医療・福祉関係者のみなさま

2012年1月2日

紙上女子会 “困ってる”と言える社会に 大野更紗さん×西村理沙さん

  難病患者の生活を綴った『困ってるひと』(ポプラ社)をご存じですか? 医療や社会への鋭い問題提起をユーモアで包み、誰にでもわかる言葉で伝える1冊で す。著者の大野更紗さんに、本紙で障害児の子育てエッセイ(かあさんの「ほのか」な幸せ)を連載中の「かあさん」こと西村理佐さんが会いにいきました。お 喋りのテーマは当事者が発信する意味、「生きる」こと…さあ、どんな「女子会」になったのか。(まとめ・木下直子/写真・丸山聡子)

更紗:私たちの本、雰囲気が似てますね。でこの、ほのちゃんのとうさんは癒し系? 少し抜けてて。
かあさん:えっ、なぜ分かるのっ?!
更紗:ウフフフ(謎めいた笑い)

*   *

かあさん:病院から在宅生活に移ってどうですか?
更紗:在宅は一瞬一瞬が闘いです!しかし人間として生きてます。ほのちゃんは在宅生活では私の先輩ですが、苦労したでしょう?
かあさん:ええ…。病院から「お家に帰ってもいいよ」と言 われて舞い上がったものの、帰るとなると困ったことだらけ。乳児は障害の度合いが確定しないという理由で障害者手帳がなかなかもらえない、でも制度は手帳 無しでは使えない。やっと手帳を得て制度を申請すれば役所に「前例がない」「お母さんがいるのに?」と言われる。超重症障害児のケアを受ける訪問看護や介 護事業所も見つからないし。
更紗: 基本的に申請主義だから、当事者がどれだけ法制度を知っているかが生活の質を左右しちゃいますよね。お役所は「前例がありません」とフツーに言うし…。そ ういう時、医療者やSWに応援してほしいけど、私の主治医2人は「世の中にご迷惑をかけるな」という思想信条でした。病院職員もサラリーマンだから、最終 的に先生には逆らえず。だから先生に内緒で退院にむけた準備をしたわけですが。
 その中で、医師は「神」じゃないと気づきました。在宅は医療にも頼りますが、中心は「生活」そのものです。医師は診察室ではプロだけど、生活の専門家で はない。今の医療現場を過労状態でささえてくれている医療者に最大の敬意を払った上で、それゆえに視野狭窄に陥っていること、患者に我慢を強いていること について、もう少し想像力を持ってほしい。良い医療を目指すなら、患者のQOLの伴走者であってほしいと思うのですが。
かあさん:病院と在宅がつながりきれていない問題は私も感 じます。帆花にも主治医と在宅医、2人の先生がいる。でも、どちらの先生にも「家で器械をつけて過ごす子」は専門外なんです。また先日、帆花が調子を崩し て入院した時、ケアに私が通いました。「母なしでは入院できないのはなぜ?」と考えた。

「困ってる人力」について×迷惑はNGなのか

かあさん:更紗さんは「困ってる人」の理想像です。ご自 分の身の上を苦しみながらも受け入れ、必要な手続きをし、身の回りを整え、生活し、それを発信してる。そういう「困ってる人力」を持つ人が、日本には少な いですよね。自分と違う困り方をしている人を責めることさえある。私も今日みたいに外出すると「子どもを犠牲にして外出する」と言われます。「困ってる」 と言う余裕もない人が少なくないからかな?
 なぜちゃんと困れない?「生きたい」とフツーに言える社会になればいいなと思うんですが。
更紗: 私は1日7回27錠の薬を飲まないと生きていけない難病患者だし、ほのちゃんも呼吸器が抜けただけで死んじゃう眠りっ子。でも、いま生きているんだから困 難があっても「行くしかないぜ!」ですよ。お役所が「前例がない」と言うのも結局、制度が「使われ慣れてない」ということだし「なら前例をつくろう、制度 を使い倒そう」と思っています。
 困れないという問題は「迷惑はダメ」という社会になっている影響でしょうか? 昔はもう少し失敗することに寛容だったのでは? 「人間は失敗して迷惑を かけて生きていくものだ」ということを社会が許容しなくなりましたよね。
 ほのちゃんを超人的がんばりで育てているとうさん・かあさんを「親なんだから当然」と言う人には「じゃ、アナタやってみれば?」と思います。現実がいか に苛烈か。周囲が「絆」を強調すればするほど、当事者の家族は選択肢を奪われてゆきます。1970年代、障害児の親が子どもに手をかける事件が多発して、 それが契機で障害者運動が盛り上がり、制度を改善させてきた歴史があります。再びいま家族を追いつめていいのでしょうか。
 私は難病になって「家族が大切だからこそ制度が大切」と学びました。両親は福島にいて、必死に働いています。愛情とありがたみを感じます。私がかかりつ けの大学病院から離れて福島の実家で過ごすことじたい無理な話です。そして親は必ずいつかいなくなります。
 当事者・家族、それぞれに人格があり人権があり暮らしがあります。患者も家族も守ってほしい。とくに、わが子に愛情を注いでがんばるお母さんたちに「親 のくせに」と傷つけないでほしい。そんな貧困な言葉で、少子高齢化なんて語れるはずがない。
 デンマークでは、18歳になった人間の扶養義務は国が負います。18歳で実家を離れ、学費も国が出す。単純に日本にあてはめる気はないですが、家族の基本が軋(きし)んでいるいま、社会の形を考える時かな、と。

私も社会の構成要素×「生きよう」と言いたい

かあさん:社会…。私はぼんやり生きてきて、帆花を授か り「私たちは小さな存在だけど、社会の大切な構成要素だ」と知りました。力は小さいけれど、私はケースワークとして帆花のことをする。その経験を土台に後 の人が続く、そういう連続で社会は変わっていくんじゃないかと思うようになりました。
更紗:日本では社会のことは頭の良い人が決めてくれると考えがちですよね。確かに制度設計は官僚の仕事だけど、彼らも情報は参考にする。そこで、ほのちゃんや私のような当事者が、苦労を重ねて生きている証拠を残す・可視化する作業が大事だと思う。
 人生で遭遇する不条理を私は「クジ」と呼んでますが、ほのちゃんは生まれた時、私は難病というクジを引きました。今回の震災もそう、誰がいつどんなクジ を引くか分からないけれど、皆にその可能性はあります。だからクジを引いた後の支えが重要。なのにいま、偉いオジさんたちが社会保障の圧縮の理由に「少子 高齢化だから」と言うのは本末転倒です。少子化は、若い人が社会にリスクを感じている結果なのに、脅してどうする? と。恐怖感をベースにする社会か、信 頼をベースにする社会か…日本が進路を問われているなら、私は信頼のほうがいい。そのために相手を信頼します。
 日本国憲法には「人間には基本的人権が認められる」とあるけれど、戦後の日本社会にとってそれは与えられた建前だった。なら「その文言を実態にしよう」と。
 独りの時に最近考えるのは「いま生まれてくる子どもたちより私は27年早くこの世にいるけど、この社会で彼らに顔向けできるかな」ということです。そし て「ふがいないな」と思う。たとえば放射能汚染、社会が子どもたちへの責任を放棄しているようで…。いまの日本で共有できる目標は少ないかもしれないけれ ど「子どもたちに『希望をもって生きてください』と言える社会」なら皆の目標にできるかも、とも考えます。
かあさん:本当に、どんな命であっても子どもたちには生きてほしい。命を与えられたんですから。
 ふがいなさについては、私も帆花に申し訳ないと思うことがこの世にはありすぎて、泣いちゃうこともあります。でもその感覚は人間らしさであったり、現状を変えようと考える動機にもなるから大事かな、とも思う。
更紗: 日本社会は失敗を恐れている余裕もないから、失敗しながらすすむしかないと思うんですが。私も体調のことを言っている場合じゃなく、とにかく走り続けるし かないです。患者や家族がこんな覚悟で生きていることを分かってもらえたらいいな。ちなみに、私の人生の目標は「療養」です(笑)
かあさん:うう…。じゃ療養のほかに願うことは?
更紗:必死に生きている人をみたら応援してほしい。当事者の願いはシンプルです。唐突ですが、私「男はつらいよ」が好きで(大学時代全48作を3回鑑賞)。寅さんはお金も力もないけど困った人は放っておけない。その姿は、人類として潔いです。
 個人的な願いなら「本、買ってくれ~」です(笑)
かあさん:本は13万部でしょう? すごいなあ。最後に言葉の仕事への思いなど、お聞かせ下さい。
更紗: 実態はすごくないですよ。本を書くというのは、費用対効果のいい仕事ではまったくありません。本は読まれなくなって久しい。お金がない人も多いんだと痛感 しました。図書館では『困ってるひと』の貸し出し待ちが200人なんてことがあるそうです。読みたいと思ってもらえても、1400円は高いんです。「この 出版不況下でいかに作家として食ってゆけるのか」の前例も手探り。難病の闘病生活はハンパな覚悟ではできません(笑)。
 言葉については…言葉にする作業は難しいし、しかも私は半径5メートル範囲のことしか発言できないという前提で、言葉の担い手としてできることを探すし かないと思っています。日本社会が近年徹底して削ってきたのは言葉を交わすコミュニケーションの時間ですよね。時間は贅沢品。介護でも医療でもその部分が 削られてきました。でも、ケアにはコミュニケーションほど重要なものはないじゃないですか。
 いま、研究者や当事者や活動家など、色んな人から話を聞いているんですが、「これならみんなが分かる」というプラットホームになりたいんですよ。
かあさん:うーん、元気出ました!(握手する2人)


(おおの・さらさ)作家&大学院生。1984年福島県生まれ。上智大学大学院休学中。学部在学中にビルマ(ミャンマー)難民に出会い、民主化運動などを研究、NGOにも参加。2008年、自己免疫疾患系難病を発症。検査期間1年、9カ月の入院を経て、都内某所で絶賛闘病中。

(にしむら・りさ)出生時に低酸素脳症になった娘(帆花ちゃん・四歳)を子育て中。神奈川県生まれの三〇代。民医連新聞にエッセイを連載中。著書『ほのさんのいのちを知って』(エンターブレイン)。実は民医連OG。

(民医連新聞 第1515号 2012年1月2日)

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