民医連新聞

2013年4月1日

闘病の父に花嫁姿を 願いかなえた院内結婚式 千葉 船橋二和病院

式場のリハビリ室は祝福する患者さんや職員であふれて・・・

 「闘病中の父に、ひとめ花嫁姿を見せたい」―。一人娘の願いをかなえ、院 内結婚式を開いた病院があります。千葉の船橋二和(ふたわ)病院(二九九床)。神父役は主治医、バージンロードはリハビリ用マットと、すべて手作り。民医 連の事業所では他にもこうしたとりくみがありますが、今年一月に嬉しいニュースが。このことを書いた娘さんの手記が、「心に残る医療」体験記コンクール (日本医師会など主催)で、最高賞の厚生労働大臣賞を受賞したのです。(新井健治記者)

 手記を書いたのは秋田久美さん。父親の玉井広昭さんは糖尿病性腎症で、同院で透析治療を受けていました。八年前に母親が亡くなり、父と娘の二人暮らし。結婚が決まったものの、広昭さんの病状は悪化、外出は難しい状況でした。
 広昭さんの担当看護師だった梅木友美さんは、毎日見舞いに来る久美さんの姿に、「なんとか花嫁姿を見せてあげたい」と院内結婚式を提案。主治医の新貝小 百合医師も「やりましょう」と即断し、本番に向け動き出したのです。
 病院では前代未聞のイベント。当初は実現できるか半信半疑の梅木さんでしたが、話を聞いた同僚が次々と手伝い始めました。「お願いしていないのに、『こ れ、やりましょうか』とみんなが声をかけてくれた。嬉しかった」と梅木さん。
 式場はリハビリ室で、飾り付けは作業療法士と患者が協力。天井から風船を吊し、赤いリハビリマットをバージンロードに見立てました。音楽はキーボードを 外科医、フルートを病棟看護師が担当。検査技師が趣味を活かしてブーケを作り、ウエディングケーキは職員のカンパで用意しました。

こんな病院があるんだ

 結婚式は二〇一一年八月。当日は新郎新婦の親族のほか、うわさを聞いた職員、患者が自然と集まり、会場いっぱいの五〇人が参加。廊下にまで人があふれました。
 車いすの広昭さんとウエディングドレスの久美さんが入場。神父役の新貝医師が結婚を宣言し指輪を交換、ウエディングケーキ入刀など一時間あまりの式でし た。式の間も意識が朦朧(もうろう)としていた広昭さんですが、最後は拍手をし「健康に気をつけて、二人でがんばってね」と声をかけました。一カ月後、六 八歳の生涯を閉じました。
 「映画やドラマの世界のようでびっくり。感激のあまり涙がこぼれました。こんな病院があるんだと知ってもらいたくて、コンクールに応募しました」と久美さん。
 梅木看護師の提案からわずか二週間で実現した式。多くの職員、そして患者が、自発的に協力しました。久美さんは「スタッフの企画力、結束力、深い思いや りを感じました。生前は見舞いに行くたび、父の病状を聞きましたが、どの看護師さんも丁寧に説明してくれた」と言います。

3年目看護師の提案が

  「梅木さんの提案は嬉しい驚きでした」と新貝医師。「患者、家族に寄せた看護師の思いやりに感謝したい。患者の納得する医療を提供するには医師だけではできず、スタッフの力が必要と改めて思った」と言います。
 梅木さんは当時、看護師三年目。最初の二年間は目の前の業務をこなすのが精一杯で、理想の看護師像とのギャップに悩んでいました。三年目で、少し力が出 せるようになった時に担当したのが広昭さん。「初めてじっくりかかわることができた」と言います。
 「広昭さんのこれまでの人生や娘さんへの思いを聞き、患者さんというより一人の人間として、その人らしく生きることを応援する看護ができた。私にとっても、この経験は宝物です」。

患者会の仲間たちも

 式で祝辞を贈ったのが同院の透析患者会「ソラマメの会」の鈴木和夫会長と齋藤邦男副会長です。広昭さんは生前、旅行や学習会など患者会の活動に積極的でした。
 「船橋二和病院は心のこもった医療が信条ですが、一人の患者にここまでするとは感激」と鈴木さん。「透析に通院する曜日が同じで、広昭さんは親友だった。会えば久美ちゃんの話ばかり」と齋藤さん。
 同会では患者同士の親睦だけでなく、学習会やいのちと暮らしを守る署名活動、行政への要求、病院との意見交換も行っています。鈴木さんは「日ごろから患 者同士・患者と病院の絆を育んできたのが患者会。それが結実したのが院内結婚式だった」と話します。
 久美さんは今も、仏壇に手を合わせるたび「お父さん、病院に感謝だね」と語りかけます。「花嫁姿を見せられなかったら、後悔がつのったはず。父に最大の プレゼントを贈ることができた。やりきったとの清々しい気持ちで、前を向いて歩くことができます」。

(民医連新聞 第1545号 2013年4月1日)

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