医療・福祉関係者のみなさま

2012年1月2日

差別としての日高原発 京大原子炉実験所助教 小出裕章さんに聞く

 京都大学原子炉実験所に勤務した一九七四年当初から、日高原発の反対運動にかかわりました。住民勉強会の講師を務め、反対のビラをまいたこともあります。
 事故が起きるから過疎地に造る、原発とはそういうもの。人と富を中央に集め、地方は切り捨て、やっかいなものを押しつける「差別の論理」です。日高原発も、その日本の原発政策の一例でした。
 今から考えれば、日高原発は建設の可能性がかなり高かった。それを許さなかったのは、住民が体を張ってたたかったこと。比較的豊かな漁場で、原発補償金 に頼らなくても生活できたこと。関西電力が同時期に福井県でも原発を建設中で、関電の力が分散されたこと、と推測しています。
 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)の創設者は「いったん被曝すれば治療法がない。医師は被曝に無力だからこそ、核兵器廃絶に立ち上がる」と話しました。原発も同じ。被曝させないことが唯一の治療法です。
 私は放射線管理区域で仕事をしています。放射線管理区域とは、三カ月で一・三ミリシーベルトを超える区域について、研究者など特定の人だけが立ち入るこ とを許可した法に基づいたもの。福島では、放射線管理区域以上の地域に大勢の人が住んでいる。日本は法治国家ではありませんか。法治国家であれば、法に基 づき、住居や仕事を保障したうえで避難させるべきです。
 ただ、現実は避難したくても家族や生活があって避難できません。避難できない人に、どう応えればいいのか、答えが見つかりません。
 全日本民医連が昨年一〇月に発表した「住民の健康を守るための基本的方針」に賛同します。民医連の皆さんにはぜひ、不安な住民に寄り添ってほしい。
 今春には全国の原発が、定期検査などで止まる予定。国や電力会社はマスコミを使い、節電キャンペーンを張りました。政府の統計データを検証すれば、すべ ての原発を止めても電気が足りているのは明らか。多くの国民が大量宣伝にだまされています。
 先日、取材に来た大手紙の記者が「我が社は二〇~三〇年後の廃炉を主張している」と話していました。将来の廃炉とは即ち、止まった原発をまた動かせとい うこと。これでは推進派と変わりません。原発は今すぐ廃炉にするしかありません。
 これだけの事故が起こりながら、この国の政治、経済は、まだ原発を推進しようとしている。まったく、なんという国でしょうか。

(民医連新聞 第1515号 2012年1月2日)

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