医療・福祉関係者のみなさま

2012年1月2日

原発でうばわれた故郷 とりもどそう住民の絆 仮設住宅でお茶会 福島医療生協

 福島医療生協は昨年八月から、浪江町の被災者が住む福島市内の仮設住宅で、健康管理と住民の交流を兼ねた「お茶会」を開催してい ます。福島原発から約八キロの同町は放射線量が高く、町民はほぼ全員が町外に避難。「いつになったら帰宅できるのか」と不安な日々を送っています。「お茶 会に来ると、ほっとする」「家族はバラバラになってしまったが、新しい友人ができた」―。お茶会は被災者にとって、憩いの場になっています。(新井健治記 者)

「もう住めないかも…」

shinbun_1515_01 昨年一一月二四日、福島市南矢野目の仮設住宅で行われたお茶会を取材しました。午後一時半、仮設内の集会所に続々と被災者が集まり、会場は二一人でいっぱいに。福島医療生協平野余目(あまるめ)支部の組合員六人、民医連の職員五人が応対しました。
 まずは看護師の血圧測定です。「夜は眠れていますか?」「体調はどうですか?」と優しく語りかけながら、腕をまくります。「血圧の高い人や、精神安定剤 を服用している人が多いですね」と話すのは、ふれあいクリニックさくらみず(福島市笹谷)の看護師、今井行子さん。ほかに、わたり介護支援事業所の看護師 と、医療生協わたり病院、介護老人保健施設はなひらののソーシャルワーカーが駆けつけました。
 お茶会に初めて参加した三四歳の女性は、津波で自宅が流され家族四人で仮設暮らし。一二歳と一〇歳の子どもがおり、六畳と四畳半二間では手狭です。「子 どもがいるので、たとえ除染しても、浪江にはもう住めないのかもしれない。これからどうやって生活していけばいいのか、行政は明確なプランを示してほし い」と訴えます。
 浪江町は福島第一原発から約八キロ。津波で一八四人が死亡・行方不明です。町は警戒区域と計画的避難区域に二分され、約二万人いた町民は一世帯を残して 全員が避難。事故直後に北西の風で大量の放射性物質が運ばれたため、現在でも放射線量が毎時三〇マイクロシーベルトの地点があり、原発立地の双葉町や大熊 町以外では最も高い値です。

「ふるさと」の合唱に涙

 血圧測定の後は、組合員の用意したリンゴやお菓子を食べ、住民同士、住民と組合員・職員で 話し込みます。アコーディオンが得意な組合員の演奏に合わせて体操をし、おなじみの曲を合唱。「ふるさと」では思わず涙を流す人も。その背に、組合員が そっと手を添える場面が印象的でした。
 お茶会の最後には、高知医療生協が「これから冬を迎える被災者のために」と送ってきた手編みのマフラーや、福島の組合員が牛乳パックで作った座いすをプレゼント。
 平野余目支部理事の三瓶久子さんは「始めた当初は暗い表情だった人が、次第に和やかになってくれるのが嬉しい。『お茶会にまた来てくれてありがとう』との気持ちで続けています」と言います。

町の保健師と連携

 同生協がお茶会を始めたのは昨年六月、笹谷東部の仮設に入居していた女性(79)との出会いがきっかけでした。三九・五度の発熱でさくらみずに来院した女性の話から、仮設には知り合いもなく、電話もない生活を送る一人暮らしの高齢者が多いことを知ります。
 セーフティーネットが機能していないことに愕然とした同院の松崎聡事務長はさっそく、県や浪江町と相談。実態把握のため、昨年七月に市内の仮設を訪問、 八月から南矢野目(一八一世帯)、笹谷東部(一六五)、北幹線第一(一七五)の三カ所で月に一度ずつお茶会を始めました。
 これまで、浪江町の保健師との懇談会も二回開きました。同町は町役場の機能を二本松市に移動。わずか三人しかいない保健師は、二本松市の仮設訪問が中心 で、福島市まではなかなか手が回りません。組合員・職員はお茶会で住民の体調を把握、気になる人は保健師に連絡します。

夏暑く、冬寒い

 参加者のほとんどは女性です。数少ない男性の一人(82)は、家族と別れ、仮設で一人暮ら し。「部屋にいても、やることがない。男はお茶会にも来ないし、何をやっているのかな。部屋でテレビでも見ているのかな」と苦笑い。「福島の夏は暑くて、 まいった。浪江では孫がいて家庭菜園もできて、楽しく暮らしていたのに…。先が短いだけに、早く故郷に戻りたい」。
 同じ福島県でも、海に面した浪江町と内陸の福島市では大きく気候が違います。福島市は夏は暑く、冬は寒いのが特徴。これから本格的な冬を迎えます。今井 看護師は「仮設では軒下からの冷気がこたえます。お年寄りが体調を崩さないか、心配です」と言います。

感情論で対立も

 内部被曝の影響は、はっきり分かりません。「このまま仮設にいるのか、それともさらに遠くへ避難すべきか、正解がないから感情論で住民同士、家族の絆さえ切れてしまう事態も。特に子どものいる世帯が深刻」と松崎事務長。
 「放射能に故郷を奪われ、明日が見えない状態が続いている。過度の飲酒など生活がすさんできている人もおり、精神面を含めた健康管理が大切です」と指摘します。
 浪江町の除染計画や除染後の帰宅の目処は立っていません。松崎事務長は「この状態がいつまで続くのかわかりません。お茶会は住民同士が絆を取り戻すきっ かけ。今後は町や仮設にできた自治会主体の運動に切り替え、医療生協として協力していくつもりです」と話します。

(民医連新聞 第1515号 2012年1月2日)

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