民医連新聞

2013年5月6日

福島に3年ぶりの研修医が誕生! 医療生協わたり病院

 原発事故の影響で医師不足が深刻化する福島。県連唯一の臨床研修病院医療生協わたり病院(福島市)に三年ぶりに初期研修医が入職しました。同院に は昨年から民医連の医師支援が入り、診療をささえてきました。いわば全国が待っていた研修医。遠藤剛院長は「全職員が心一つに研修医を育て、被災に立ち向 かう病院として再生を果たしたい」と話します。

 研修医は三月に帝京大学医学部を卒業した山内健士朗さん(28)。わたり病院との出会いは 「劇的」(遠藤院長)でした。民医連の奨学生を経て入職する研修医が多い中、山内さんは福島県が東京で開催したガイダンスで、たまたま同院のブースをのぞ いたことがきっかけ。震災後、県北地域の研修医は減少が続いていただけに、地域にも貴重な存在です。
 山内さんはその後、同院を見学。「雰囲気が温かいこと、地域医療に力を入れていることに感動しました。地域に根ざした医師が目標。しっかり学んで、総合 診療医の能力を身につけたい」と、わたり病院での研修を決めました。
 東京都多摩市の出身で福島は初めて。「放射能の影響が気にならないといえば嘘になります。でも、ここに住んでいる人がいる。その人たちが安心して暮らせるように力を尽くしたい」と山内さん。
 一四〇人が参加した四月の全日本民医連新入医師オリエンテーションで、全国の研修医と交流を深めました。「福島ということで、たくさんの人に声をかけてもらえた。一人じゃないと安心できました」。

全国への恩返しは―

 わたり病院は研修を成功させるため、四月に病棟を再編しました。一般病棟を集約して研修機能を強化、地域のニーズが高い回復期リハビリ病棟を増床、県北 では初めて緩和ケア病棟を開設しました。また、研修医を指導する病棟担当医、救急担当医を配置。情報共有を図る新入院カンファレンスも始め、従来の分野別 から集団的な医療活動へ転換を図りました。
 山内医師の指導医で、副院長の渡部朋幸医師は「研修を充実するとともに、さまざまな疾患を抱えた高齢者を総合的に診療する体制を整え、安心して受診できるようにしました」と語ります。
 県連として医師を育てる体制の構築も始めました。一九九〇年代に途絶えていた医師委員会を五月一五日に再開、委員長に遠藤院長が就任する予定です。県連 内の桑野協立病院(郡山市)、小名浜生協病院(いわき市)と連携しながら、研修プログラムを作ることも検討。研修医の誕生をきっかけに、わたり病院、そし て県連全体が大きく変わろうとしています。
 全日本民医連は被災地でがんばるわたり病院を引き続きささえるため、医師、看護師、リハビリ職員、薬剤師を支援。山内医師の相談に乗る後期研修医の支援 も予定しています。遠藤院長は「地域医療を担う医師を育てるとともに、住民の願いに応えた病院になることが支援の恩返し」と言います。

看護師もともに育つ

 研修医をささえるメンター(援助者)として、若手とベテランの看護師六人も配置。「一大決心をして福島に飛び込んでくれた山内医師に感謝したい」と根本 利恵子副総看護師長。また、西村由美子病棟看護師長は「急性期病棟の看護師たちは、せっかちになりがち。ゆっくり見守ろうと、皆で話し合いました」と言い ます。
 メンター制度の導入は初めて。支援に来た全国の看護師から各地の制度を学びました。「以前は『医師は医師が育てるもの』と、研修は医局任せでした。今後は看護師の願う医師像を出しながら、ささえたい」と根本さん。
 研修で大切にしているのがカンファレンス。入院時から退院後の生活まで見越した患者支援を研修医とともに考える予定です。「私たちも忙しくて、一人の患者にじっくりかかわることができていない。カンファを通して、ともに育ち合うイメージです」。

「自分も変わりたい」

 「山内さんに民医連らしい無差別・平等の医療をきちんと見せたい」と遠藤院長。渡部副院長は「知識・技術はコミュニケーションの土台の上にあるもの。患者、職員と心を通わせる医師になってほしい」と話します。
 「まじめで誠実」が周囲の一致した山内評。「自分は少し硬い人間かなと思う。地域医療に携わるうえで、スタッフや患者とフレンドリーにかかわれるように なりたい。家庭的なわたり病院で自分を変えたい」と山内さん。バイクのツーリングが趣味。「福島は風光明媚な地。余裕ができたら、磐梯吾妻スカイラインを 走ってみたいですね」と笑顔を見せました。
(新井健治記者)

(民医連新聞 第1547号 2013年5月6日)

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