医療・福祉関係者のみなさま

2011年10月3日

終末期ケアの質を考える 在宅医療交流集会 講演とシンポ

 八月二七~二八日に東京で行われた全日本民医連「在宅医療交流集会」から、二日目の講演とシンポジウム「住み慣れた地域・在宅 で、その人らしく最期までー終末期ケアの質を考える」を紹介します。日本福祉大学の篠田道子教授が講演。医師、看護師、ケアマネジャー、介護福祉士の四職 種が報告し、篠田教授を交えて討論しました。(矢作史考記者)

講 演

 「高齢者の終末期ケアの質を高める四条件~どこで看取るかではなく、いかに看取るか」
 篠田道子(日本福祉大学社会福祉学部教授)

 厚生労働省の調査では、高齢者の「死亡場所」は自宅の一二・四%に対し、病院が七八・四%と圧倒的に病院が多くなっています()。一方、日本福祉大学終末期ケア研究会が「死亡場所」と「介護者の満足度」の関係を調査したところ、丁寧なケアマネジメントが介護者の満足度を高め、死亡場所と満足度は関連しないとの結果が出ました。
 こうした調査と事例検討から、終末期ケアの質を高めるには、場所ではなく最期に至るプロセスに注目すべきと分かりました。そのプロセスを考察する中で (1)本人や家族の明確な意思表示、(2)ケアを支える介護力や周囲のサポート、(3)終末期ケアを支える医療的ケア、(4)本人や家族の願いと利用でき る資源を結びつけるケアマネジメントの四点が、質の高い終末期ケアの四条件として抽出されました。

shinbun_1509_04

報 告

 「かかりつけ医ががんや老衰になる前からターミナルケアを~死難民解消のために」
 保坂幸男(東京・北多摩クリニック、医師)

 当院で末期患者の統計をとったところ、亡くなるまで一カ月以内に相談に来た一二人の患者のうち、九人は紹介状がありませんでした()。相談先が決まらず不安と痛みを抱えたまま、病院から在宅に戻る患者は少なくありません。十分な緩和ケアを受けられない「死難民」を出さないよう、かかりつけ医に何ができるのでしょうか。
 かかりつけ医は患者が元気なうちから、どのような終末期ケアを受けたいのか、患者といっしょに考えていくことが大事だと思います。終末期ケアを野球にた とえると、かかりつけ医は「先発」から「抑え」までやりますが、病状が重くなったら病院に「中継ぎ」してもらうこともあります。
 私は生きる場所の延長線上に死ぬ場所があると考えます。在宅で看取った家族に、入院したらどうなっていたかと聞いたところ「大勢の中の一人になり、医療 者との関係が希薄になる」「生活者としてみてもらえない」との回答がありました。
 当院と付き合いの長い患者が入院しました。病棟で死ぬのを待つのか、それとも、この方の生きた証や手のぬくもりを伝えることができる私たちとの関係を最 後まで続けるのかを考えた結果、自宅で亡くなる道を選びました。人生の最後に必要とされるのは、医療より「生きる物語」です。

shinbun_1509_05

 「我が家からの旅立ち~訪問看護ステーションからみた在宅における終末期ケア」
 室田ちひろ(北海道勤労者在宅医療福祉協会、看護師)

 終末期を迎えた患者の多くが「自宅のベッドから景色を見たい」「妻の手を握れる家がいい」と要望します。私たち訪問看護師は、患者や家族が苦しむことなく穏やかに過ごせるよう支援します。
 患者の苦痛緩和に努める一方、家族には病状の変化に合わせた対応をアドバイスします。チアノーゼや下顎呼吸について説明し、「呼吸が止まったら、慌てず に連絡してください」と、あらかじめ話しておきます。最期の時も家族が落ち着いて対応し、本人が好きだった民謡を歌いながら見送ったケースもあります。
 医療的処置が多いと職員も不安になります。大腸がんで入院中に脳梗塞を併発したAさん(六〇代・男性)は、IVH、バルーンを入れて自宅に戻りました。 毎日の訪問看護でさまざまな医療ケアを行いました。帰宅後、本人の意識が一時的に回復し、家族や親戚と最後の会話もでき、家族も喜んでいました。
 死後のカンファレンスでは、「医療依存度が高い人を、在宅で受けることに不安があったが、家族からの思いを聞いてよかった」との報告がありました。その 人らしく生きることを支援することで、訪問看護師も人生とはなにか、を学んでいます。

 「医療と福祉を結びつけるケアマネジメント その実践と課題」
 加藤久美(千葉・あんしんケアセンターまくはりの郷、ケアマネジャー)

 ケアマネジャーは医療系、福祉系などさまざまな職種が担っており、医療系以外のケアマネは 医療の相談が苦手な面もあります。たとえば、終末期の医療的ケアについて、本人や家族から相談を受けることもあります。医師や看護師の情報で利用者に必要 なサービスが分かることも多く、連携は欠かせません。
 「居宅で看取り=良いこと」ではなく、利用者にとっての在宅療養の意味を明確にし、関係者同士の連帯を生み出し、励まし合って支援することが大切です。 日々の実践において、ケアマネは終末期を支える一員といえます。

 「終末期にかかわる介護職の実践と課題~認知症グループホームの実践から」
 寺田慎(東京・グループホームみたて、介護福祉士)

 認知症高齢者の居場所は、かつての病院から今は在宅やグループホーム、老健に移ってきてい ます。グループホームでの看取りは、慣れ親しんだ地域に住み続けることができ、顔なじみの関係の中で安心感があるというメリットがあります。しかし、入居 者の医療依存度が増すと、グループホームではなかなか対応ができません。体調が悪化すると、家族が家に引きとることもあるため、看取りは少ないのが実際で す。医療処置ができるよう看護師を配置したくてもできないのが現状です。
 ケアをする私たちが大事にしているのは、伝えたいことをうまく言葉にできない利用者の代弁者になることです。たとえば、本人が「家で死にたい」と意思表 示をしても、本人は自分の家が認識できません。本人の言葉だけで看取りの場を決めず、生活に寄り添う中で探っていくことが大事だと思います。

討 論

 シンポジウム後半の討論では、(1)家族、本人の終末期の意思表示をどう引き出すか、 (2)ケアを支える介護力や周囲のサポートの引き出し方、緩和ケアについて、(3)療養場所が変わっても、一貫したケアマネジメントをどうやって実現する かの三点で、質の高い終末期ケアついて意見を出し合いました。
 討論の中で、フロアから埼玉協同病院の高橋恵子さん(看護師)が、医療生協さいたまのとりくみを報告しました。同法人は三年前から「みんなで考えよう終 末期医療」という懇談会を支部ごとに行っています。医師が参加し、終末期の定義や医療処置について説明、終末期に大事にしたいことなどを質問形式ですすめ ています。高橋さんは「医師の体験談を織り交ぜ、終末期の過ごし方を元気なうちから考えるきっかけになりました」と話しました。

(民医連新聞 第1509号 2011年10月3日)

リング1この記事を見た人はこんな記事も見ています。


お役立コンテンツ

▲ページTOPへ