民医連新聞

2012年9月17日

第11回共同組織活動交流集会in岩手 いのち輝くまちづくりを

 九 月二~三日、岩手県で行われた第一一回共同組織活動交流集会から、シンポジウムと記念講演の要旨を紹介します。シンポは「東日本大震災といのち輝くまちづ くり~住民本位の復旧・復興を!」をテーマに、岩手、宮城、福島から四人のパネリストが登壇。記念講演は三上満さんが、宮沢賢治を語りました。

福島 見えないところに本当の困難が

浜通り医療生協組織部 工藤史雄さん

 福島県の人口は二〇〇万人を切りました。若い層の流出が大きく、全国に例を見ないスピードで高齢化がすすんでいます。私の娘は生後五カ月で3・11を迎えました。一時は遠方に避難しましたが、家族がバラバラでは子どものためにならないと、今はいっしょに暮らしています。
 「〇〇シーベルト以下だから安全」といった「線量論争」はしたくありません。県外に避難した人も、住み続けると決断した人も、週末だけ避難する人も、その人の決断を尊重して支援してほしい。
 避難先から帰還宣言をした自治体がありますが、水道さえ復旧していない地域も。職場はなく、周囲の人が帰ってこなければ、どうして戻れますか。このまま 警戒区域が解除されれば、「町に戻らないのはその人の勝手。賠償金も打ち切り」となりかねません。
 被災者の生活再建には、原発事故の完全賠償が不可欠です。その際、「時間」「空間」「線量」のいずれでも区切らないこと。いわき、郡山、福島、南相馬の 四市で「完全賠償させる会」が発足しました。全県に広げるとともに、全国的な支援をお願いします。
 私たちがこれからなすべきことは何でしょうか。表に出てこないところにこそ、本当の困難があります。たとえば、仮設住宅には行政やボランティアの支援が 入りやすいのですが、借り上げ住宅には手が届いていない。ところが県の調査では、被災者のうち仮設に住む人は三割で、残り七割は借り上げ住宅に住んでいま す。
 県議会をはじめ県内五九市町村中、四七市町村が「原発廃炉」を決議しました。私たちが原発NOと言わなくて、誰が言うんですか。広島、長崎の被爆者は、 核兵器の恐ろしさを語り継ぐことを自らの責務としました。私たちも、二度と原発で苦しむ人が出ないよう、事故を語り継いでいきます。

岩手 いつでもアンテナを高く

盛岡医療生協理事 山本章子さん

 私は岩手県紫波町に住んでいますが、故郷は津波で壊滅的な被害を受けた陸前高田市で、兄は四月六日に遺体で見つかりました。
 震災直後から沿岸部の大船渡市で医療支援を行い、引き続き仮設住宅で健康チェックやお茶っ子会を開催、今年七月からリハビリ支援も始めました。機関紙 「さわやかさん」を配りながら、いずれ沿岸地域にも支部を作りたい。共同組織があるからこそ、支援される側も安心して接してくれます。
 全国の仲間の支援はとてもありがたいものでした。自分の力だけではとてもとても、気持ちがあっても続きません。
 私の所属する紫波東支部では今年の五~六月、値崩れして農家が出荷しなくなったレタスやキャベツを譲り受け、軽トラに積み、陸前高田市と大船渡市に運びました。野菜の支援でこんなに喜ばれたのは初めてです。
 復興はすすんでいません。報道では明るい顔が映されますが、みんな心では泣いています。いつでもアンテナを高くして、宮沢賢治のように手をさしのべる、 私はそういう人間に近づきたい。困った時には素直に助けたり、助けられたりして生きていきたい。

宮城 動き始めた「まつしまの郷」

松島医療生協理事長 名雪(なゆき)英三さん

 東松島市の介護施設「なるせの郷」では、津波で利用者一二人、職員三人が犠牲になりました。「まつしまの郷」として、松島町に再建する予定です。
 震災直後から全国の支援者とともに、安否確認、物資配布、避難所訪問、被災者宅の清掃をしました。その後は東松島市や石巻市の仮設住宅で、健康チェック や茶話会を開催。遠く大阪から鍼灸ボランティアも来ています。被災者宅で交流を兼ねて始まった「エコたわし」作りは、起業のめどもたちそうです。
 今年から松島町の借り上げ住宅に越して来た被災者を対象に、孤立しがちな人たちをつなぐ「なんぎだったね・まざらいん会」を始めました。松島町の半数以 上の世帯が当法人の組合員です。さまざまな団体の協力を得られることが強みで、地域住民とともに新しいまちづくりに挑みます。

宮城 津波は過去を、原発は未来を奪う

東日本大震災復旧・復興支援
みやぎ県民センター事務局次長 村口至さん

 宮城県の調査によると、障害者や生活保護者の震災死比率が一般の比率よりいずれも高くなっています。介護施設も医療機関の二倍の比率で被災しました。被災に見る格差をどのように考えればいいのでしょうか。
 被災地にはもともと東北格差がありましたが、復旧による格差拡大も狙われています。震災便乗型企業が暗躍、仙台空港地区にカジノ特区構想や、東北メディカル・メガバンク構想もあります。
 福島県南相馬市の小高赤坂病院院長は私の同級生ですが、彼は「津波は過去を奪ったが、原発は未来を奪った」と語っています。同院は全国に先駆けて精神科 の開放病棟を始めましたが、原発事故で閉鎖を余儀なくされました。
 平成の大合併で職員数が減り、仮設住宅の警備を東京の警備会社に任せる自治体もあります。災害対策、そして住み続けられるまちづくりのためには、住民の 自治能力が求められています。共同組織に蓄積されている自治能力を、組織の外でも展開してほしい。
 また、公務員、特に地域の保健システムを構築する保健師と交流を図りましょう。日常の運動の中で、さまざまな課題にいっしょにとりくむことが大切です。

記念講演 震災に生きる宮沢賢治の世界観

心潤す一滴の水に

 東日本大震災は、社会のあり方や人と地球の調和が問われたと思います。これま でのように、経済活動優先や自己責任論、弱肉強食の社会でいいのでしょうか? 宮沢賢治の生き方や考え方は、被災者や新しい世界を築こうとしている私たち を励まし、未来を変える大きな手がかりになります。

震災が示した人間の特性

 賢治は三七年の生涯で何度も病気になり、将来への不安や苦悩がありました。
 親友に宛てた手紙にこんな言葉があります。「かなしみはちからに、欲(ほ)りはいつくしみに、いかりは智慧にみちびかれるべし」―。これは賢治が苦悩の 中で探り当てた「人生の道しるべ」です。この言葉は、今も数々の困難の中にある被災者の心に響くのではないでしょうか。
 今回の大震災は、人間が本来持っている二つの特性を示したと思います。一つは、人は困難に立ち向かう存在ということです。
 被災地の学校の卒業式や入学式で、多くの校長先生が賢治の「雨ニモマケズ」を生徒に紹介しています。「東ニ病氣ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ、西ニ ツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ」と、詩には「行ッテ」という言葉が何度も出てきます。私はこれを「賢治の行ッテの思想」と名付けました。この思 想は民医連の災害支援でも表されたと思います。困難な医療体制でありながら、震災後いち早く被災地に駆けつけたのは、まさに「行ッテ」の思想の体現でし た。
 もう一つの特性は、人は競争にうち克つことを喜びに生きている訳ではないということです。みんなで手をさしのべ合って生きることが、これから求められている人間の本当の生き方なのだと思います。

どこまでもいっしょに

 賢治の文学には、命を慈しみ、現代に生きるメッセージがたくさん含まれています。私が一番好きな話は「十力の金剛石」です。
 王子と大臣の子が、虹の下に宝石が敷き詰められている場所を発見して大喜びしますが、周囲の花や草は嘆いています。しかし雲行きがあやしくなり、一滴の 水が落ちてくると「十力の金剛石が落ちてきた!」と花や草が言いました。十力の金剛石は、雨や太陽や風など、自然の恵みを意味しています。花や草にとって は自然の営みそのものが金剛石だったのです。
 私たちはけっして大きな存在ではありませんが、この一滴の水のように、社会や人の心を潤す存在になることができると思います。そして「銀河鉄道の夜」の 一節のように「闇の中でも怖くない。人々の幸いのために僕たちはどこまでも一緒に探しに行こう」との思いをもちながら、がんばっていきましょう。


三上 満(みつる)さん

 教育者。東京都の中学校教師を経て全教委員長、全労連議長、東京勤医会東葛看護専門学校校長などを歴任。『明日への銀河鉄道―わが心の宮沢賢治』で、2003年に岩手日報文学賞賢治賞を受賞

(民医連新聞 第1532号 2012年9月17日)

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