民医連新聞

2013年9月2日

相談室日誌 連載338 孤独に生きてきた末期がん患者さん 橋本久美(東京)

 「医療費の相談をお願いします。余命はあと一~二カ月です」。医師から相談依頼の電話が入り、私はAさん(七〇代、男性)の病室に向かいました。「治療 費が払えねぇ、それだけだ。以上、話す事はない」と話してAさんは背を向け、口を閉ざしました。保険証の確認だけは許され、市役所に保険料の納付状況を確 認。国保料を滞納しており、限度額認定証が使えないこと。確定申告をしていないため一定以上の所得者扱いになっていることが判明しました。
 無年金のAさんは、入院するまで日雇いの仕事に就き、体に異常を感じていても生活のために身体を酷使していました。膀胱がんの末期でした。何度か面談を 重ねる中で、母子家庭で育ち、小さい頃から丁稚奉公(でっちぼうこう)していたこと、左眼を怪我したが病院に行けず、片目で六〇年間過ごしていたこと、そ して、これまで誰にも頼れず何とか生活してきたことがわかりました。
 手術と抗がん剤の治療を控えているが高額な医療費が払えないため、高額療養費の貸付と生活保護の制度についてAさんに説明しました。「仕事を続けない と」とはじめは生活保護を拒否しましたが、何度も制度について説明をし、申請に至りました。
 Aさんは既に動ける状態ではなく、手続きに市のCWが来院。「医療費と仕事の事は心配しないで、治療に専念して下さい」と伝えると「これで治療でき る…」と涙を流しました。また、入院を機に市役所や包括支援センターと繋がりを持つ事ができました。治療を開始し、一時自宅退院ができるまでに体力が回復 しましたが、数日間で再入院となり、そのまま病院のスタッフに見守られ永眠しました。
 小さい頃から、誰にも相談する機会が持てず社会からも孤立。受診したくても日々の生活に追われ、七〇歳を超えても生活保障もなく働き続けなければいけな い状態に追い込まれていたAさん。この事例を思い出すたび、自助にも限界があり、もっと早く地域との繋がりが持てなかったのかと思います。誰もが保障され るべき福祉、社会保障の施策について、何のために制度があるのかを改めて考えさせられました。

(民医連新聞 第1555号 2013年9月2日)

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