医療・福祉関係者のみなさま

2012年1月2日

診察室から 答えが出ない問い 岩手

 被災県の民医連医師として「自分たちの使命は」と緊張感を持って診療に臨んだ。いち早く素晴らしい支援をしてくれた北海道民医連の行動力に引っ張られながら、医局全員が現地に赴いた。
 県の医療活動は統率力が今一つで規制が多い。支援したくても許可が下りず、必要な医療をリアルタイムで提供できないジレンマがあった。
 岩手民医連は、医療支援、炊き出し、リハビリ支援、お茶っ子会など、共同組織やリハビリ、介護職員、事務と総力戦で臨み、被災地の皆さんに寄り添った。 震災を総括した最近の文章のほとんどが、「災害時にはプライマリケア・チーム医療が大切」としている。我々が普段行っている医療である。
 私は三陸釜石出身。多くの親類、知人が被災しているため、休みの日には必要な物資を持って地元に通い続けた。家が浸水し避難所で暮らす義妹家族、漁村に 嫁入りした友人は別の避難所暮らし、内陸寄りに暮らす叔母家族…。
 友人は浸水した家の片付けや住まい探し、仕事で疲れ切っていた。帰ってくるのは炊き出しの時間のみ。被災者が自分たちで賄っていた。
 一方、内陸寄りの叔母たちは、暖房の効いた部屋で大画面・大音量で歌謡ショーを見ていた、御馳走を囲んで。この差は何だろう? ただ、津波が来たか来な いかの差。これが津波被害の現実。それでも被災者は、誰を恨むわけでもなく懸命に生活していた。
 目の前の現実に言葉もなかった。今までの行いの差? そんなわけはない。これまで矛盾することがあっても、自分なりに折り合いをつけて生きてきたが、今 回はそうはいかない。不公平すぎる。答えが出ない問いに繰り返し答えを出そうとした。
 悶々と過ごしていたある日、地元紙にグリーフケアの第一人者のメッセージが載った。「一大悲劇が私たちに人生の教訓を知らしめる。人生とは変化の連続。 予測もコントロールも幻想。人生最大の喪失に打ちのめされつつも、それに抗して生きていくすべを見出すのは自分自身、心の中に秘められている力で。喪失体 験の意味・生きることの意味を探り、今かみしめている痛みに肯定的な意味を見出せば、喪失を潔く尊厳をもって受け入れられる」と。
 津波は一瞬で多くの人々の命と幸福を奪った。人はこの事実に肯定的な意味など見出せるのだろうか。彼はこうも言った。「人をいとおしみ、地域を愛し、未 来への抱負を大切にし、手中にあるものに感謝し、世をすねることも苦々しく思うこともせず、欲にくらむこともなく生きていくことを今こそ考える時期ではな いだろうか」と。
 自分の出した答えと重なった。この人生最大の悲劇に肯定的な意味を見出すことができたなら、私たちは本当の幸せを手に入れることができるかもしれない。(川久保病院、加藤幸)

(民医連新聞 第1515号 2012年1月2日)

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