医療・福祉関係者のみなさま

2011年9月19日

相談室日誌 連載335 地域包括支援センターは震災時にどう動いたか 岩間真美(宮城)

 今回は三月一一日に起きた東日本大震災後の当センターのとりくみを報告します。
 今回の震災や津波で、当センターの管轄している担当圏域内の四町が大きな被害にあいました。震災直後から独居の高齢者世帯を中心に安否確認に回り、その 後、避難所の状況把握をしていきました。避難所になった学校の体育館や市民センターには、大勢の人が身を寄せていて、歩くスペースもほとんどなく、他人と 密着している状況でした。また、がん末期で黄疸が出ている人、ベッドで休むことができずウロバックを床に置いて不衛生な状態の人、発熱した人など、病院へ 行くことができないため、避難所の救護室に横になっているしかない状況でした。また、和式の仮設トイレが使えず、がまんしたあげく、尿便失禁をした高齢者 も。認知症高齢者も症状が進行し、避難所で共同生活を送るには限界がありました。
 そういう弱者向けの一次避難所として福祉避難所があります。当センターの母体施設「宮城野の里」で福祉避難所を開設することにしました。
 避難所生活が困難な人を把握するため、避難所責任者と医療責任者に、介護が必要な人がいた場合は連絡してもらうよう依頼し、福祉避難所への受け入れや調整を行いました。
 在宅の高齢者には民生委員やケアマネジャーなど関係者と連携しながら、市から届いた食料を自転車で配達し、情報提供や各申請の代行、サービス調整などの支援を行いました。
 現在、担当圏域内には五カ所の仮設住宅があります。行政が全戸訪問していますが、その情報はほとんどもらえないため、私たちも当初は実態把握に苦慮しま した。しかし、各仮設住宅にできた集会所を借り、茶話会を開き、住民との関係作りをしながら実態把握に努め、総合相談窓口になっています。
 今回の震災を経験し、あらためて、ほかの関係機関と連携していく重要性を感じました。震災から半年が経ちましたが、いまだに爪跡は大きく残っています。 今後は仮設住宅入居者への支援とともに、ほかの関係機関と意見交換し、連携しながら支援していきたいと思います。

(民医連新聞 第1508号 2011年9月19日)

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