民医連新聞

2013年1月7日

創立の原点を確認しよう 藤末会長 新春インタビュー 聞き手 上原昌義理事(沖縄医療生協理事長)

 二〇一二年をふりかえり、新年を展望する全日本民医連の会長新春インタビュー。聞き手は、全日本民医連理事の上原昌義医師です。

立ち上がった人々

藤末衛会長 二〇一三年を迎えました。昨年は脱原発やTPP参加反対など、国民の運動が大きくなった一年でした。沖縄もそうですね。
上原昌義理事 昨年九月九日、オスプレイ配備の問題で沖縄県全体で一〇万三〇〇〇人の抗議集会を開きました。沖縄民医連は、地域の先生方に助けていただきながら医療班を担いました。会場で見た県外の民医連の仲間の顔に「沖縄だけでたたかっているのではない」と心強かった。
 那覇市で育った私に基地は身近でしたが、基地問題は成人してから認識しました。身近な大人も語りませんでした。僕の小学校担任は、一九五九年の宮森小学 校米軍機墜落事故(児童ら一七人が犠牲)に遭遇していたと最近分かりましたが、先生は当時の僕らには事件のことは語りませんでした。基地のある環境が当た り前で、「何を言っても変わらない」という諦めも正直あったと思います。
 その沖縄の空気が数年前から徐々に変わっています。二〇一〇年七月の辺野古基地移設反対集会は、アクセスの悪い読谷村に八万人集まりましたが、驚いたのは大学の医局からも参加があったことです。
藤末  住んでいても見えない沖縄がある。ましてや、県外からはもっと見えない。現地と心を通い合わせる行動をと、〇四年から開始した辺野古支援・連帯行動も二七 次、のべ約一七〇〇人の民医連職員が参加しています。沖縄に着いた瞬間から戦闘機の騒音の下に立ち、延々と張り巡らされた鉄条網にショックを受けます。民 医連は米軍基地再編問題を「日本の進路を決める重大な問題」と位置づけてきました。辺野古支援・連帯行動は今後も続けます。
 先ほどオスプレイの集会に一〇万人と話されましたが、人口一四〇万の沖縄県で、一日に一つの課題でその規模の住民が行動したのはすごいことですね。同じ く、脱原発を訴えた集会を一七万人という史上初の参加者数で開いたり、原発再稼働反対を訴える人たちが首相官邸を毎週取り囲むという行動が起きているわけ ですが、その根っこに何があるのかを考えることは、情勢をみるうえで非常に大事だと思います。日本のここ一〇〇年の歴史を見ても、人々が政治的な課題で大 規模に行動することは何回もありませんでした。

■国民と国会のねじれ

上原 昨夏の全日本民医連評議員会では「民意と政治、国会との異常なねじれ」がキーワードでしたね。
藤末 ねじれを実感し、「国会や政治家には任せられない」という動きが大きくなりました。
 オスプレイは、最初は岩国に陸揚げし後から沖縄に持ってくる。高江のヘリパッドも、オスプレイには触れずに計画し、同機が沖縄に配備されれば「当然、オ スプレイ用だ」と後から言う。大飯原発再稼働も、電力不足から国民を守るためだと首相は言うが、本当は電力会社のためだとバレている。その大嘘が国民の怒 りの火に油を注いだと思うし、嘘をつかねばならないほど政府が追い詰められている。
 震災復興予算についても、被災地以外に流用できるしくみがつくられました。生活再建のめども立たない被災者を放置して実行され、そのうえ消費税増税も決めました。
上原 「当たり前の主張がなぜ通らない? 政府は僕たちを見ていないのか?」というのが沖縄の受け止め方です。
藤末  民主党は政権を下野すると分かっていても突きすすみ、財界やアメリカに言われるままの政策を通そうという事態です。ならば我々は国会の外で、もっと大勢の 人と大きな声をあげていこうじゃないかと思う。沖縄でもこのまま行けば、「安保条約そのものに問題があるんだな」と気づく人が増えるでしょう。

■貧困による健康格差

藤末  社会保障分野は複雑な状況です。社会保障の財源が消費税増税の人質にされたり、生活保護への激しいバッシングがありました。「生活保護が優遇されている。 もっと厳しくすべき」との感覚が国民に少なからずある。バッシングが一定受け入れられる土壌には、フルに働いても生活保護基準に届かない収入で暮らす人た ちの増加や、低年金、保護受給の門の狭さ、生活保護以外の社会保障の貧しさの問題があります。
 年収二〇〇万円以下のワーキングプアは一〇〇〇万人を超えています。ヨーロッパ並みの社会保障制度や、雇用確保と正社員化の重要性を国民の常識にする必 要があります。そんな中で、民医連は困難な人々を応援する活動をすすめてきました。
上原 沖縄民医連も二〇〇九年に新病院ができてから、がむしゃらにやってきました。いま、長期計画の中で透析センターの新築や高齢者住宅づくりにとりくんでいます。
無料低額診療事業も沖縄県で初めて、二〇一〇年一〇月から始めました。職員には地域での民医連の役割を実感する力になっています。
無低診を利用される患者さんは、来る人来る人、言葉は悪いですがドン底の境遇です。糖尿病のコントロール不良で、手足がしびれている五〇代の患者さんがい ました。生活保護は息子が働いているから使えない。でも息子の収入も月一〇万円程度なのです。世帯分離をしてでも生活保護をとり治療を続けるか、という話 になった時、「貧困が原因で家族がいっしょに住めないのはおかしい」と職員たちは気づきます。
沖縄は子どもの貧困も深刻です。給食費や修学旅行費を払えず、五人に一人は就学支援制度を受けている中、無低診を各学校に案内し喜ばれています。こういう とりくみを経験し「民医連に来てよかった。こんな仕事がしたかった」と、看護師をはじめ職員の声が聞こえてきます。僕たちも確信が持てて、「もっとすすも う」と話しています。
貧困問題にとりくんでいる地元大学の先生によると、貧困による健康格差は、沖縄でも放置が許されないレベルだそうです。
藤末  相当意識しなければ、現場で起きているさまざまな問題と国の制度の矛盾を、職員がダイレクトにつかみにくい状況があります。それが無低診にとりくむこと で、経済的理由で医療が受けられずに困っている目の前の患者さんを救いつつ、現場で直接問題を自覚し発信することができる、わかりやすい状況が生まれまし た。いま、三〇四事業所で行っています。
上原  沖縄県内で、無低診にとりくんでいるのが私たちだけでは足りないと思っています。スポーツ活動でいっしょの県医師会長に「皆でやりませんか」と話している ところです。医師会には、福島の原発事故で避難してきた人たちの検診でも相談に乗ってもらっています。沖縄の医療界全体で、沖縄の医療を守るとりくみをや りたい。

■地域再生で手をつなぐ

藤末 いいですね。民医連は四〇回総会で、運動をつなぐ「架け橋」になることを提起しました。各地で積極的に受け止められ、脱原発やTPP反対の共同の動きをつくれたことは大きな成果だと思います。
 また、経済のグローバリズムやいわゆる構造改革というのは、結局のところ地域を疲弊させ、個人個人をバラバラにしてしまう。それに対して私たちは医療・ 介護だけでなく、食や労働、環境などの分野でも架け橋となって共同し、地域再生運動を各地で起こそう。それこそがグローバリズムに対する有効な反撃とな る。人間が大切にされる、持続可能なもう一つの世界にも続いていくんだと考えます。
 「わが地域で共同はまだ難しい」との声も出ますが、上原先生のように顔の見えるつながりで、思想信条を超えて呼びかけていくことが大切です。昨年一〇 月、長野県で「地域から『医・食・住・環境』の再生をめざすシンポジウム」を初めて開催し、これまで知らなかった人たちとも出会える良い集会になりまし た。ぜひ、今年は沖縄でもやって下さい。
上原 沖縄は観光を除けば、サトウキビが基幹作物。日本がTPPに参加すると農家は厳しくなるため、この課題ではJAといっしょにできると思います。

shinbun_1539_01

共同がすすんだ60年

藤末 運動もさまざまやりたいし、事業展開もしたいですね。そこで大事なのは、若手職員にどう育ってもらうかだと思いますが。
上原 困難事例にも寄り添える職員になってほしい。地域や患者さんに応えるチーム医療がしたいです。
藤末 経済的な問題などで、医療にかかれない方も含めた「すべての人」にこだわったチーム医療・介護の実践を、人づくりの基本におきたいですね。
上原 会長がおっしゃったことはとても大事な点で、共同組織ともいっしょに、健康を守る運動課題にもとりくみたい。また、人は学ばないとすすめないので、皆で学習もしながら、地域に求められる医療機関としてやっていきたいです。
 また、医師も専門制度が大きく変わろうとしていますから、これから学んでいく医師には「医療技術も専門医資格も両輪だよ」と話しています。指導はしっかり、資格も取れる手立てをとりたいです。
 昨秋の全日本民医連中小病院交流集会でも「日本の医療をささえているのは中小病院だ」と確認しました。そういう点も実感できるよう打ち出しを工夫し、後 期研修にも「行って来い」と胸を張って言えるような体制づくりがしたいです。
藤末 全国の民医連で広く協力しながら、技術的な問題も専門医の問題も克服したいですね。
上原 はい。オール民医連で、各地の得意分野を生かして。

■何のために、誰のために

藤末 全日本民医連は今年六月、創立六〇周年を迎えます。“民医連は特殊”との感覚は薄れ、交流も広がりました。広く認知され共同がすすんだ成果を共有しながら、創立から六〇年間、大事にしてきた原点をしっかり確認したいと思います。
 記念行事も考えていますが、この機会に「私たちは何のために、誰のために学びたたかってきたのか。そして、誰とともに歩んできたのか」を確認したい。自 分たちを「最後の拠り所」と言いますが、それは日本国憲法九条や二五条抜きに語れない。ほころびは出ているものの、国民皆保険の存在が前提で私たちは「最 後の拠り所」になるのです。
上原 昨年、民医連通史が出版されました。「こんな先輩たちがいて、僕たちはいまある」と心熱くなる物語で、根底に患者さんとともに安心して住みつづけられるまちをつくっていこうという民医連綱領がある。これはずっと変わらない、脈々と続いているんだと実感しました。
藤末 特に、若い職員とともに歴史を創る気持ちでいたいですね。今年も健康に留意しながら、やっていきましょう。

(民医連新聞 第1539号 2013年1月7日)

リング1この記事を見た人はこんな記事も見ています。


お役立コンテンツ

▲ページTOPへ