民医連新聞

2012年11月5日

ベラルーシで今も続く健康被害 医療関係者が実態を伝えよう 第5回被ばく医療セミナー 菅谷昭さんが語るチェルノブイリの真実

 長野県松本市市長で医師の菅谷(すげのや)昭さんが一〇月一三日、全日本民医連第五回被ばく医療セミナーで講演しました。(新井健治記者)

 チェルノブイリ原発事故が起きたのは一九八六年。五年後から放射能汚染地域で医療支援活動 を始めました。九六年にはベラルーシに移住し、がんセンターで小児甲状腺がんの手術の技術支援。汚染された村々の往診も実施し、二〇〇一年の帰国まで被ば く医療の最前線に立ちました。
 事故の影響による健康被害として、IAEA(国際原子力機関)が唯一認めたのが小児の甲状腺がんです。原発推進のIAEAでさえ認めざるを得ないほど、被害は大きかった。
 ベラルーシ国内では、事故から四年後の九〇年からがんが急増し、九五年の年間患者数は九〇人にのぼりました。小児の甲状腺がんは一〇〇万人に一~二人と 非常に珍しい。私は甲状腺を専門にしていますが、ベラルーシに行くまではごく少数例の経験のみでした。
 内部被曝が人体に及ぼす影響にはタイムラグがあります。医療を通してベラルーシの住民の苦しみをつぶさに見てきた体験から、日本でも早く手を打つべきだと、福島原発事故の後からずっと警告してきました。
 行政のミッションとして、一番大切なことは住民の命を守ること。でも、今の政府は情報を小出しにし、被害を小さく見せようとしています。
 ある全国紙の調査で、信頼できる情報源として「かかりつけ医」を挙げた人が過半数にのぼりました。福島のことは、そこに住んでいる人はなかなか声をあげ られない。政府が被害の実態を隠そうとしている今、医療関係者が福島の本当の姿を訴えてほしい。

非がん性の健康被害

 今年七月に再度、ベラルーシを訪問しました。事故から二六年経った今も、被害は現在進行形で、甲状腺がん以外に非がん性の健康被害が起きています。訪れたモーズリ市では、事故後に生まれた一〇~一五歳の子どもたちの多くが「疲れやすい」と訴えています。
 同市はチェルノブイリ原発から西へ九〇km離れた低線量汚染地帯。ここでも免疫機能の低下、造血器障害、周産期異常などが増えていますが、全てが事故の影響かどうかは分かりません。
 ベラルーシは貧困層も多く、汚染地域で採れた野菜などを、食品規制の枠から外れて摂取してしまうケースがあります。そのため、内部被曝が増えているとも考えられます。
 高濃度に汚染されたゴメリ州では、日本の厚生労働官僚に当たる医師に会いました。ベラルーシは箝口令(かんこうれい)が敷かれていて、役人は本当のこと をなかなか話しません。彼も「チェルノブイリはもう終わった。非がん性の健康被害は精神的なもの。日本の原爆被害でも同じようなことを言っている」と指摘 しました。
 私は彼に「役人ではなく医師として話してほしい」と、詰め寄りました。すると「長期に住民の健康状態をチェックしないといけない」と改めました。

学童の集団疎開を

 ベラルーシの汚染地図を見れば分かりますが、同国では土壌の放射線量一五〇〇キロベクレル以上の地域を居住禁止区域、五〇〇~一五〇〇キロベクレルの地域は厳戒管理区域に指定し移住をすすめています。
 これを報道などでよく目にする福島原発事故の汚染地図と照合すると、飯舘村は一部が居住禁止区域、川内村は厳戒管理区域に当たります。ベラルーシの居住 禁止区域は、今も人が住めません。両国の汚染地図を照合すれば、福島の汚染は想像以上に厳しい。チェルノブイリの汚染地図を目にしていないから、実感でき ないのでしょう。
 ベラルーシでは除染をあきらめ、住民を退去させました。高圧洗浄をしても、放射性物質は別の場所に流れてとどまり、乾燥すれば再び舞い上がって汚染を繰 り返します。特に福島県は七割が山間部のため、除染は大変難しい。本格的に実施するとなると、数十兆円かかるかもしれません。
 費用対効果を考えれば、県内の学童の集団疎開を検討すべきです。自主避難している人は、「自分だけが逃げた」と肩身の狭い思いをしている。だからこそ国策として検討すべきです。
 原発事故で大地が、人が汚染された事実は変わりません。でも、福島の人には「どうか、下を向かないでください」と呼びかけたい。内部被曝を最小限に抑 え、定期的な健康診断で早期発見、早期治療に努めれば、健康被害は食い止めることができます。皆で知恵を集め、この緊急事態を乗り切りましょう。


すげのや あきら

 1943年、長野県千曲市生まれ。信州大学医学部卒。同附属病院勤務の傍ら、91年から NGOによるチェルノブイリ原発事故の医療支援に参加。93年、信州大学助教授就任。96年からベラルーシに移住し、首都ミンスクの国立甲状腺がんセン ターで小児甲状腺がんの外科治療に従事。99年からゴメリ州立がんセンターで医療支援活動にあたる。2001年帰国。長野県衛生部医監、同衛生部長を経 て、04年に松本市長就任。現在3期目。

(民医連新聞 第1535号 2012年11月5日)

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