然たる存在です。
 国民が主権者と言いながら、その人権も「公益及び公の秩序に反するとき」は国家が制限します。

*    *

 こうした憲法改正の動きに、危機感を持って反対していく必要があります。平和・人権、民主主義を守り実現していくために、一緒に力を尽くしましょう。


〈たかはし・てつや〉一九五六年生まれ。二〇〇三年より現職。近著に『犠牲のシステム 福島・沖縄』『憲法が変わっても、戦争にならない?』など。

〈現行憲法〉

(前文)日本国民は、正当に選挙された国会 における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行 為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。(後略)
(九条)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
(2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない
(一三条)すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

〈自民党憲法改正草案〉

(前文)日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。(後略)
(九条)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。
2前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。
(一三条)全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。

 (民医連新聞 第1558号 2013年10月21日)

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