民医連新聞

2013年2月18日

私の3.11 (9)山形 斎藤結麻(ゆま)さん 福島から避難して来た親子の思い

 鶴岡協立病院の新卒看護師です。昨年七月一六日、一七万人が集まった東京の脱原発集会に参加しました。先輩看護師から誘われ軽い気持ちで参加したのですが、思った以上の熱気に驚きました。
 三三℃の気温の中、原発をなくそう、再稼働を止めようと訴える言葉に賛同し、「そうだ!」と声を挙げる参加者の方々を目の当たりにし、圧倒されました。
 私は米沢市内の看護学校で民医連の奨学生として看護を学びました。学生生活が三年目を迎える時に東日本大震災が起こりました。ちょうど病院での実習中 で、まともに立っていられない揺れに建物が壊れるのではないかと思いました。
 学生時代は米沢市内のアパートで一人暮らしをしていました。山形は福島に近いため、原発事故後に多くの方が避難して来ました。私の住んでいたアパートに も、子どもの安全を考えて四家族が引っ越して来ました。夫を福島に残し、お母さんとお子さんだけの家族ばかりでした。
 小学生と保育園の子どもがいるお母さんは、「福島に帰りたいが、今は帰ることができない」と話していました。慣れない雪かきや、夏の暑さに負けずに生活 をし、福島に帰るという強い思いをもって前向きにがんばっている姿は、私自身の学生生活や今の仕事の中で手本にしている部分でもあります。その方々のため にも、原発はなくさなければならないと改めて思いました。

 卒業後は地域に密着した鶴岡協立病院を選びました。患者さん、ご家族との信頼関係を深め、対話をしながら治療方針を決める姿勢に魅力を感じました。実家に近かったことも理由の一つです。
 家族の入院などで幼少時から病院が身近にあり、看護師の働く姿を見て育ちました。「人を助ける仕事に就きたい」と、保育園のころから看護師になるのが夢でした。
 四月には二年目看護師になります。まだまだ、技術や知識が未熟なことを痛感します。後輩にしっかり教えられるよう、自分を磨かなくてはと思います。
 将来は患者さんに寄り添う看護師になりたいです。「一生懸命に看護をすれば、必ず良い方向に向かう」との強い思いをもって、患者さんに接したい。それは 「故郷に帰ることを絶対にあきらめない」との思いで生活している、福島から避難して来た人たちから学んだことです。
 原発事故から二年が経とうとしていますが、政府はいまだに脱原発を決断できません。原発を再稼働したい人たちの考えを変えるのは、難しいでしょう。だか らこそ、原発に反対する人は、声を挙げなくてはいけません。一人でも多く意志表示をすることが、脱原発への大きな力になると思います。
 学生時代にも何度か脱原発集会に参加しました。原発をなくすことは一人ではできません。皆の声を一つにし、力を合わせてなくしていくことができたらと 願っています。

(民医連新聞 第1542号 2013年2月18日)

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