民医連新聞

2012年6月18日

全日本民医連顧問 故・桑原英武先生のこと

 五月九日、全日本民医連の顧問だった桑原英武医師が一〇〇歳で亡くなりました。「巨星 墜(お)つ」―今年刊行された民医連史『無差別平等の医療をめざして』でも明らかなように、そう表現するにふさわしい存在でした。長瀬文雄事務局長のコメントです。

 桑原先生は、一九五三年の全日本民医連創設メンバーですが、戦前の暗黒時代をくぐり抜け、民衆のための生き方を、まさに生涯かけて貫いた人でした。
 旧制三高(現京都大学)時代、労働運動に参加し、治安維持法違反で一九三三年に投獄されました。獄中で医師になる決心をし、看守の目を盗んで受験勉強しながら仮釈放後、経歴を隠し岩手医専に入学。医師になり、終戦を迎えました。
 一九四五年一一月には医療民主化を目指す医師十数人で集会を開いています。戦後最初の民主的な医療機関(東京自由病院)が生まれる半年前のことです。翌 年一月には関西医療民主化同盟設立に参加。西日本の民主診療所の設立や医師派遣に奔走し、水害などの被災地支援も組織しました。
 全日本民医連では第一回総会時に副会長に選出されています。そして現在の民医連の路線を規定したといえる前綱領・六一年綱領の改定委員会の起草委員長を 務めました。意見をまとめあげるのはたいへんな作業でしたが、民医連綱領に「魂を吹き込む」重要な役割を果たしました。この綱領が確定してから、民医連は 飛躍的に大きくなります。
 偉ぶらない人でしたが、口を開けばマルクスの話が飛び出すような勉強家でした。臨床にもこだわり、大阪の上二病院(現ヘルスコープおおさか病院)を拠点に八〇代半ばまで診療を続けました。また、民医連綱領が新しくなったことを、非常に喜んでおられました。

(民医連新聞 第1526号 2012年6月18日)

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