民医連新聞

2013年9月2日

フォーカス 私たちの実践 療養病棟で抑制解除 島根・斐川(ひかわ)生協病院

初めての抑制解除に挑戦 スタッフのひと言をきっかけに

 職員のひと言をきっかけにスタッフ全員で抑制解除にとりくみ、患者さんの 笑顔を取り戻した島根・斐川生協病院療養病棟の看護師・中村さおりさんの報告です。認知症のある患者さんが他院から転院してきた際、すでに抑制されている ケースは、ままあります。転倒やけがの危険性があり、家族も「抑制する方が安心」と考えている場合も。そうした葛藤をどう乗り越えたのでしょうか。

 Aさん(当時七八歳)は一般病院から当院療養病棟に入院してきた認知症の患者さんです。左 大腿骨骨折ならびに脳動脈瘤クリッピングの術後でした。ふらつきがあり、平行棒を使えば一〇メートルほど歩ける程度で、車いすへの移乗動作に見守りが必要 でした。車いすではY字ベルトを使用し、ベルトを外さないよう、両手にミトンを着用していました。
 それでも、頻繁に車いすから立ち上がろうとし、転倒やケガが絶えませんでした。夜間も同じ状態で、当初は「困った患者さん」という印象でした。その頃のAさんは無表情で、会話も単語を発する程度でした。

病棟の“アイドル”に

 Aさんの抑制を見直すきっかけは、一人の看護師が漏らした「抑制はかわいそう」というひと 言でした。実は他のスタッフも、Aさんの抑制にはもやもやした気持ちを抱えていたことが分かりました。そこで、病棟スタッフ全員で確認し、抑制の解除に チャレンジすることになりました。
 まず、Aさんの一日の様子を記録。「寝ている」「起きているが危険行動なし」「危険行動あり」と分けて記入してみると、「危険行動あり」は多くありませ んでした。入院から半年ほど経ち、転倒などのトラブルが減り、Aさんの様子も落ち着きつつありました。
 はじめにY字ベルトを外しました。ご本人や家族から「食事の後片付けが好き」と聞いたので、食後にコップを洗ってもらいました。
 車いすや歩行器もやめ、独歩の訓練を開始。食器を洗うようになると、歩行も安定してきました。
 食器洗いから、少しずつ食堂の後片付けもしてもらいました。すると、Aさんの表情が豊かになり、笑顔が増えました。また、会話も続くようになりました。病棟行事にも積極的に参加していました。
 Aさんの笑顔はとてもすてきで、病棟の“アイドル”的存在になりました。その変化に職員も励まされ、やりがいを感じました。

家族に様子を伝えて

 「抑制をやめたい」と、初めて家族に説明した時、「ケガをするのではないか」と難色を示し ました。面談を繰り返し、抑制で危険は避けられても、続けると寝たきりになりやすく、発語も減りかねないことや、解除すれば状態の改善が見込めること、そ して「Aさんらしさを取り戻したい」という職員の思いも伝えました。
 解除は危険がないように職員見守りのもとで行うと確認。Aさんの変化はその都度家族に伝えました。歩行が安定し、表情や会話が豊かになるにつれ、家族も抑制解除に理解を示し、喜んでくれるようになりました。

カンファレンスを繰り返し

 これまでも抑制をせざるを得ない患者さんはいましたが、「どうしたら動いたり暴れたりしないか」という発想で、立ち上がろうとすると、抑えたり座らせたりしていました。
 解除に挑戦したのは、Aさんが初めて。カンファレンスを繰り返すなかで、「抑制する姿を見るのはつらかった」「抑制ベルトを着けるとき、これでいいのかと葛藤があった」など、職員の思いを出し合いました。
 このとりくみを通じて、記録を残し、共有することを重視しました。ADLが改善し、伝い歩きで自力で移動できるようになり、紙パンツを使用しながらも身 障者トイレで排泄ができるようになったことが分かり、「やればできる」という自信にもつながりました。
 その後、最初は抑制をしていた別の患者さんに対しても、立ち上がろうとしたら一緒に歩いてみたり、見守ってみたり、“その人らしさ”を大事にし、解除に 向けてとりくむようになりました。その中で、「個人を尊重し、無理強いしない生活を提供することで、抑制は廃止できる」ことがスタッフの確信となりまし た。
 これからも、抑制をしないケア、患者さん個人を尊重したケアを実行していきたいと思います。

(民医連新聞 第1555号 2013年9月2日)

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