民医連新聞

2013年8月19日

相談室日誌 連載337 認知症高齢者の“いのち”の重さのこと 高橋秀智(茨城)

 「義母は高齢だから延命治療は望みません。家族で話し合いました。あの細い身体に管を通されるのはかわいそう…。ただ点滴だけは続けてほしい。B病院に入院させてもらえないか」。
 C診療所で点滴をする生活が続くAさん(九一歳、女性)のお嫁さんの言葉です。
 Aさんは当グループホームに入居して六年が経つ利用者です。高齢で認知症がありましたが、身の周りのことは自分ででき、歩行もしっかりし、そして何よりにぎやかな所が大好きなシャキッとした人でした。
 ある日、転倒して左大腿骨転子部を骨折。手術のため約二週間入院。治療を終えグループホームに帰ってきた時には活気のない表情になり家族の顔も忘れてし まうほど認知症が進行していました。食事もチョコレートやクッキーを数口食べる日が続き、ぐったりして、車椅子に乗っている状態でした。
 栄養はもちろん、水分補給すらできないこともあり、グループホームに帰ってからは毎日のように点滴を受けていました。主治医と医療機関の職員の配慮など で、二週間経過してようやくAさんはB病院に「検査目的」で入院。その結果、胃に大きな潰瘍が見つかり、治療を行いました。潰瘍が治癒しても、食べる力は 回復していません。経管栄養も行いながら経口でも少しずつ食べています。
 延命について、どうとらえるか。DNR(蘇生処置拒否)希望ならば、点滴もしないのか。家族の「希望」や心情に向き合うことや、医療機関と介護施設の事 情が絡み、二週間も点滴で通院したAさんは、一番つらかったのではないかと感じています。
 茨城では介護施設から救急車両を要請すると、DNRについて確認されます。確認がないと、同行した介護職や看護職がERの医師に「それならなぜ連れてき たんだ!」と罵倒されます。介護サービスを受けていて、DNRの意思を持っている高齢者は、いまや医療の対象ではないのか―、と疑問です。認知症の高齢者 に対しても、医療の必要があるかないかを、色眼鏡なしで診てくれる、そんな医療が必要です。

(民医連新聞 第1554号 2013年8月19日)

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