民医連新聞

2012年7月16日

私の3.11 (6)京都 忽那(くつな)一平さん 見えない「ナイフ」が襲う

 今回は一年目研修医から。原発事故がきっかけで茨城県を出て、京都での研修を決めた忽那さんは「福島県に隣接した地域でも、放射能汚染をめぐって人々の分断があった」と体験を寄せました。

 あの日、私は下宿で休んでいた。「もう終わりだ。布団に包まれてこのまま潰されよう」と思うぐらいの地震であった。そこから悪夢のような世界が始まった。
 茨城県南部の筑波大学付近では幸い津波の心配はなく、電気もネットも通じていた。異常事態を伝える情報が、テレビやツイッターから溢れてきた。
 福島の原子力発電所の事故の一報が入った際に嫌な予感がした。「放射能の情報は隠される」。
 幼い子を抱えた知人には事故の数日後、県外に逃れた人もいた。茨城県民は、東海村JCO臨界事故を体験している。原子力産業関係者と政府は危険性を指摘 されながら対策を怠った。最悪の事態が現実に起き、周辺住民は防げたはずの被曝をした。あの時、情報をつかんでいた人たちの子どもは外出を避け、学校を休 んでいた。
 放射能の被害は目に見えない。誰かの言葉を借りれば「ゆっくりとナイフが心臓に突き刺さっていく」状況だ。そして若い人ほど、そのナイフは大きい…。私にもナイフがうっすら見えた気がした。

 福島からの放射性物質の飛散予測をドイツ気象庁のサイトで読み、電気や水が止まっている地域向けのライフライン情報とともに発信した。夜中はずっとネッ トや緊急ラジオの情報を集め、何かあれば知らせなくては、と眠らなかった。余震が続く中、眠るのが不安でもあった。枕元でラジオをつけたまま、日中に眠る 生活が半月ほど続いた。
 そんな中「君はもっとまともな医学生だと思っていた」という内容のメールが何件か届いた。当時、筑波大学や茨城県もホームページで「安全です」と情報を 発表していた。「ただちに健康に影響はない」というメディアの情報とも、私の発信は乖離していた。致し方ないことではあろうが、親しい人からの誹謗は特に 悲しかった。要は「あいつは不安を煽っている」とされたのだ。
 私を批判する声が響きはじめた。信じてくれる人も多くいたが、所属していたサークルなどでも、私を避ける人が出て、途中から情報発信をやめた。
 批判され続けると生きられないものだと身をもって知った。政府やマスメディアが続ける宣伝が、世の中の「真実」に置き換わるのか、と思った。

 「東日本大震災を忘れない」というイベントが多くあるが、茨城県を取り上げたものはほとんどないように思う。福島の南に接し、放射能汚染がないわけがな い地域でも、「見えないナイフ」によって分断されてしまった人たちが大勢いることを、全国の人にも知ってほしい。同じ思いを子どもたちに味わわせてはいけ ない。
 そんな環境から逃れて京都で新しい生活を始めたが、いつの日かふるさとの役に立とうと決意している。いのち・健康の大切さを噛み締めながら、皆さんへ最後にひと言。
 「レッツ脱原発!」
(京都民医連中央病院・医師)

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(民医連新聞 第1528号 2012年7月16日)

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