医療・福祉関係者のみなさま

2011年9月5日

評議員会 53人の発言から よりそい 学び たたかう

 8月20、21日に行われた第3回評議員会では、53人が発言しました。「震災支援」「地域の受療権を守る」「脱原発」「医師・看護師養成」「利根中央病院支援」の5つの論点別に、要旨を紹介します。

●震災支援

 全国の人的・物的支援に深く感謝したい。震災は宮城厚生協会に大きな被害をもたらし、事業所改修のための特別損失は七億円を超えた。職員一丸で利益確保をめざすとともに、震災復興寄付金一億五〇〇〇万円を目標に集めている(宮城・熊谷正子)。
 岩手県内の被災地は事業所から峠を越えた一〇〇キロ先にあるが、すべての医師が震災支援に参加した。仮設住宅での「はつらつお茶っ子会」は八カ所まで増 え、参加した若手職員が「自分たちにもできることがある」と元気になった(岩手・尾形文智)。
 千葉も被災県。震災で炎上したコンビナートは診療所からわずか五キロ。しかも、その隣には劣化ウラン七六五キロが保管されていたことも判明した。首都圏 の大震災を想定し、横須賀基地の原子力潜水艦入港反対や、東京湾岸のコンビナート地帯の安全対策を行政に求めたい(千葉・岡田朝志)。
 原発事故で埼玉県内に避難した福島県双葉町の住民を支援してきた。また、福島の職員たちのリフレッシュのため、東京ディズニーランド旅行を企画した。第二弾も準備している(埼玉・岡本泉)。
 阪神大震災の時と違い、今回の被災地はもともと医療過疎地。その場限りでなく、地域医療の現状を引き上げる支援が必要だった。その点、私たちの支援内容 は戦略に欠け、効率が悪かった感が否めない。今後は住民ニーズを分析し、持続可能な医療システムを構築すべき(愛媛・森実和樹)。
 被災地ではいまだに余震が続き、徐々に建物の崩壊がすすんでいる。民間医療機関の再建に補助金が出ることになったが、ほんのわずか。塩釜市では坂総合病 院も参加して、復興を議論する場づくりをめざしている(宮城・大窪豊)。

●地域の受療権を守る

 大阪市が八月、淀川勤労者厚生協会の無料低額診療事業の申請を受理した。五年越しの交渉がようやく実った形だ。ただ、住民の命や健康を軽視する市の姿勢は相変わらず。選挙や運動で変えていきたい(大阪・後みつる)。
 和歌山中央医療生協で九月から無低診を始める。和歌山市はこれまで申請を受理しなかったが、大阪市が受理することを伝えると、態度を変えた。全国の無低 診の広がりが、自治体にも変化をもたらした(和歌山・井戸茂樹)。
 済生会と協力、共同で無低診パンフを作り、ハローワークの健康相談会も開催する。また、長崎市教育委員会が六月、就学援助通知を発送する際に無低診のチ ラシを同封し、大きな反響を呼んだ。ただ、医師会には無低診を「患者の囲い込み」になるのではないかと見る向きもあり、社会的認知度の低さを実感(長崎・ 山口喜久雄)。
 無保険状態に置かれた在日外国人の子どもを支援する「外国人子ども医療互助会」の賛助会員が、川崎医療生協を通して広がっている。川崎協同病院は四月に 医療通訳派遣医療機関の指定を受けた。日本人も外国人も区別することなく、等しく命が守られる日本にしたい(神奈川・鈴木久美子)。
 山梨県では外国人の出稼ぎ労働者が増えている。義務教育が適用されず、無認可の外国人学校に通う子どもの健康診断を行った。学校を運営するボランティア 団体と協力し、外国人労働者と子どもたちの人権問題を明らかにしていきたい(山梨・梶原祐治)。
 大分医療生協で三年前に始めた無料個別患者送迎サービスの利用者が、四〇人から八七六人に増えた。治療中断の防止や気になる高齢患者の見守りにもつながっている(大分・狭間田敏治)。
 被爆国の日本に原発を押しつけたのは日米安保。原発問題と沖縄の基地問題の根っこには安保条約がある。基地のない日本と被災者の立場に立った復興をめざ し、憲法が実現する国づくりをすすめたい(沖縄・新垣安男)。

●脱原発

 福島県では、人口の大半が集中する中通りの主要都市から人口流出が続いている。特に子ども のいる家庭の不安が強く、夏休み明けに多数の転校も予想される。福島民医連は、子どもをもつ看護師が被曝低減のために休暇をとれるよう、全国に看護師支援 を要請した。脱原発に向け、長期にわたるたたかいの拠点となる決意だ(福島・松本純)。
 福井民医連の協力で、八月に福井県内の原発を視察し多くの職員、共同組織が参加した。地産地消の再生可能エネルギーは、雇用創出とまちおこしにもなる。 共同組織や地域住民とともに、まちづくりをすすめたい(京都・勘解由貢一)。
 玄海原発を視察し、初めて地元の脱原発運動の会から話を聞いた。玄海町の白血病患者は、全国平均の一〇倍だという。学ぶことの重要性と民医連の役割を再 認識。原発を止めようと市民運動とも協力し、九州電力本社前で二四時間・無期限の座り込みを行っている(福岡・谷口路代)。
 福井の若狭湾は原発銀座といわれる。講師活動、制度教育、対県交渉、毎月一一日のデモで脱原発の運動をつくっている。放射性廃棄物を子孫に押しつけるのは倫理的に許されない(福井・平野治和)。
 七月二三日に浜岡原発の永久停止・廃炉を求める静岡県大集会を開催、五〇〇〇人が集まった。医学生のつどいの事前学習で、浜岡原発のフィールドワークも行った(静岡・齋藤友治)。

●医師・看護師養成

 奨学生数が過去最高を記録。九州大、佐賀大、久留米大の三大学前に医系学生サポートセンターを設け、今年の新歓で初めて担当者を常駐させたことで、大きな成果があがった(福岡・橋口俊則)。
 北海道総合内科医養成研修センターに、民医連の五病院が選ばれた。研修医が自信をもって医学生を実習や研修に誘っている(北海道・堺慎)。
 県連理事会で、汐田総合病院三〇〇〇件問題のプロジェクト会議を立ち上げた。一カ月の入院患者が目標の二三一人を上回り、二四六・八人と前進している(神奈川・松崎幹雄)。
 城北病院で来年度、初めて看護専門学校の臨地実習を実施することに。実習を通し、新卒の受け入れ数を飛躍的に伸ばしたい(石川・津田真理子)。
 長野中央病院は四~六月で二六人の看護奨学生を増やした。高校生一日看護師体験からのつながりや、地道な活動が大切であることを実感(長野・谷口集子)。

●利根中央病院支援

 民医連が医師派遣の約束を果たしていること、支援に来た民医連医師の診療姿勢に触れ、大学病院の派遣医師が民医連を信頼してくれるようになった。八月から医局の朝会が始まり、大学派遣医師も経営について考えるようになった(群馬・深澤尚伊)。
 六、八月と二回にわたり支援に参加した。今後の課題として、大学派遣医師に依存しない独自の医師養成、医師集団を交えた民主的な管理運営、地域ニーズに 応じた医療活動、県連機能の強化などが考えられる(長野・熊谷嘉隆)。

特別報告 震災時の急性期医療

坂総合病院救急科 佐々木隆徳医師

 当院は地震発生直後に災害モードを発動、まず病院管理部が災害対策本部を設置し被災状況を確認した。同時に外来救急部門を中心にトリアージ診療体制を構築した。過去の災害から、一時間後に多数の傷病者が運ばれて来ることが予想されたため、一時間以内に体制を整えた。
 病院正面玄関にトリアージポストを設置し、一人三〇秒以内で判断した。治療最優先の赤ブースでは、低体温、多発外傷、意識障害の患者が多かった。地震発 生後三時間で携帯電話基地局の電源がダウン、連絡手段が途絶えた。救急隊は「とにかく坂総合病院に患者を運ぶ」方針で、救援、搬送を続けた。
 震災から一カ月間で一万三七一三人を診療。避難所訪問での診察と併せて約一万八〇〇〇人に対応することができたのは、全国の支援があったからこそ。
 被災者は現在、仮設住宅に移行した。急性期は乗り越えたものの、仮設における二次、三次災害も懸念される。今後もニーズを把握しながら柔軟に対応していきたい。

震災支援と経営再建

徳島

 徳島民医連の震災支援は、徳島健康生協の経営再建の中で行われたのが大きな特徴。二〇〇六 年、全日本民医連に当法人の経営対策本部が設置され、全国支援を受けてから、いつか恩返しをしようという気持ちがあった。震災支援には常勤医師の四割が参 加、参加できない診療所所長は徳島健生病院の当直で応援した。これを見た他職員からは「うちの先生方はすごい」との声があがった。
 震災支援のがんばりは、経営再建に相乗効果をもたらした。四~七月の経常利益は予算比の約一〇倍と大きく前進。要因は徳島健生病院入院患者数の増で、昨年の平均一五二・四人を上回る一六三・八人を確保している。
 入院患者数の急増は訪問活動の成果。病院長を先頭に職員が手分けして県内の基幹病院や開業医を訪問、紹介患者数が昨年の三倍以上に増えた。院長の奮闘を 見て、医師集団が変わった。今年四月から救急受け入れを再開、無料低額診療事業も始めた(徳島民医連・田福光規事務局長)。

(民医連新聞 第1507号 2011年9月5日)

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