民医連新聞

2012年10月1日

友の会はいのちの仲間づくり 葬儀屋さんが見た孤独死 (有)中野セレモニー社長 桃田数重さん

 多 発する孤独死や自殺。寂しい最期を迎えた人を、丁寧に見送る葬儀屋さんがいます。東京・中野区沼袋の葬儀社「中野セレモニー」社長の桃田数重さん (74)。多くの死に立ち会い、“いのち”のかけがえのなさを語ります。「ぬましん健康友の会」事務局長でもある桃田さんは、「友の会はいのちの仲間づく り。強化月間で仲間をたくさんつくろう」と呼びかけます。(新井健治記者)

 つい先日もマンションの一室で、ミイラ化した遺体と対面しました。中野区福祉事務所から 「生活保護費を取りに来ない人がいる」と、マンションを管理する私に電話があり、駆けつけると部屋の外にまで異臭が。玄関チェーンを切って中に入ると、山 のような弁当の空き箱の中で、男性(78)が孤独死していました。死後三カ月、親族の連絡先も分かりません。すさまじい臭いの部屋を片付け、わが家で葬式 を挙げました。
 私が通っているぬましん(江古田沼袋診療所=沼診)や会社の周辺は、古いアパートがたくさんある下町のような地域です。それでも孤独死は増えています。 近所の火葬場の話では、身寄りのない遺体は年間三五七人、うち自殺が八九人もいます。一日一人は孤独死している計算でしょうか。
 警察から「無縁仏が出た」という連絡も頻繁にあります。霊安室に行くと、ビニール袋に詰められたご遺体が、冷たいコンクリートに横たわっている。丁寧に 自宅に運び、白装束に包み、ボランティアのお坊さんにお経をあげてもらいます。何もせずに火葬場で焼いてしまうのはあんまりだから。
 身寄りのない人、お金のない人の葬式は無料にしています。区役所も、困ったことがあると相談してきます。

“産んでくれてありがとう”

 葬儀屋を始めたのは一八年前。こんなことがありました。四三年間、音沙汰無しだった一人息子が、母親の葬儀に駆けつけました。警察が探し出し、連絡してくれたんですね。息子は母の手をとり肩を震わせながら、つぶやきました。「産んでくれて、ありがとう」―。
 私はその瞬間、たった一つしかない“いのち”のすばらしさを感じた。人は必ず死ぬからこそ、真摯にいのちに向き合わなければ。
 高齢者から、生活保護の相談も増えてきました。不動産業の免許も持っているので、家賃が払えなくて追い出されそうな人がいると、私の管理しているアパートやマンションに転居してもらい、生保の申請に同行します。
 貸し渋る大家には、私がゴミの収集に責任をもつことを条件に貸してもらいます。ゴミを見れば生活が分かる。「あんまり食べてないんじゃない」と、心配して声を掛けることもあります。

分かってきた孤独死の傾向

 長年の経験で、孤独死の傾向が分かってきました。買い物に行かなくなる、無口になる、部屋に弁当の空き箱が散乱している…。部屋の中を見れば、孤独死のSOSに気付く。
 寂しい最期を迎えた人でも、かつては家族があり、和やかな団らんもあったのです。何でも拾ってきては、自室にため込む八八歳の女性がいました。いわゆる ゴミ屋敷です。入院をきっかけに部屋の掃除を頼まれ、ゴキブリの巣のような室内を片付けました。
 退院後、九二歳で亡くなるまで話し相手になり、遺言書も作りました。戦前は従軍看護婦として中国に渡り、戦後は東京都の保健師として一生懸命働いた。近 所から「汚いばあちゃん」と疎まれていましたが、彼女にも青春があった。
 孤独死を防ぐには、危険信号を感じた人に寄り添い、心と心がふれ合う時間を多くつくること。「私にも味方がいる」と感じてもらうことが大切です。民医連職員が、ぜひ味方になってほしい。
 生活に困った人には「お金のことは心配しないで、沼診へ行きなさいよ、桃田の紹介だと言って」と声を掛けます。誰もが安心してかかれる医療機関があることは、どんなに心強いでしょう。

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部屋の中にまで上がり込む関係を

 わが家は沼診発祥の地に建っています。沼診は一九五〇年に設立され、移転後に土地を買い取りました。当時は空襲で焼け出された人たちが、バラック(間に合わせに建てる粗末な家屋)に住んでいました。低所得者が多く、健康のためには生活を守らなければなりません。
 一九六六年に沼診に事務職で入職し、在職中は徹底的に地域を回り、住民の生活を見聞きしました。銭湯で背中を流しながら話を聞いたことも。診療が終われば職員が集まり、地域であったことを出し合いました。
 たとえ訪問をしても、玄関先で帰ってきてしまっては、その人の生活は分からない。部屋の中にまで上がり込めるような関係をつくらなければ、孤独死は防げません。

困った人がいれば気になって仕方ない

 体はしんどいですよ。五七歳の時に脳梗塞で倒れ、左半身に麻痺が残ります。五年前から週三回の人工透析で中野共立病院に通っています。「何も、そこまでやらなくても」と言う人もいますが、性分だから仕方がない。
 ぬましん健康友の会の会員は約八〇〇人。うち、一人暮らしで行事に顔を出さないなど「気になる会員」が四八人います。透析の帰り道、そんな会員宅に寄ります。会えない時は手紙を書きます。
 移動の“足”は不自由な体でも乗れるタイヤの小さい自転車。前かごに「命を守る 江古田沼袋診療所」と書いた手作りのステッカーをつけています。私は民 医連を信じています。民医連には真摯にいのちに向き合う職員がいる。たった一つのいのちを大事にする、いのちをあきらめない組織です。
 友の会は、そんないのちの仲間づくりでしょう。単なる患者の寄り合いではない。仲間なら楽しいことも、苦しいこと、悲しいこともたくさんある。共同組織拡大強化月間で、うんと、仲間づくりに励みましょう。

桃田数重さん

 江古田沼袋診療所の共同組織「ぬましん健康友の会」事務局長。1938年生ま れ。66年から4年間、江古田沼袋診療所に事務職として勤務。71年に中野区議(日本共産党)に当選し、6期24年務める。94年に民間葬儀社「中野セレ モニー」創業。地域の老人クラブ「延寿会」会長も務める

(民医連新聞 第1533号 2012年10月1日)

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